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第15話 僕の護るべき星5

 聡様は、僕の必死さに拍車がかかるほど、疑惑の目を深くしていく。彼の冷たい瞳が、僕の偽りを見透かそうとじっと注がれていた。僕はごくりと喉を鳴らし、心臓の爆音を無視して、あらかじめ脳内で組み上げた「もう一つの真実」を口にした。 「……山口さんが相談してきたのは、ご自身の将来のことです。一条家の書生として、この先どう身を立てるべきか……そのことで、彼は深く悩んでおられました」 「書生の進路の相談?それがどうして、姉様と結びつくの」 「……綾子様には、素晴らしい縁談のお話が進んでおります。ですが、山口さんはそのお相手となる家柄や、それに伴う一条家の今後の動向について、書生という客観的な立場から危惧を抱いておられたのです。  もしこの婚姻が一条家にとって不利益なものになれば、書生であるご自身の立場も危うくなる。だからこそ、お家の内部事情に詳しい僕に、探りを入れるような相談してきたのです」  僕は一気にまくしたて、さらに声を絞り出すようにして続けた。 「僕が言えなかったのは、山口さんのその懸念が、どこか一条家の決定を疑うような、不敬にあたる内容だったからです。そんな不確かな心配事を聡様のお耳に入れて、余計なご心痛をおかけしたくはございませんでした。綾子様は、何もご存じありません。  ただ、何も知らずに縁談を進められている綾子様と、裏でその行く末を案じている書生の存在が、僕の胸を痛めたのは事実です。ですが、本当にお二人が直接通じ合っているなどということは……決して、ございません」  すべては山口さんの個人的な「将来への不安と、お家への不敬な懸念」によるもの。綾子様はただの無関係な当事者。  そう仕立て上げることで、僕たちは何も関係がない「僕の勘違いと、山口の独りよがりな心配」という枠に押し込めようとした。 「……本当に、それだけ?」  聡様は、僕の顔をじっと見つめ、その嘘の綻びを探そうとしている。僕の胸に置かれた彼の掌から、トクトクと脈打つ彼の鼓動が伝わってくるようだった。 「…それだけでございます。聡様に不安を抱かせたこと、誠に申し訳ありませんでした」  僕は再度、聡様に頭を垂れる。 「巧は僕だけの命令に従えばいいのに…」 「…は?」 「僕だけを見て、僕だけの話しを聞いていればいいんだ、巧は!姉様の部屋ばかり行ってないで!」 「え……?」  頭を下げたままの僕の視界が、一瞬で真っ白になった。  聡様から放たれた言葉の意味を、脳が上手く処理できない。  ――姉様の部屋ばかり行ってないで。 (どうして、そんなことを……) 「どうしてそんなに驚くの?僕が何も知らないとでも思った?」  聡様の手が、僕の顎を強引に持ち上げた。  拒めずにはじかれた視線の先。そこにあった聡様の顔は、泣き出しそうなほどに歪んでいて、けれどその瞳の奥には、狂気にも似た暗い執着が渦巻いていた。 「巧が最近、僕の目を盗んで何度も姉様の部屋へ行っていることくらい、気づかないわけがないだろう。僕の執事のくせに。僕の、たった一人の……」  そこまで言って、聡様はきつく唇を噛み切った。「庶子」として蔑まれ、張り詰めた家の中で孤独に耐えてきた彼が、唯一、無条件に自分だけの味方だと信じ込んでいた存在。それが僕だったのだ。 「山口の相談に乗るためだなんて、そんなの嘘だ。そんな顔、僕の前ではしたことがないのに……どうして姉様たちのために、そんな必死な目で僕に嘘を吐くの?」  向けられる剥き出しの感情に、胸が引き裂かれそうになる。  僕の不実が彼をどれほど深く傷つけたか、その涙を堪えるような瞳が物語っていた。けれど、本当の理由――身分違いの恋を応援しているのだなどと、この人に言えるはずがなかった。僕自身が、この人に決して実ることのない、許されぬ「思暮」を抱いているからこそ。 「……聡様。僕は、ただ……」 「もういい、言い訳は聞きたくない!」  聡様は僕の声を遮り、僕を軽く突き飛ばす。僕はよろけて床にしりもちをつく。聡様はベッドに突っ伏して泣いていた。 「聡様―――…」  僕は一番泣かせたくない人を泣かせてしまった。僕が笑顔を護ると誓ったのに、この人だけは護ると僕の一生をかけて…!  僕はいたたまれず、聡様の部屋を逃げるように出て行った。  聡様は大きな勘違いをしている。山口さんと綾子様が通じ合っていると思っているようだが、お二人は恋仲などではない。綾子様が命懸けで想いを寄せているのは、全く別の、今、名を轟かせている舞台役者の男だ。  そして山口さんは、彼らの切ない恋の架け橋になろうと、一条家の書生という立場を危うくしてまで動いていたに過ぎない。