16 / 23

第16話 僕の護るべき星6

「……重ねて、お許しください。僕は、お二人の姿に、自分を重ねてしまっていたのです」 「自分を……?」 「はい。決して実ることのない、身分違いの、許されぬ恋に苦しむ姿を、僕は放っておけませんでした。誰かを狂おしいほどに想い、それでも決して報われないと知りながら足掻く痛みが……僕には、痛いほど分かってしまったからです」  一瞬、部屋の空気が凍りついたように静まり返った。  聡様の瞳が大きく見開かれる。僕の言葉が意味するところを、彼が理解していくのが分かった。 「巧が、身分違いの恋……?誰に、誰を想っているの?」  震える声で問いかけてくる聡様を見つめ、僕は静かに、しかし決然と微笑んだ。  もう、引き返せない。この想いを口にすれば、僕は二度と彼の「ただの従者」ではいられなくなるかもしれない。それでも、彼に裏切られたという絶望を抱かせたままにするよりは、僕のすべてを差し出した方がマシだった。 「聡様。僕がこの一生をかけて笑顔を護ると誓った御方は、後にも先にも、あなたお一人だけでございます」  僕は頭を下げず、真っ直ぐにその瞳を見つめた。 「僕の心にあるのは、従者としての忠誠だけではございません。決して口にしてはならない、実るはずもない不遜な想いを……僕はずっと、あなたに抱き続けてまいりました。だからこそ、家に縛られ、愛のない婚姻を強いられようとしている綾子様の姿が、他人事とは思えなかったのです。……これが、僕の隠し事のすべてです」 「―――!巧が僕を……―――?」  聡様は大きな目を丸くしていた。  まさか幼馴染で従者だと思っていた男からそんな告白を受けるなんて思ってもみなかっただろう。もうこれでもうただの主従にも幼馴染にも戻れない。それでも聡様に絶望されるよりはいい。僕はただ真っ直ぐに聡様を見ていた。それ以上僕には何もできないのだから。  すると、聡様は何を思ったのか僕の体をぎゅっと抱きしめてきた。 「ありがとう、巧。僕も巧の事が大好きだよ、ずっとずっと前から――」  まさかの聡様からの言葉に僕は硬直した。 「え……?」  聡様の体温が、驚きで強張った僕の体にじんわりと染み込んでいく。  耳元で囁かれたその言葉が、現実のものとして脳に届くまで、酷く時間がかかったように感じられた。  大好きだよ、ずっとずっと前から――。 (聡様が、僕を……?) 突き放されることも、軽蔑されることも覚悟していた。主従という境界線を自ら踏み越え、二度と元の関係には戻れないと絶望の淵に立っていた僕にとって、その腕の強さと温もりは、あまりにも予想外で、あまりにも救いに満ちていた。 「聡様……、それは……どういう……」 掠れた声で問いかけながら、僕は恐る恐る、自分の腕を彼の背中に回した。抱きしめ返すその手が、歓喜とまだ消えぬ信じられない気持ちで小さく震える。 聡様は僕の肩に顔を埋めたまま、さらにぎゅっと腕に力を込めた。その呼吸はまだ少し荒く、 泣きじゃくった後の熱を帯びている。 「巧が僕を置いてどこかに行っちゃうんじゃないかって、本当に怖かったんだ。姉様のことばかり気にして、僕に嘘まで吐いて。でも、違ったんだね。巧の心がずっと僕のところにあったなら、僕は」 そこまで言って、聡様はゆっくりと体を離し、僕の顔を正面から見つめた。 赤くなった目には、先ほどまでの冷徹な疑心や孤独な影はどこにもなく、ただ僕への純粋で、どこか執着の混じった深い気持ちが揺れている。 「ねえ、巧。じゃあ、これからはもう僕に隠し事はなしだよ?姉様の恋を助けるのも、僕を裏切るためじゃないって分かったから許してあげる。でも、僕が一番だよね?」 幼馴染の甘えと、一条家の人間としての独占欲が入り混じったその瞳に射抜かれ、僕の胸は激しく高鳴った。身分違いの恋だと諦めていたその人が、今、僕と同じ熱量で僕を求めている。 「……もちろんでございます、聡様」 僕は愛おしさを堪えきれず、彼の濡れた目元をそっと指先で拭った。 「僕の命も、心も、すべては最初からあなた様のものです。これから先、何があろうとも、僕が最もお慕いし、お護りするのは聡様だけです」 一条家という巨大な壁や、綾子様たちの危うい計画など、問題は山積みのままだ。それでも、この人の心が僕と共にあると知った今、もう恐れるものなど何もなかった。 「…で、姉様の相手は誰なの?僕も協力者になるんだから教えてくれるよね、巧?」 僕は観念して、綾子様の最愛の人の名を出す。 「中村雪之丞です。今をときめく歌舞伎役者です」 聡様は瞠目する。 「え!…あの中村雪之丞なの!僕の学友のお母様たちに大人気だよ!あの人素敵だって!姉様、凄いなあ…」 聡様は綾子様に感心している。僕は中村雪之丞をあまりよく知らない。知らないのに協力しているというのも不思議な話だが。 「……そうなのですか。僕はあまり芝居のことに詳しくないもので、その方がどれほど名の売れた役者か、今のお話を聞くまで実感が湧いておりませんでした」 僕は少し困ったように微笑みながら、正直に打ち明けた。ただ、山口さんのあの必死な形相と、手紙を抱きしめる綾子様の幸福そうな横顔を見れば、彼らの恋がどれほど真剣で、そしてどれほど危険なものであるかは嫌というほど分かっていた。 「巧、本当に芝居に疎いんだから」 聡様は少し呆れたように、けれど嬉しそうにクスリと笑った。僕を独占したいという先ほどの狂気的なまでの切迫感は消え、いつもの年相応な彼に戻っている。 「でも、それなら納得がいったよ。あの中村雪之丞が相手なら、お父様が知ったら大騒ぎどころじゃ済まない。一条家の次女が、いくら人気とはいえ役者と懇ろになっているなんて、絶対に許すはずがないもの。山口が立場を賭してまで動くわけだね」 聡様はベッドの縁に腰掛け、顎に手を当てて考え込み始めた。その横顔は、先ほどまでの「泣いていた恋人」から、徐々に「冷徹な計算のできる一条家の人間」へと戻りつつある。 「ねえ、巧。僕もその計画、一枚噛ませてよ」 「聡様……?いけません、これはお家に対する明白な裏切り行為です。聡様まで泥を被る必要は――」 「違うよ」 聡様は僕の言葉を遮り、悪戯っぽく、しかし冷徹な光を宿した瞳をこちらに向けた。 「姉様の恋を応援するんじゃない。僕は、姉様と中村雪之丞の恋を『利用』して、あの叔父上とお父様の鼻を明かしたいんだ。それに、巧が僕に内緒で危ない橋を渡るくらいなら、僕がその橋をそっくり買い取って、安全に渡らせてあげる方がずっといい」 そう言って、聡様は僕の手をとり、自分の膝の上でぎゅっと握りしめた。 「教えて、巧。今、二人の計画はどこまで進んでいるの?」 「…今度の木曜日の祝日、雪之丞の公演があるのです。その公演の終了時の後、綾子様と会わせる予定です。山口さんが念入りに友人知人を介して作り上げた計画です」 聡様はふん、ふんと僕の説明を聞いていた。

ともだちにシェアしよう!