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第33話 僕の護るべき星22
下には、瑠璃子様を乗せた馬車を見送る広樹様の姿があった。太陽の光を一身に浴び、穏やかで頼もしい笑みを浮かべたその立ち姿は、一条家の希望そのものに見える。胸ポケットには、あの日聡様が贈った黒漆の万年筆が今も誇らしげに覗いていた。
「……広樹様は、本当にお幸せそうでございますね」
僕が静かに応えると、聡様は「うん」と頷き、どこか歪んだ愛おしさを込めて目を細めた。
「叔父様たちが消えて、兄様の周りはすっかり綺麗になった。兄様は何も知らず、誰も傷つけず、ただ『正しく優しいお兄様』でいられる。……僕たちが、兄様の影を全部取り払ったからね」
聡様はゆっくりと僕の方へ振り返った。日差しの中にいる広樹様とは対照的に、廊下の深い陰の中に立つ15歳の主人は、恐ろしいほど冴え冴えとした美しさを纏っている。
「でもね、巧。分家が倒れても、この古い屋敷にはまだまだ陰謀や欲望が渦巻いているんだ。今度は長老たちが、僕の婚姻や扱いについて怪しい動きを見せ始めているよ」
「……長老様方が、聡様をですか」
「そう。僕を誰か別の華族の家へ押し込めようとしたり、扱いやすい駒にしようと企んでいるみたいだ。……滑稽だよね。僕たちをただの『幼い子供』だと思っている大人たちは、本当に愚かだ」
聡様は僕に近づくと、僕の手をそっと取り、自分の胸元へと引き寄せた。華奢な少年の胸の奥で、トントンと静かに、けれど強く脈打つ鼓動が手を通じて伝わってくる。
「巧。僕をこの屋敷から引き離そうとする奴らも、巧と僕を引き裂こうとする奴らも……全員、消えてもらうよ。……手伝ってくれるよね?」
その瞳には、最愛の兄を太陽の下に置くために悪魔となった冷徹さと、僕という存在に執着する狂おしいほどの情念が宿っていた。
「もちろんでございます、聡様」
僕はひざまずき、聡様の手の甲に静かに唇を寄せた。
「あなたを脅かすもの、あなたと僕の間を割ろうとするものは、この手がどれほど黒く染まろうとも排除いたします。僕はどこまでも、あなたの影ですから」
「…ありがとう、巧」
聡様は可愛らしく微笑むと、僕の頭を優しく撫でた。
太陽の光を浴びて祝福される兄の影で、15歳の主従は人知れず手を携え、さらなる闇の中へと足を踏み出していく。この解けることのない歪んだ結び目は、一条家という巨大な館を、静かに、そして確実に蝕み続けていく。
それでも――僕が聡様を護る日常に揺らぎはない。たとえその道がどれほど歪み、穢れてしまおうとも。
僕は聡様と一蓮托生だ。この身が炎に焦がされようと、ともに地獄へ堕ちて行こうと。
「巧、次の議題は何?一条家に関わる事?それとも僕個人への話かな?」
「どちらも、でございます。聡様の御身を縛る一条家の古い鎖を、ひとつずつ断ち切るための計画ですから」
僕が差し出した羊皮紙風の書類を、聡様は愛おしそうに指先でなぞった。そこに記されているのは、二人の仲を裂こうとした者たちの「落とし所」――社会的な失脚、あるいはそれ以上の惨劇の筋書きだ。
「本当に頼もしいね、巧。君がいるから、僕は安心して『良い子』でいられるんだ」
聡様はひざまずく僕の頬に手を添え、指先で優しく撫でた。
その手は冷ややかで、けれど僕の肌を焼き尽くすほどに熱い。
「聡様が光の中で咲き誇るためなら、僕はどのような泥にも汚れましょう」
「知っているよ。だから僕は、君以外の誰も信じない」
囁くような声とともに、聡様の唇が僕の額に触れた。それは祝福のようでもあり、永遠に解けない呪いのようでもあった。
一条家という巨大な棺の中で、僕たちは互いを毒しながら、互いだけを糧にして生きていく。
広樹様が眩しい光を浴びるその陰で、僕と聡様は固く手を結んだまま、静かに、けれど確実にこの館を侵食していくのだ。
「行きましょう、聡様。あなたの望む結末へ」
「うん。……僕と君の、終わらない夜へ」
聡様が差し出した手を、僕は取った。
その手を、もう二度と離すつもりはない。
光の中には広樹様がいる。
その光からこぼれ落ちた僕たちは、二人だけの夜を歩いていく。
どこまでも。
たとえ、その先が地獄だったとしても。
完
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