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■1 街灯の下で、Cプリンスと出会う

姉から、共有タブレットを押しつけられた。 夕飯のあとだった。 俺はリビングのソファでだらだらしていて、姉はテーブルの上に菓子と充電器と謎のメモ帳を並べていた。 「晴人」 「嫌な予感がする」 「いい予感だよ」 「姉貴がそう言う時は、だいたい俺に不利益がある」 「鋭い」 「認めるな」 姉は、タブレットの画面を俺に向けた。 画面には、やたら綺麗なタイトルロゴが表示されていた。 【蒸界プリンセス・コード】 歯車。 蒸気。 王冠。 夜空を走る魔導列車。 ネオンの街。 いかにも金がかかっているSNS乙女ゲームだった。 「通称プリコド」 「プリコド」 「魔導蒸気都市アルカディアを舞台に、プリンセスとしてプリンスたちと契約して、事件を解決して、親密になっていくゲーム」 「何で俺に説明してるんだよ」 姉は、にっこり笑った。 「晴人、プリンスのレアスチル出し要員になって」 「嫌だ」 「まだ内容聞いてないでしょ?」 「今ので十分だろ」 「私は忙しい」 「俺も忙しい」 「今日、ソファで三十分くらい天井見てたじゃん」 「考え事だ」 「何を?」 「夕飯の味噌汁、豆腐多かったなって」 「暇じゃん」 返せなかった。 姉は勝った顔で、タブレットを俺の膝に置いた。 「このゲーム、ガチャカードは全部で300種くらい。SSR、SR、R、Cがあって、SSRとSRとRは各50種、Cは150種」 「C多くないか」 「低レアだからね。あと、同じカードでも契約できる人数が違う。SSRは同時10人、SRは100人、Rは1,000人、Cは10,000人」 「うわ、レアリティで格差がやばいな」 「そう。だから、相対的にSSRはかなり価値が高いってわけ。カード入手確率も低いけど、同時接続10人しか遊べないから。いつも取り合い」 「というと、Cはいつでも遊べるって訳か……同じ顔が10,000人いるってことだろ?」 「そう、ゲーム内では、同じクラスのプリンス契約が複数存在する扱い。Cは特に多いから、プレイヤー間では量産型って言われがち」 「それ、本人の前で言ったら傷つくだろ」 姉は一瞬だけ俺を見た。 「ゲームのキャラだよ」 「それはそうだけど」 「……まあ、晴人はそういうこと言うよね」 「どういう意味だよ」 「別に」 姉は画面をスワイプした。 ずらりと美形が並ぶ。 金髪の王冠騎士。 赤茶髪の救助隊長。 銀髪の怪盗紳士。 黒髪の列車護衛官。 黒鎖の看守長。 眼鏡の研究官。 紺髪の決闘者。 薔薇の舞台俳優。 「この八人、やっと手に入れた私の推しSSRプリンス」 「画面がうるさい」 「うるさいくらいがSSRなの。SSRはね、立ってるだけで背景が発光する。声が低い。衣装差分が多い。イベントで国が揺れる。あと顔がいい」 「結局、顔かよ」 「顔がいいは基礎ステータス」 「何の?」 「人生の」 「姉貴、戻ってこい」 「戻れない。SSRだから」 姉は真顔で言い切った。 駄目だ。 もう向こう側へ行っている。 「全部男じゃん」 「プリンスだから」 「乙女ゲームだろ」 「プリンセスとプリンスのゲームです」 「俺、姫じゃないんだけど」 「代打だから問題ない」 「あるだろ」 「細かいことはいい」 「姉貴の雑さ、ゲームの世界観より強いな」 姉は気にせず、さらに身を乗り出した。 「で、このゲームの目玉はナイトステイ」 「急に不穏な単語が出た」 「ナイトステイ」 「二回言うな」 「二回言う価値がある」 「お泊りイベントだろ?」 「ただのお泊りじゃない。プリンスと二人きり。普段は見せない顔。外した手袋。ほどけた襟元。声の低さ。甘い間。そこでしか出ない限定会話」 「早口」 「そして、その後に限定スチルが解放される」 姉はテーブルを両手で掴んだ。 「分かる? 普通のホーム絵じゃない。戦闘絵でもない。イベント報酬絵でもない。ナイトステイ後の、心を許したプリンスだけが見せる一枚」 「圧がすごい」 「私はそれが見たい」 「見ればいいだろ」 「見られないから頼んでるの!」 姉はタブレットを抱えた。 「話に乗っても、褒めても、頼っても、ナイトステイは発生しない。