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第12話 僕の護るべき星2

 聡様がお休みになり、僕は書生の山口さんの部屋に急ぐ。  昼間の「例の件」についてだ。これは内密にしなければならない僕と山口さん、そして綾子様との約束だ。  第一、聡様は一条家の者。僕らがしようとしていることは、一条家の運命を変えてしまう物なのだから。  僕は山口さんの部屋の扉を叩く。 「巧です。山口さん」  すっと扉が開く。 「巧きたか。あがれあがれ」 「お邪魔いたします」  僕は山口さんの下宿部屋に案内される。  畳敷きの6畳の質素な部屋。部屋にあるのは、勉強用の机、本棚、布団、衣類を入れる行李(こうり)だけだった。  華族の家の豪華な調度品とは無縁の、極めてストイックな空間だった。 「例の件の話だよな…?」 「ええ、そうです。綾子様と歌舞伎役者・中村雪之丞を会わせる計画です」 「聡様にも言ってないよな?」  山口さんは真剣な面持ちで、僕に聞く。 「当然です。これは三人だけの約束ですから」 「……よし。それならいい」  山口さんは張り詰めていた肩の力をわずかに抜き、部屋の唯一の入り口である障子戸へ鋭い視線を走らせた。この書生部屋は表玄関のすぐ脇にある。誰がいつ通りがかるかも分からず、少しでも声を張ればどんな些細な音も筒抜けになるほど壁も薄い。  彼は文机の上で所在なげに転がっていた万年筆を手に取り、手元にあるノートの余白に、小さな文字で何かを書き殴った。 「雪之丞の次の公演は、再来週の木曜、祝日。場所は新富座だ。綾子様が観劇にお出ましになることは、すでにお前のお父上の執事の耳にも入っている。問題は、芝居が終わった後の『十五分間』をどう作り出すかだ」  山口さんの声は、ほとんど囁きに近かった。 「十五分……。劇場の楽屋口から人力車へ戻られるまでの時間ですね」 「そうだ。お付きの女中や護衛の者がぴったり張り付いているはずだ。そいつらの目を逸らす役が、お前と俺に務まるかどうか」  僕はごくりと唾を飲み込んだ。華族の令嬢と、世間を騒がせる人気役者との密会。もしこれが発覚すれば、僕たちは即座にこの邸から叩き出され、学資の援助も打ち切られる。それどころか、僕は執事である父に泥を塗ることになるだろう。父ともども責任を負わされ解雇になる可能性もある。  しかし、あの快活な綾子様が、雪之丞の名を聞いた瞬間に見せた、あの切なそうな表情。  助けてあげたい。力を貸してあげたい。そんな気持ちになってしまう。 「やります、山口さん。手はずを教えてください」  僕の決意を確かめるように、山口さんはじっと僕の目を見つめ返した。そして、文机の引き出しから、古びた劇場の見取り図を静かに取り出した。 「……新富座の図面だ。よく見てくれ」  山口さんは文机の上に図面を広げ、細い指先で一つの地点をトントンと叩いた。 「当日の芝居が終わると、綾子様は客席から直接、裏手にある特別控室へと案内される。その後、正面玄関の混雑を避けるために、楽屋口近くの通用門から人力車へ乗る手はずになっている。だが、その通用門へ向かう廊下に、一箇所だけ照明の届きにくい薄暗い角がある」  彼は図面の角地を指でなぞる。そこは、楽屋から伸びる通路と、観客側の通路が交差する結節点だった。 「ここで俺が、お付きの女中を足止めする。当日はあえて劇場の古い知人を呼び寄せておき、廊下で鉢合わせした(てい)で騒ぎを起こすつもりだ。女中たちの注意が俺に向いた、その一瞬……時間にして、およそ二分。お前は綾子様をその先の『楽屋裏の衣裳部屋』へ誘導するんだ」 「衣裳部屋に……。そこに、雪之丞が?」 「ああ。雪之丞にはすでに話を通してある。彼は次の公演の準備を名目に、その部屋で一人で待機しているはずだ」  山口さんはそこで言葉を切り、鋭い視線で僕を見つめた。 「だが、問題は『護衛の男』だ。あいつは旦那様の命令で、綾子様の一歩後ろを片時も離れずに歩くことになっている。女中たちの注意を引くだけでは、あの執拗な男を撒くことはできない。つまり、お前があの護衛の目を完全に逸らす役目を引き受けなきゃならないんだ」  心臓がドクリと大きく跳ねた。もし護衛に怪しまれれば、その場で取り押さえられ、計画はすべて水の泡になる。失敗すれば、執事である父の顔に泥を塗るどころか、親子揃ってこの邸から即座に追い出されるだろう。それだけは避けなくてはならない。…聡様を護れなくなってしまう。 「どうする?」  山口さんの問いかけが、重く静かに部屋へ響く。耳を澄ませば、外の廊下を誰かが通り過ぎる足音が微かに聞こえた。僕はごくりと息をのんだ。 「…山口さんはいいのですか?山口さんは綾子様の事を大事に思われてるのでは…?」 山口さんは首を横に振る。 「いいんだ。俺は綾子様が幸せになってくれれば。俺の想いなんてそれに比べればたいしたことじゃない」  彼は苦笑いを浮かべている。恋に焦がれるということは難しいことなのだと僕にわからせてくれる。  幼馴染で一条家の次男と執事見習いの僕。僕の聡様への想いは…――。 「改めて聞く。巧、どうする?」

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