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第14話 僕の護るべき星4

「最近、姉様の部屋に入り浸りじゃない?」  聡様は不服そうだ。 「巧は僕のおつきの執事見習いじゃなかったっけ?」 「それはそうですが、僕はあくまで一条家の執事見習いですので、綾子様の部屋にも行くのですよ」  聡様は口を尖らせる。 「それはわかっているけどさ、巧、最近姉様のとこばかり行ってるよね?」  勘が鋭い聡様。まさか例の件を知っているわけじゃないだろうな。もし聡様が知っていたら僕と山口さんの立てた計画が水の泡と帰す。 「綾子様は綾子様でお忙しいのですよ。それに僕は付き従っているだけです」 「ふーん…」  僕は聡様の前で例の件の話は一切していない。それに不審に思われる行動も取っていない。…はずなのだが。 「巧も姉様の事気に入ってるんじゃないかなーって」 「気に入るとか気に入らないとかじゃありませんよ。僕は一条家の使用人として綾子様とお会いしているだけです」 「ふーん…」  聡様は何を思われているのだろう。 「……それなら、いいんだけど」  聡様は、手元にあった高価な硝子(がらす)のペーパーウェイトをもてあそびながら、ふいにつまらなそうな声を漏らした。丸くて大きな瞳で値踏みするような光を帯びて僕の顔に注がれる。 「巧は僕だけのもの、って言ったら怒る?」 「……。からかわないでください、聡様」  僕は努めて冷静な声で返し、お茶の準備を整えるふりをして手元に視線を落とした。  トレイの上で、磁器のカップが微かにカチリと音を立てる。心臓の鼓動が、その軽い音に呼応するように激しく跳ねていた。  聡様は、ただ僕が綾子様のもとへ通っていることに対して、独占欲や、ちょっとした寂しさを募らせているだけなのだろうか。それとも……僕たちの裏に隠された「計画」の気配を、持ち前の鋭い勘で嗅ぎ取っているのだろうか。 「からかってなんかいないよ。僕は、巧が他の誰かのために一生懸命になっているのを見るのが、あんまり面白くないだけ」  聡様はペーパーウェイトを机にコトリと置くと、椅子の背もたれに体を預け、薄い唇の端を少しだけ吊り上げた。 「もし、巧が僕に隠し事をしているんだとしたら……。僕はちょっと、悲しいな」  その言葉に、背筋を冷たい汗が伝い落ちる。  聡様は微笑んでいるけれど、その奥にある瞳は、すべてを見透かそうとするかのように冷徹で、そしてひどく孤独に見えた。  ここで一歩でも引けば、すべてが崩れ去る。山口さんの悲壮なほどの覚悟も全部台無しだ。ここまできて、それだけは避けたい。  僕は呼吸を整え、意を決して聡様の正面に立ち、真っ直ぐにその瞳を見つめ返した。 「今まで僕が聡様に構い過ぎていただけです。確かに僕の主人は聡様であることは変わりません。ですが、僕も一条家の使用人の一人なのです」 「一条家の使用人かあ。でもその前に巧は僕の執事だからね。主人をほったらかしにするのは良くないと思うけどな」 「特段、僕は聡様を放っているわけではありません!」 「放っているわけではない、か……。じゃあ、なんで最近の巧は、そんなに遠くにいるように見えるんだろうね」  聡様は首を小さく傾げ、ふっと笑みを深めた。だが、その笑みはどこか脆く、今にも壊れてしまいそうな危うさを孕んでいる。 「僕が庶子だから?いつか一条家から追い出されるかもしれないから、今のうちに次の乗り換え先を探しているの? ……それとも、僕には言えないような『一条家の仕事』を、お父様から直接命じられているのかな」  核心に迫るような、あるいは僕の忠誠心を試すような言葉が、静かに部屋の空気を侵食していく。 「滅相もございません!」  声を荒らげそうになるのを必死に堪え、僕は一歩、聡様の方へと踏み出した。ここで怯めば、山口さんが命懸けで守ろうとした「秘密」も、そして僕と聡様が築いてきた信頼関係も、すべてが本当に終わってしまう。 「僕は一条家の人間として動いているのではありません。