私はこんなに推しを愛してるのに、推しの心の扉の前で毎回追い返される」 「……攻略なんだから、いろんな選択肢選べばいいだろ?」 「推しの前では、可愛いプリンセスでいたいの……嘘の選択肢なんて選べない、つらい」 「あっそ」 「だから晴人」 姉は真顔で俺を見る。 「私の代わりにナイトステイ限定スチル、だして。見たい、絶対見たい」 「目的が明確すぎる」 「明確じゃない推し活は負ける」 負けるのか。 推し活、厳しい世界だな。 「ほら、晴人、変なところ見るでしょ」 「変なところって……悪口か?」 「褒めてる」 「本当か?」 「晴人は、キャラの台詞の変なところとか、表情差分とか、そういうの拾うじゃん。それが攻略に必要だと思うのよ。私は推しが出ると顔と声で死ぬ。やっぱり、私は純粋なお姫様なのよ」 「……攻略に向いてなさすぎる」 「自覚はある」 「あるのかよ」 「だから頼んでる」 姉は、もう一度カード一覧を見せた。 SSRプリンスは、どれも画面の圧が強い。 背景も演出も派手で、見ただけで金色のエフェクトが飛んでいる。 「明日から、私のSSRプリンス達の限定イベントが始まる。必ず契約できるやつ。だから、順番にやって限定スチルをゲットして。お願い」 「……男相手に、恋愛ゲーム……俺にまったくメリットないな」 「やってくれたら、成功報酬、駅前のプリンでどう?」 「なっ……そうきたか。じゃ、アイスもつけて」 「それはちょっと……」 「じゃあ、やらない」 「……しょうがない。プリンとアイス」 「了解」 「安い弟」 「買収した側が言うな」 姉は満足げに頷いた。 「じゃあ、今日はまず操作に慣れて。明日の夜からのSSRイベントに備えて」 「今日は何すればいいんだよ」 「低ランククエストでも触れば? 操作確認にちょうどいいし」 「低ランク」 「Cプリンスの巡回クエストとか。すぐ終わるやつ。街灯点検とか、落とし物探しとか、下町の生活系」 「地味だな」 「地味。でも街の細かいところは、だいたいCプリンスが支えてる」 「それ、普通に大事じゃないか」 「晴人はそういうこと言う」 「だから何なんだよ」 姉は笑って、菓子の袋を開けた。 「私は風呂入る。操作分からなかったら適当に触って」 「説明責任」 「大丈夫。低ランクだから」 そう言って、姉は本当にリビングを出ていった。 **** 共有タブレットの画面端で、小さな街灯マークが光っていた。 姉が騒いでいたSSRイベントの王冠アイコンとは違う。 金色でもないし、派手でもない。 下町の地図の端に、ぽつんと立っている街灯みたいな、控えめなマークだった。 「これか」 タップすると、低ランククエストの表示が開いた。 【低ランク巡回クエスト】 対象プリンス:ノア レアリティ:C 街灯修理 場所:下町東区・パン屋裏路地 画面には、白い制服の青年が映っていた。 柔らかい茶色の髪。 優しそうな目。 腰には量産型らしい護身剣。 背景には、古い街灯と石畳の路地がある。 SSRみたいな派手さはない。 けれど、妙に目に残る顔だった。 『巡回兵ノアです。下町東区の街灯が一基、消灯しています』 丁寧な声だった。 『夜間の通行に支障が出る可能性があります。確認に向かいますか?』 選択肢が表示される。 【後で確認する】 【中央区の復旧を待つ】 【街灯が消えたら、誰かが困る】 「三番だろ」 俺は押した。 【街灯が消えたら、誰かが困る】 画面のノアが、少しだけ目を見開いた。 『……はい』 短い返事。 でも、妙に嬉しそうだった。 『ありがとうございます。では、巡回兵ノアが案内します』 街灯マークが淡く光る。 画面の奥で、下町の路地が少しだけ深くなった。 パン屋の看板。 蒸気管。 水たまり。 古い街灯。 その奥から、ノアの声がした。 来てください。 そう聞こえた気がした。 「……今、呼んだか?」 返事を待つ前に、画面の光が広がった。 街灯の白い灯りが、タブレットの外へこぼれる。 次の瞬間、俺は下町の路地に立っていた。 **** 冷たい夜気が頬に触れた。 石畳の匂い。 パン屋の甘い残り香。 古い蒸気管から漏れる白い湯気。 目の前には、画面の中にいたCプリンスが立っていた。 ノア。 白い制服。 控えめな剣。 工具箱。 