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第55話 ひとつの時代#5

「――父さん、失礼いたします」  執務室の重たい扉を叩き、扉越しに父へと声を掛けた。「ああ。入りなさい」という短い返事を聞いて、扉を開ける。デスクに着いている父は、理月に次いで入ってきた昴を見て僅かに驚きの色を顔に浮かべた。   「日向くんも同席か?」 「はい。昴と一緒に、父さんにお伝えしたいことがあります」 「親子水入らずの席にお邪魔をしてしまい申し訳ありませんが、私も同席させてください」  重厚な執務机の対面に昴と隣り合って立ち、まっすぐ父を見つめて言う。隣の昴も、同じように父を見ていることだろう。   「……言ってみなさい」  低く落ち着いた声でそう口にした父の表情には、もう驚きの色はなかった。こちらを測るようにまっすぐ見つめ返される。 「――単刀直入に言います。僕は、友人ではなく恋人として、昴さんと交際させていただいています。生涯添い遂げる所存です。跡継ぎとして、父さんの期待に背く願いだと承知しております。ですが、今後とも仕事に励み、藤原グループのより良い発展のために尽力致しますので、どうか許していただけないでしょうか」  気圧される前に言おうと決め、そこまで一気に口にした。  跡継ぎは望めない。藤原の価値観からすれば同性との交際だなんて言語道断で、外聞も悪いことだろう。親族に交際を伏せたとしても、生涯独身でいることにはなるのだから。  だけど、それがどうしたという話だ。結婚して子をなして一人前だなんて、そんなの意味がわからない。ご先祖様のありがたいお言葉なんか、現代で役に立つようなもんじゃない。    父の駐在時代はメールがなくて、国際電話とFAXでやり取りしていたと言っていた。その時代に書かれたマニュアルは、今や使い物にならないことだろう。人の価値観だって、時代と共に移り行く。 「理月さんの仰る通りです。私も、理月さんと生涯を共にしたいと思っております。これまで私は、理月さんの隣に立っても見劣りしない人間になれるよう尽力して参りました。理月さんと比べればまだまだ未熟者で、至らぬ点もあろうかと思いますが、必ず理月さんを幸せに致します。交際を認めていただけないでしょうか」  隣で昴が小さく頷き、そう続ける。緊張なんて感じない、堂々としたものだった。  父は「ふう」と小さく息を吐き、何を考えているのか推し量れない表情を浮かべる。 「はっきり言わせてもらうが――同性愛というのは、上の世代にとっては異色なものだ。私が若い頃は、同性のことが好きだなんて言えば病気扱いだった。その中でも、藤原の家は特別その色が強い」 「……存じております」  返ってきた言葉は、想定内と言えば想定内だった。そういう家柄だということは言われなくとも分かっている。   「藤原の跡継ぎとして働く気があるとしても、次代の跡継ぎを望むことはできず、籍を入れることも叶わない。そうなれば、たとえ秘密裏に交際を続けたとして、いずれ他者の悪意に晒されるだろう。予期せぬ形で知られてしまう可能性もある。独身でいれば幾度と縁談の話が持ち込まれ、その度に断れば角が立つ。子を設けない選択は、親族内での権力争いの火種にもなりかねない」  淡々と続けられる父の言葉は、何も間違ってなどいない。そんなことは、ずっと昔から分かっている。 「存じております。身勝手と分かっていますが、言わせてください。これまで僕個人の感情より、家を優先してきました。ですが、昴だけは……好きな人だけは、僕個人の意思で選びたい。手放したくありません。勝手をお許しください」  幼いころは、いろんなことを諦めてきたと思う。両親と手を繋いで歩く学友が羨ましかった。父と手を繋いで歩いてみたかった。一緒に寝てほしかった。習い事ばかりじゃなくて、友達と遊びに行きたかった。本当は――ピアニストになりたかった。    折り合いを付けて、そういうものだと諦めてきた。敷かれたレールの上を歩けば、誰もが羨む輝かしい人生を送れるのだから、それを不幸だなどと思うのはとんだ贅沢だろう。けれど今、昴を諦めてしまえば、先にある輝かしい人生は空しいハリボテのまやかしになるのだと思う。

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