ただ……聡様がこのお屋敷で、より確固たる地位を築くために、今どうしても動かさねばならない駒があるのです。そのために、少しばかり席を外すことが増えたのは事実です。ですが、私の主人は、後にも先にも聡様、お一人だけでございます」 「動かさねばならない駒……?」  聡様は僕の言葉を繰り返した。その瞳に宿る冷徹さが、わずかに揺らぎ、困惑の色が混じる。 「それは、山口のこと?」  その名前が聡様の口から出た瞬間、心臓が跳ね上がった。  聡様はすべてに気づいているのか。それとも、僕の動揺を誘うための揺さぶりなのか。背中を流れる汗が、いっそう冷たく感じられた。  聡様は勘が鋭い。もしここで山口さんと頑張っている綾子様の恋の応援をしていることがわかってしまったら、僕たちの努力、ひいては綾子様の立場さえ危うくなる。  綾子様や僕たちのしていることは、名家の華族、一条家を裏切る行為だ。それでも綾子様の真剣な恋を応援したい。…僕自身の、幼馴染であり主人でもある聡様への、決して口にしてはならない秘めた想いがある限り。 「……山口さんが、どうかいたしましたか?」  僕は極力、声を平坦に保ちながら問い返した。視線を逸らせば負けだ。聡様の鋭い観察眼は、わずかな瞬きや呼吸の乱れすら見逃さない。 「最近、巧がよく山口と話し込んでいるのを見かけるからさ。山口は書生でこの家に仕えてるからねー」  聡様はふっと表情を和らげ、ベッドの端から立ち上がった。一歩、また一歩と僕との距離を詰めてくる。その足音が、まるで僕の心臓の鼓動を刻んでいるかのように大きく響いた。 「違った?僕の買い被りかな」  目の前まで来た聡様が、じっと僕の顔を覗き込む。その瞳にあるのは、疑心だけではない。僕を失うかもしれないという、微かな、だが根深い恐怖と孤独。  その光に胸が締め付けられる。 (聡様……僕は、あなたを裏切りたいわけじゃない……!)  僕の心は、いつだってこの人のためにある。幼い頃からずっと、庶子として冷遇される彼を側で支え、いつかこの一条家で誰よりも高く羽ばたいてほしいと願ってきた。そしてその願いの底には、従者としての忠誠だけではない、決して許されない身分違いの思慕が眠っている。  だからこそ、政略結婚という家主たちの都合に縛られ、愛のない婚姻を強いられようとしている綾子様の姿が、他人事とは思えなかったのだ。もしここで綾子様の恋を助ければ、それは一条家への反逆になるかもしれない。けれど、誰かを狂おしいほどに想う痛みが分かるからこそ、僕は手を貸さずにはいられなかった。 「確かに山口さんとはよく話します。それは個人的な相談というか、山口さんの個人的な相談に乗っていたに過ぎません。  一条家の使用人の間で、少々揉め事がありまして……。聡様の耳を煩わせるほどのことではないと判断し、僕は動いておりました。不安にさせてしまい、申し訳ございません」  僕は深く頭を下げた。視界が遮られ、床の絨毯だけが見える。  聡様は僕の言葉をどう受け止めるだろうか。僕の背中に注がれる彼の視線を、僕は肌で感じようと身を固くした。 「山口と姉様…巧は何かしているの?」  聡様の勘が怖い。一言一言が僕を射貫く。僕は上手く答えられない。刹那、聡様から言葉が降ってくる。 「巧、何で黙ってるの?やっぱり山口と姉様と巧は何かしようとしているんだね、僕に黙って!」  書生の山口さんの綾子様への悲痛な想いがここで台無しになってしまう。綾子様の恋が崩れてしまう…それだけは避けたい。僕は知恵を巡らせる。 「……違います!聡様、それだけは断じて違います!」  僕は顔を跳ね上げ、あえて強い口調で聡様の言葉を遮った。動揺を隠すための嘘。これしか、この鋭い追及を逸らす術はない。 「山口さんと綾子様が、何かをしているわけではございません。お二人は……何も、関わってはいないのです」 「……じゃあ、どうして巧がそんなに必死な顔をするの?隠し事がないなら、最初からそう言えばいいじゃないか」

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