僕はその山口さんの悲壮な覚悟に共鳴し、綾子様の部屋へ手紙を届ける手助けをしていたのだ。 (もし聡様が、山口さんと綾子様が通じ合っていると思い込んだまま旦那様に密告でもしたら、それこそ取り返しのつかないことになる)  事実とは違う形で二人の立場が危うくなるだけでなく、有名役者の彼まで築き上げてきた名声を一条家の権力に踏み潰されてしまうかもしれない。それに何より、聡様は今、僕に裏切られたという誤解の中、一人きりで泣いているのだ。 「違うんだ……聡様。僕はあなたを裏切ってなんかいない……!」  僕の心にあるのは、いつだって聡様だけだ。他の誰のためでもない。ただ、身分違いの恋に苦しむ綾子様たちの姿に、聡様への実らぬ思慕を抱く自分を重ねてしまい、独断で動いてしまっただけなのだ。  どれほど拒絶されようと、今すぐ聡様の元へ戻り、誤解を解かなければならない。たとえ役者との恋という本当の秘密をどこまで明かすべきかという泥縄の交渉になろうとも、聡様が「自分は巧に裏切られた」と絶望したまま今日を過ごすということだけは、絶対に阻止しなければならない。  僕は呼吸を整え、聡様の部屋の扉を叩いた。 「聡様、巧です。開けてください」  静まり返った廊下に、僕の声が切迫感を帯びて響く。  中からの返事はない。ただ、扉の向こうで息を潜めるような、微かな気配だけが伝わってきた。 「聡様、お願いです。すべて、本当のことをお話しします。だから……開けてください」  もう一度、今度はすがるように扉を叩いた。  しばらくの痛いほどの沈黙の後、カチャリ、と内側から鍵の外れる冷たい音がした。ゆっくりと開いた扉の隙間から、赤く腫らした目で僕を睨みつける聡様の顔が見える。 「……何の用?言い訳なら聞かないって言ったはずだよ。それとも、姉様たちのためにまだ僕に嘘を重ねに来たの?」  拒絶の言葉とは裏腹に、その声はひどく震えていた。僕は躊躇うことなく部屋の中へと一歩踏み込み、自らの手で背後の扉を静かに閉めた。 「嘘などつきません。聡様、大きな誤解があるのです。山口さんと綾子様は、決してそのような仲ではございません」 「誤解?だって巧は姉様の部屋に何度も……」 「それは、お二人のためではありません。綾子様が命懸けで想いを寄せられているのは、山口さんではなく……今、名を轟かせている、ある舞台役者の男なのです」  聡様が息を呑むのが分かった。思いもよらない名前に、彼の瞳が動揺に大きく揺れる。 (山口さん、綾子様…ごめんなさい…) 「山口さんは……その役者の知り合いなのです。一条家の書生という立場を失うリスクを背負ってまで、綾子様の切ない恋の架け橋になろうとしていたに過ぎません。僕は、その山口さんの覚悟に……どうしても、他人事とは思えず共鳴してしまい、手紙の仲介を手伝っておりました。お家を裏切るような真似をして、誠に申し訳ございません」  僕はその場に膝をつき、深く頭を垂れた。 「ですが、これだけは信じてください。僕の心にあるのは、いつだって聡様、お一人だけです。他の誰のためでもありません。僕が護りたいのは、この世界でただ一人、聡様だけなのです」  絨毯を見つめる僕の視界に、聡様の足元が近づいてくるのが見えた。彼は僕の前にしゃがみ込み、まだ震える手で、僕の肩をきつく掴んだ。 「……じゃあ、なんで。なんで他人の恋なんかに、そこまで必死になるの。僕に黙って、そこまでリスクを冒す理由なんて、ないじゃないか……!」  泣き出しそうな、しかし答えを渇望する聡様の視線が、僕のすべてを暴こうと突き刺さる。隠し通すべきだった。けれど、彼の誤解を解き、信頼を取り戻すためには、もう僕の胸の奥底にある「本当の理由」を曝け出すしかなかった。 「僕らがしていることは一条家への裏切り行為に他なりません。でも、家に縛られる綾子様のお力になりたかったのです。それを必死で支える山口さんの想いを無碍にできなかった。――危うい恋を応援したかったのです…」 「危うい恋を、応援したかった……?」  聡様は僕の言葉をなぞるように、掠れた声で呟いた。肩を掴む彼の指先に、さらにきつく力が込められる。痛いほどの手の震えが、衣服を通してダイレクトに伝わってきた。 「そんなの、理由になっていないよ。巧はいつだって冷静で、僕のためならどんな危険も冷静に計算できる人なのに。他人の……それも、姉様と役者の無謀な恋なんかのために、一条家を敵に回すような真似するなんて、絶対におかしい」  聡様は泣き腫らした瞳で、僕の顔を凝視した。その目は、僕がまだ何かを隠していると確信している。これ以上の誤魔化しは通用しない。僕は覚悟を決め、ごくりと喉を鳴らした。

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