彼は俺を見るなり、はっきり固まった。 「……姫、ではありませんね」 「姫じゃないな」 「男性、ですか」 「男だな」 ノアは何度か瞬きをした。 それから、慌てたように姿勢を正す。 「失礼しました。巡回兵ノアです」 「晴人。姉貴の代打で来てる」 「代打?」 「まぁ、姫の代理ってとこだな」 「そうでしたか」 ノアは少しだけ困ったように笑った。 けれど、すぐに表情を引き締める。 「では、晴人。今は街灯修理が優先です。こちらです」 真面目だ。 びっくりするくらい真面目だ。 ノアは工具箱を持ち上げ、路地の奥へ進んだ。 俺もついていく。 下町東区の裏路地は、画面で見たよりずっと狭かった。 店の裏口。 積まれた木箱。 壁に貼られた古い巡回札。 その先に、一本だけ消えた街灯が立っている。 周囲の街灯は淡い金色に光っているのに、その一本だけ真っ暗だった。 「これか?」 「はい。街灯番号E-042です」 ノアは工具箱を置き、街灯の根元にしゃがみ込んだ。 「霧晶石の接続が緩んでいるようです。補助灯をつけて、内部を確認します」 「専門用語が多い」 「すみません。ええと、簡単に言うと、街灯の心臓部分が少しずれています」 「最初からそれでいい」 「はい」 ノアは少しだけ笑った。 工具箱を開ける。 中には、小さなレンチ、記録ペン、補助灯、霧晶石を固定する金具が入っていた。 「晴人、そちらの補助灯を取っていただけますか」 「これか?」 俺は丸い小型ランプを取る。 渡す時、ノアの指先に触れた。 一瞬だけ。 ノアの手が、ぴくりと止まる。 「悪い」 「い、いえ」 ノアは補助灯を受け取り、いつもより少しぎこちなく街灯の根元へ取り付けた。 「今の、熱かったか?」 「いえ。大丈夫です」 「じゃあ何で固まった」 「その」 ノアは少しだけ視線を逸らす。 「人に手伝っていただくことが、あまりないので」 「そうなのか」 「下級巡回の仕事は、基本的に一人で対応するものですから」 「大変だな」 「慣れています」 「慣れるなよ」 ノアが目を丸くした。 「……晴人は、不思議なことを言いますね」 「そうか?」 「はい」 ノアは少しだけ嬉しそうにして、それから街灯修理に戻った。 俺は言われた通りに工具を渡す。 レンチ。 小さな金具。 補助灯の調整つまみ。 途中で何度か間違えて、ノアに「それは記録ペンです」と丁寧に直された。 「似てるだろ」 「似ていません」 「厳しいな」 「工具の取り違えは危険ですので」 「真面目か」 「巡回兵ですので」 「便利な言い訳だな」 ノアは少しだけ笑った。 その笑顔が、街灯のない暗い路地で妙に目立った。 派手じゃない。 でも、見ていると少し安心する。 「晴人、補助灯の光をこちらへ」 「おう」 俺が補助灯を傾けると、ノアが霧晶石を固定する。 街灯の中で、小さな光が震えた。 一度、消える。 もう一度、光る。 それから、淡い金色の灯りがゆっくり広がった。 路地が明るくなる。 パン屋の裏口。 石畳の水たまり。 壁の巡回札。 全部が、柔らかい光の中に戻っていく。 「点いたな」 「はい。点きました」 ノアはほっとしたように息を吐いた。 「晴人が補助灯を支えてくれたおかげです」 「俺は持ってただけだろ」 「それでも、助かりました」 「そうか」 「はい」 ノアは街灯を見上げる。 本当に嬉しそうだった。 街灯一本で、そんな顔をするのかと思った。 でも、暗かった路地が明るくなって、たぶん誰かが転ばずに済む。 それは、確かにちゃんとした仕事だった。 空中に表示が浮かぶ。 【街灯修理完了】 【街灯番号:E-042】 【巡回記録:更新】 その端で、街灯番号の文字が一瞬だけ白く滲んだ。 ほんの一瞬。 すぐに元へ戻る。 「今、表示変じゃなかったか」 「古い街灯なので、記録が少し乱れることがあります」 ノアはそう言った。 気にしていない、というより、慣れている感じだった。 「直るのか?」 「はい。点灯は安定しています」 「ならいいか」 「はい」 俺は、それ以上は気にしなかった。 目の前の街灯は、ちゃんと点いていた。 ノアが工具箱を閉じる。 「晴人」 「何」 「手伝ってくださって、ありがとうございました」 「だから、持ってただけだって」 「それでもです」 ノアは丁寧に頭を下げた。 