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第2話|異邦の師と、紫煙の警告

重い礼装に耐え、鈍痛の走る踵を庇いながら廊下を歩いていると、曲がり角で不意に冷たい影と衝突しそうになった。 「おっと……。おい、危ねえぞ」 そこに立っていたのは、見るからに不健康の権化のような男——生活指導担当の、レン・ハザマ先生だった。 この世界の誰とも違う、どこか遠くの、乾いた「異世界の空気」を纏った彼。 黒い髪は寝癖のまま放置したかのようにボサボサに乱れ、目の下には消えない隈が深く刻まれている。その右手には、この世界では見かけない奇妙なフォントで「胃薬」と書かれたアルミの袋が、無造作に握りしめられていた。 「おい、テディ。顔が死んでるぞ。これから自分の葬式にでも出席するつもりか?今日は入学式だ。もっとこう、新入生らしいピチピチしたフレッシュさを出せ。お前、一応は治癒魔法の使い手だろう。自分の顔色くらい、魔力でブーストできないのか?」 「……セオドアです、先生。何度言えば覚えてくれるんですか」 俺は、父の教えを忠実に守り、八重歯がこぼれないよう口元を硬く結んだまま、消え入りそうな小声で反論した。 「それに、僕の魔法はそんな便利屋の道具じゃありません。生命力を無理やり前借りして活性化させるんですから、下手に使えばあとで猛烈にお腹が減って、入学式の最中に倒れてしまいますよ」 「はん、理屈っぽいのは家系か。可愛げのないガキだ」 「それより先生……その胃薬、飲みすぎは体に良くないですよ。成分が血に混じって魔力の輝きが濁るって、サミュエル司祭がため息をつきながら小言を言ってました。聖職者としては見過ごせないそうです」 俺がそう告げた瞬間、レン先生の眉間に深い溝が刻まれた。 「うるせえよ。あのクソ司祭に言っとけ、ジュストの野郎が吐き出す煙を朝から晩まで吸わされなきゃ、俺の胃もこんなにボロ雑巾みたいにはならねえんだよ」 レン先生は吐き捨てるように言うと、袋から取り出した白い錠剤を、水もなしにガリガリと野蛮な音を立てて噛み砕いた。その表情は、良薬を飲んでいるというより、憎しみを咀嚼しているようにも見えた。 「ジュスト……カーラオバリオス寮の、寮長ですよね。僕も噂だけは」 「噂程度で済んでるなら幸運だ。あいつはな、学院創設以来の天才だが、同時にこの場所で一番たちの悪い『毒』だ。いいか、セオドア。あいつには絶対に、自分から関わりに行くな」 先生の声が、急に低く、湿り気を帯びたものに変わる。 「あいつの纏っている紫の煙はな、単なる目くらましじゃない。あれは吸った相手の感覚を狂わせ、正常な判断能力を奪い、最終的には骨まで溶かすような……どろどろに濁った『執着』が混じってる。……特に、お前みたいな真っ白でピュアな新入生は、あいつにとっては何よりの御馳走であり、格好の餌食だ」 「餌食って……僕はただ、自分の役目を果たそうとしているだけです」 「それが一番危ねえんだよ。あいつがサングラスの奥で何を考えてるか、誰にも分からん。近づくなよ。これ以上、俺の胃薬の消費量を増やさないでくれ」 レン先生はそう吐き捨てると、まだ胃のあたりを不快そうに押さえながら、「胃が、胃が……」と不吉な呪文のように呟き、職員室の闇の中へと消えていった。 静まり返った廊下に、俺の心臓の音だけが妙に大きく響く。 朝の光に満ちているはずの学院が、急に底知れない影を孕んだ巨大な怪物のように見えて、俺はネフリティスのブローチを、痛いくらいに握りしめた。

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