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第6章:揺れる天秤(2)

 次の日の夜。湊は街灯の下でアルダスから受け取った給料袋を開いていた。ずっしりと重みはあるが、金貨は入っておらず、稀に銀貨が入っている程度で、ほとんどが銅貨だった。おそらく売上の一部を給料として除けていたのだろう。  湊はため息をつく。この時代の相場なのかもしれないが、これでは日々の暮らしさえままならない。ましてクォークには母親がいるのだ。  それでも、職人街にある錬金術の道具を専門に扱う店へと足を運ぶ。中に入ると、棚に並ぶ新品の器具たちが、ランプの光を受けてキラキラ輝いていた。湊は近くにあった天秤に目を向ける。自分が持っている給料より桁一つも二つも多い値段に湊は慄いた。 「何かお探しですか?」 と店員が声をかけてくる。湊は 「ご、ごめんなさい……少し考え直します」 と言って、そそくさと店を出た。先ほどよりも大きなため息がこぼれる。中古なら買えるかもしれないと気を取り直して、湊は市場へと向かった。そこでは夜市が開かれていて、ランタンの下にいくつもの露店が並んでいた。  湊はその中の一つで足を止めた。調合に使う道具が陳列されている。天秤もあった。「手に取っても良いですか?」と声をかけて、一つずつ吟味し始めた。  目盛りが擦り切れて読めないビーカー、汚れがこびりついている試験管、ボコボコの火皿……。天秤は分銅が錆びていて、まともに測れるとは思えなかった。湊はまた大きなため息をつく。値段以前の問題だった。 不意に背中から「よぅ、クォークじゃねぇか」と声をかけられる。自分が呼ばれたことに気づかず、湊が手元の器具を眺めていると 「無視するんじゃねぇよ」 とダブラーが抱きついてきた。酒とタバコの匂いの近さに、慌てて器具を落としそうになる。 「大切に扱ってくれよ。売りものなんだ」 と商人に怒られて湊は謝り、器具を元の場所に戻す。それを見てダブラーは愉快そうに笑った。 「こんなところで何をしてるんだ?」 「ご覧のとおり、調合に使う器具を探しに来たのです」 「あぁー、やめとけやめとけ」  商人がムッとするのも構わず、ダブラーは続ける。 「これじゃ正確に測れないし、余計なものが混ざっちまうかもしれねぇだろ?」  ダブラーの言うとおりだった。けれども、このままでは家で調合ができない。 「来いよ」 ダブラーが湊の手を掴む。 「どこへ行かれるのですか!」  ダブラーは何も答えない。湊には目もくれずに人混みをかきわけていく。湊の手にダブラーの手のひらのぬくもりがじんわりと伝わってきた。  どれくらい歩いたのか。湊が連れてこられたのはダブラーの店だった。ダブラーは鍵を開け、暗闇の中を慣れた様子で入ってゆく。やがて奥の方でランプの明かりが灯った。  湊は入口に立ったまま、薄暗い店の中を見回す。棚には薬が入った瓶や壺が並んでいた。一つ一つに注文したであろう客の名前が書かれたラベルがつけられている。  ラベルがつけられていない薬もたくさんあった。おそらくストックかもしれない。これだけ在庫があったら、客に頼まれた時すぐに渡せるだろう。良く考えられているな、と湊は感心した。 「何をしてるんだ。早く入れよ」  ダブラーに手招きされて、奥の方へ歩みを進める。作業室はきれいに片付いており、整理整頓されていた。何もないテーブルの上に、ダブラーは空の木箱を置くと、その中にレトルトやら試験管やら器具を詰め始める。 「ダブラー様、いったい何を……」  湊が尋ねるのも構わず、ダブラーは調合に使う器具を一通り詰めてしまった。幾ばくかの材料も添えて。 「これはおまえにやる。調合に使えばいい」 「でも、ダブラー様はどうするのですか?」  他に器具があるようには見えない。 「心配いらねぇよ。また買えばいいんだからな。金は持っているんだぜ」  そう言ってダブラーは腰に手を当てて胸を張る。顔には不敵な笑みが浮かんでいた。  湊は木箱に手を伸ばす。確かにこれだけの器具と材料があれば、薬を作れて注文書を片付けられるだろう。またとないチャンスだった。 「おっと、これを忘れていたな」  ダブラーは、奥の方から天秤を取り出す。使い込まれてはいるが、よく手入れされていて、鈍い光を湛えていた。 「いけません。こんな高価なもの」  先ほど専門店で見た天秤の値段を思い出して、湊は両手を振る。 「天秤が無ければ正確な量を測れないぜ」 確かにその通りだった。ちょっとした量の違いで薬は毒にもなってしまう。 「……あ、ありがとうございます」  湊はいつもの癖で頭を深々と下げた。ダブラーが呆気に取られた顔をする。だが、自分の間違いに気づけないほど湊は嬉しかった。 「……どうして、こんなに優しくしてくださるのですか」  湊にはその理由が分からなかった。いつもダブラーには逆らってばかりで、何もしてあげたことはないのに。 「どうしてだと思う?」  ダブラーの顔が目の前まで近づく。その瞳には湊が大きく映っていた。いつになく酒の匂いが強い。きっと、湊とばったり会う直前まで、どこかで飲んでいたのだろう。湊の脳裏に飲み屋の女の顔が過った。 「これは、有難く使わせていただきますね」 「なんだ。もう帰るのか?」 「ダブラー様だって、飲み屋に行きたいでしょ?」  ダブラーは何も言い返さない。ただ、悲しそうな顔をしているように見えた。それは薄暗いせいかもしれない。 「良い薬を作れよ」  その言葉を背に、湊は店を出た。  家に帰ると、クォークの母親は木箱の中身に目を丸くした。 「どうしたんだい。こんな高価なもの」 「ダブラー様から貰ったんだ。これで良い薬を作れって」 「さすがダブラー、気前が良いね。それで給料はどうしたんだい?」  結局、給料は全然使わなかった。すべてを母親に渡す。最初は嬉々として受け取ってくれたが、中身を見て顔を曇らせた。 「なんだい。あんなに働かせてこれっぽっちかい」 と恨めしげに銀貨を摘まみ上げる。これくらいなら、毎日のパンやチーズが少し良くなる程度だろう。 「これからは僕も調合するから、次の給料はもっと多くなるよ」  そう言って、湊は木箱の中から慎重に天秤を取り出す。託してくれたダブラーのためにも頑張らなければ。そう心に誓うのであった。

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