その瞬間、街灯の光が少し強くなる。 空中に、新しい表示が浮かんだ。 【ナイトステイが発生しました】 ノアの顔が、分かりやすく赤くなった。 「ナイトステイ、ですね」 「プリンスと過ごす特別な夜、みたいなやつだっけ?」 「はい。姫とプリンスの間に開かれる、特別な時間です」 「俺は姫じゃないけどな」 「……はい」 ノアはそこで、少しだけ困ったように笑った。 「でも、晴人が来てくれたので」 「俺だから、こうなったってことか」 「そう、だと思います」 街灯の光が、路地の端に小さな部屋みたいな空間を作った。 石畳はそのままなのに、周囲だけ少し静かになる。 外の音が遠い。 パン屋の匂いも、蒸気管の音も薄くなる。 街灯の下に、二人だけが残されたような感じだった。 空中に表示が浮かぶ。 【ナイトステイ】 対象プリンス:ノア 帰還条件:対象プリンスとのキス ※条件達成後、現実世界への帰還選択が可能になります 「街灯一本で、こうなるのか」 「街灯が点いたので」 「理由になってるか?」 「僕には、とても大事なことでした」 そう言われると、少し返しに困った。 ノアは赤い顔のまま、街灯を見上げる。 「晴人が手伝ってくれたことも、です」 「俺は補助灯を持ってただけだぞ」 「それでもです」 ノアは、まっすぐ俺を見た。 「晴人は、嫌ですか」 「嫌なら言う」 「はい」 「嫌ではない」 ノアの肩から、少しだけ力が抜けた。 「僕も、嫌ではありません」 声は小さい。 でも、ちゃんと聞こえた。 「では」 「では?」 「帰るために、お願いします」 「真面目すぎるだろ」 「すみません」 「謝るな」 「はい」 ノアは一歩近づいた。 でも、近づいたところで止まる。 どうすればいいのか分からないみたいに、視線が揺れている。 たぶん、俺も分かっていない。 帰るための条件。 そう考えれば簡単なはずなのに、目の前のノアが赤い顔で立っているせいで、少しだけやりづらい。 俺は少し身をかがめた。 ノアの目が大きくなる。 キスは、触れるだけだった。 本当に、軽く。 唇が重なって、すぐ離れる。 街灯の光が一瞬だけ強くなる。 ノアは固まっていた。 「ノア」 「はい」 「息してるか」 「して、います」 「そうか」 「はい」 顔が赤い。 耳まで赤い。 でも、嫌そうではなかった。 むしろ、何かを大事に抱え込んだみたいな顔をしている。 空中に表示が浮かぶ。 【帰還条件を満たしました】 現実世界へ戻りますか? YES/NO 俺は迷わず押そうとして、ふとノアを見る。 ノアは、まだ街灯の下に立っていた。 工具箱を持ったまま。 真面目で、控えめで、街灯一本直しただけで嬉しそうにするCプリンス。 「街灯、明日も点いてるといいな」 俺が言うと、ノアが顔を上げた。 「はい」 少しだけ笑う。 「僕が確認します」 「じゃあ、また通知出せ」 「はい」 ノアは嬉しそうに頷いた。 「晴人がよければ、また」 そこで、言葉が少し止まる。 「……来てください」 それは、さっき画面越しに聞こえた気がした声と似ていた。 今度は、ちゃんと聞こえた。 「通知が出たらな」 「はい」 俺はYESを押した。 街灯の光が白く広がる。 最後に、ノアの声が聞こえた。 「晴人。今日の街灯は、二人で直しました」 **** 現実に戻ると、タブレットには下町の街灯が映っていた。 さっき直した街灯。 番号はE-042。 淡い金色の光が、パン屋裏の路地を照らしている。 ノアの姿はない。 でも、工具箱が街灯の根元に置かれていて、補助灯の小さな光だけがまだ残っていた。 俺はしばらく画面を見ていた。 街灯一本。 低ランククエスト。 Cプリンス。 本来なら、たぶんすぐ終わるやつだ。 それなのに、指先にまだ補助灯の重さが残っている気がした。 「……真面目すぎるだろ、あいつ」 呟いてから、少しだけ笑った。 画面の端で、街灯マークが一度だけ小さく光る。 通知ではない。 ただ、今日直した街灯が点いているだけ。 俺はタブレットを伏せた。 このゲーム、変なところが妙に細かい。 俺のプリコド初日はこんな風に終えた。

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