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第13話 僕の護るべき星3
「やります。僕も綾子様の想いをとげさせてあげたい」
「……そう言ってくれると信じていたよ、巧」
山口さんは張り詰めていた表情を和らげ、心底安堵したように小さく息を吐いた。だが、すぐにその瞳に執事の部下としての、そして一人の男としての真剣な光が戻る。
「計画の核心を話す。当日の護衛を務めるのは、あの実直を絵に描いたような男……高瀬 だ。旦那様への忠誠心人一倍強く、些細な不審の芽も見逃さない。力ずくや、ありきたりな嘘では通用しない相手だ」
山口さんは図面の上に、細い真鍮の文鎮を置いた。
「だからこそ、搦め手で行く。高瀬が最も警戒するのは『外部からの不審者や暴漢』だ。だが、身内……それも、主家を支える執事の息子であり、ご長男の『広樹様からの緊急の伝言』を携えて血相を変えて現れたらどうなる?」
「広樹様からの……伝言ですか?」
「そうだ。芝居の終盤、お前はあらかじめ用意した『広樹様の私印が押された偽の書状』を持って、劇場の廊下を走って高瀬のもとへ向かう。内容は『至急、本邸にて不測の事態が発生した。直ちに高瀬のみ一度戻り、指揮を執れ』というものだ。広樹様の筆跡は、俺が完璧に模写してみせる」
山口さんの言葉に、背筋が冷たくなるのを感じた。広樹様の直筆の偽造。もしもそれが露見すれば、それは単なるお仕置きでは済まない。一条家に対する完全な裏切りだ。
けれど、それ以上に僕の胸を締め付けたのは、先ほど山口さんが見せたあの寂しげな苦笑いだった。
自分の想いを押し殺し、ただ綾子様の幸せだけ願って身を焦がす山口さん。
そして――僕自身の、幼馴染であり主人でもある聡様への、決して口にしてはならない秘めた想い。
それが恋だとはまだわからない。ただ聡様の笑顔を護りたい…それ一心だ。
もしも僕が、聡様に対して綾子様のように誰かを一途に想う情熱を抱いていなかったら、この危険な計画を断っていただろうか。いや、違う。僕の中に眠るその歪な憧れがあるからこそ、僕は綾子様の純粋な恋を、命がけで守ってあげたいと思ってしまっているのだ。
「……わかりました。広樹様の偽の伝令ですね。僕が完璧に演じきってみせます。高瀬さんをそこから引き剥がせばいいんですね?」
「ああ。お前が引き付け、高瀬を通用門から引き離しているその二分間で、俺が綾子様を雪之丞の待つ衣裳部屋へと導く。……巧、お前にすべてがかかっている」
山口さんは僕の肩に、ぽんと強く手を置いた。その手の温もりと重みが、僕の背負うリスクの大きさを物語っていた。
「今日は日曜、決行は木曜日だ。まだ日があるが油断するなよ。聡様、そして長男の広樹様には絶対知られるなよ」
「わかりました。僕も綾子様の幸せなお顔が見たいです」
「…だな」
山口さんは頭をかいて、新富座の図面を仕舞う。
「俺たちとんでもないことしようとしてるよな。それもこれも全て…――俺は綾子様の笑顔が見たいんだ。あの方が笑ってくれればそれでいい」
綾子様の笑顔。僕が聡様の笑顔を護りたいのと一緒だ。僕は山口さんの手を取って「頑張りましょう」と告げる。
僕も山口さんの気持ちがわかる。僕だって聡様の笑顔が見たい。その為に日夜頑張って修行しているのだ。
「高瀬さんは旦那様からの信頼は絶大だ」
山口さんは思い出したように表情を曇らせ、腕を組んだ。
「ああ、知っての通りだ。高瀬は先代のころから一条家に仕え、今や旦那様が最も目をかけ、重要なお役目を直々に任せるほどの男だ。その高瀬を騙すということは、旦那様その人を欺くのと同じこと。万が一にも不審な点があれば、旦那様の耳に直接入ることになる」
旦那様からの、絶対的な信頼。
その事実が、僕の肩にさらなる重圧となってのしかかる。
高瀬さんは単に優秀な護衛というだけではない。一条家の秩序そのものを体現するような存在なのだ。僕の父である執事とも、長年ともに屋敷を支えてきた同志でもある。
もし僕の嘘が見破られれば、僕個人の処分だけでは済まない。父さんのこれまでの忠義も、一条家と築いてきた信頼関係も、一瞬にして瓦解する。
「……わかっています。だからこそ、僕が適任なんです」
僕は自分の震えそうになる声を、無理に抑え込んで微笑んだ。
「旦那様があれほど信頼している高瀬さんだからこそ、執事の息子である僕が血相を変えて持ってきた報せなら、一瞬の隙が生まれるはずです。その信頼の隙間を、僕たちが突くんです」
山口さんは僕の言葉に、痛みをこらえるような、どこか苦しげな目を向けた。
「巧、お前にすべてを背負わせてしまうな。……だが、すまない。頼む」
「お互い様です、山口さん。すべては、あの二人のために」
僕はもう一度強く頷き、今度こそ山口さんの部屋を後にした。
軋む廊下を静かに歩きながら、胸の鼓動は激しく脈打っていた。
旦那様に信頼され、父さんとも繋がりの深い高瀬さんを裏切る。そして、僕が心から慕う聡様を騙す。
その罪悪感と、目的を遂げた先にあるはずの綾子様の笑顔。
複雑に絡み合う感情を胸の奥底に無理やり押し込み、僕はいつも通りの、物静かで実直な「執事見習い」の顔を作って、自分の部屋…といっても大部屋の男部屋…へ向かった。
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