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第10話 月に焦がれるきらきら星#6
「――じゃあ、仕事行ってくるからね。昴、ちゃんと昼食取るんだよ」
「大丈夫だって、分かってるよー。ちゃんと食べるって」
帰国から一夜明けた朝。玄関でコートを羽織りながら親のような小言を言う理月に向けて、昴は口を尖らせた。理月も「昴、すぐ食べるの忘れるから心配なんだよ」と口を尖らせ、言葉を続ける。
「なるべく早めに帰れるようにするから、夕飯は一緒に食べよう。帰りの時間が分かったらまた連絡する」
「うん。りっちゃん、行ってらっしゃーい」
昴はひらひらと手を振り、玄関で理月を見送った。ドアがぱたんと閉まったところで、ふう、とひとつ息を吐く。
「りっちゃんは、ほんと相変わらずだなぁ~……」
そうひとりごちて、昴は首の後ろに手を当てた。相変わらずの子ども扱いだ。
なんと驚くことに、好きだと自覚してから十二年経っても付き合えていない。というか、今の状況は一般的に見たら付き合っていると言ってもいいのではないかと思う。
性的な接触がないというだけで、理月の気持ちが恋かは分からないけれどめいっぱい愛されていることは感じているし、昴もめいっぱい理月に愛を伝えている。とは言え、同居していることは周りに隠されているけれど。
これまで、理月が言うところの『世界的に有名なピアニスト』になるため脇目も振らずに必死に生きてきた。高校の頃からピアノの動画配信を始めたのもその一環だ。国際コンクールに優勝した時、理月が電話越しに『おめでとう』と言って自分のことのように泣いていた声が今も耳に残っている。
全ての努力は、昴にとって有名なピアニストになるためで――それと同時に、理月の隣に並び立っても見劣りしない男になるためでもあった。
『近い将来、君は今世紀で一番有名なピアニストになる』と理月に言われたあの日から、その言葉を信じて走り続けている。
ピアノは大好きで、純粋な気持ちで弾いている。けれど、指が理月と出逢う前とは違う音を奏でてしまう。恋に弾む音、恋に落ち込んだ音、欲が乗った音。今や昴の紡ぐ音には、煮詰めに煮詰めた理月への恋心が溢れている。
演奏だけではなくて、言葉でも態度でも好きだと伝えているし、告白だって何度もしてる。けれど、言っても言っても伝わらない。もしくは、分かっていないふりで流されているのか。流されているのだとしたら脈が無いってことで、伝わっていないのだとしたらあまりにも鈍すぎる。藤原家の御曹司として生まれ育った彼だから、どちらの可能性も有り得る話だ。
ずっと理月に恋してる。性欲だって、人並みにある。理月の心も身体も全部が欲しい。どうにかギリギリ自制して友達の枠に収まっているだけで、いつだって友達以上になりたいと思ってる。
理月は今も昔と変わらず、息を飲んで見入ってしまうほど綺麗だ。最初から大人びた顔立ちをしていたから外見の印象は歳を重ねた今もあまり変わっていない。
幻滅したことなんて一度もない。理月の存在丸ごと、全部が好きだ。
とびきり頭が良いくせ、少し抜けたところがあるところ。冷たい印象を受ける涼やかな顔立ちなのに、チューリップのように可愛く笑うところ。大人びた見かけによらず苦いものがあまり好きではなくて、実はビールやコーヒーは苦手なところ。お酒を飲むとぐでぐでに酔っ払って赤くなるところ。べたべたに甘やかしてくれるけれど、冷静でドライなところ。他人に線引きしているのは自分のくせに、本当は寂しがり屋なところ。全部、全部、全部。
「……はあ。もう既に会いたい」
肩を落として自室に入り、白黒の鍵盤へと手をかざす。
衛星となることを受け入れてしまっている理月が、昴の気持ちを恋だと認識した時にどう答えるのか――それだけが怖い。けれど、引き下がらないと決めて帰国している。
今年こそは、と胸に誓い、最初の和音を部屋に響かせた。
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