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第1話「不穏な依頼」

魔法──それは、生物が体内で生成する魔力によって発動する力だ。その力は、魔獣災害や国同士の戦争の中で急激な発展を遂げてきた。 大陸の西側に位置するセレステ王国でも魔法が広く普及し、研究が盛んに行われている。近年では多くの魔法や魔道具が生み出され、素質のある者は多種多様な魔法を扱えるようになった。それは戦闘で用いられることもあれば、日常生活を支える技術としても使われている。 そして、魔法研究から派生した学問に、魔法薬学というものがある。魔法薬とは、魔力や魔力素材を用いて生成される薬品の総称であり、体内魔力に干渉して効果が現れる。通常の薬よりも強い効力を持ち、魔力に起因する病は魔法薬でなければ治療できない。 だが──魔法薬には、副作用がつきものだった。 効果が強いほど代償も大きく、意識の混濁や体調不良を引き起こすことも珍しくない。その危険性ゆえに、魔法薬の普及は長らく進んでいなかった。 副作用のない魔法薬の開発など、不可能だとされていた。 「催淫剤の開発……ですか?」 セドリック・フォルクマン魔法薬士長から突然呼び出されたと思えば、告げられたのは首を傾げたくなるような内容だった。 「あぁ。催淫剤、いわゆる媚薬ってやつだ。忙しい時期に悪いんだが、どうにか引き受けてくれないか?」 眉間を指で押さえながら話す彼の顔色は、今日もあまり良くない。きっと昨日も徹夜だったのだろう。覇気のない薬士長の視線を受けて、僕ははっきりと答えた。 「あれは……禁忌薬ですよ」 ピリッと部屋の空気が変わった。薬士長の動きが一瞬止まり、小さくため息をついたのがわかった。 催淫剤とは、その名の通り性的興奮を促し、同時に性的感度を高める働きのある薬だ。その作用は、通常の薬とは比べものにならないほど強力だ。 だが、その副作用はあまりにも苛烈だった。激しい嘔吐や血圧低下を招き、意識を混濁させる。最悪の場合、脳に後遺症が残ることもある危険な薬物だ。 近年、王国は貴族間で蔓延したこの魔法薬を禁忌薬と定め、厳しく取り締まることになった。それでも催淫剤の強烈な性的興奮を得るため、いまだに闇取引されているという噂も聞く。粗悪な薬による被害者も後を絶たない。 薬士長は、そんな危険な薬の開発を僕に指示してきたというわけだ。はっきり言ってデメリットしか思い浮かばない。何よりも、研究に面白みがなさそうだ。 「やりたくありませんね」 僕の率直な返答に、薬士長はわかっていたかのように笑った。 「まぁ、そうなるよな」 そう言いながら、薬士長は資料の表紙を僕に見せた。その瞬間、嫌な胸騒ぎがした。 「それは……」 ──王族の紋章。 「ある尊いお方からの依頼だ。拒否はできないと思ってくれ」 薬士長が持つ資料に顔を近づけ、改めて紋章を確認した。やはり、そこには王族の証が刻印されている。 王族が催淫剤の依頼を?はぁ、余計にやる気が失せてくる。 「薬士長がやればいいのでは?」 高貴なお方の依頼なら、今後の評価にも繋がるだろう。そんなものに興味のない僕より、薬士長の手柄にした方が良さそうな話に思えた。 すると、セドリック薬士長は頬杖をつきながら、また小さなため息をついた。 「……俺にできることならやっているさ。しかしこの依頼は“副作用なしの催淫剤”とのことだ」 その言葉に、無意識にピクッと体が反応した。頭の中で、かつて読んだ薬学書のページが次々と開かれていく。 「副作用なし……」 確か、主薬はダークスネークの毒から抽出した成分……。生命維持に関わる解毒薬の精製は可能だが、あれでは毒効果を中和しきれない。催淫剤に副作用なしなど実現可能だろうか。 気がつけば、口元に指を当て深く考え込んでしまっていた。僕はその時点で催淫剤の開発に興味を引かれていた。 薬士長の小さな笑い声が聞こえ、ハッと思考の中から抜け出した。 「やってくれるか?」 柔らかい表情で聞いてくる薬士長は、僕が興味を持ったことなどお見通しのようだった。“副作用なし”という言葉に簡単に釣られたことが少し恥ずかしくて、僕は照れ隠しに小さく肩をすくめた。 「わかりました。やってみます」 「ありがとう、助かる。ちなみに、他言無用で頼む。期限も……実はかなり厳しい」 「いつまでに?」 「今年の祝賀会までだ」 僕は壁に掛かっている暦を確認した。 「あと五十日ですか」 祝賀会は氷雪の月の末。到底開発できる期間ではない。しかし相手は王族だ。文句も言っていられないだろう。 すると、薬士長は椅子からゆっくりと立ち上がり、腰に手を当て伸びをした。 「はああ……。厄介なことにならなきゃいいが。とにかく、困ったらすぐに相談するんだぞ」 僕は素直に頷いた。そんな僕を心配するように薬士長は続けた。 「ただ、お前だけが頼りなのも事実だ。天才魔法薬士、アベル・ヴァイス」 ──天才魔法薬士。そう呼ばれるようになってから2年経ったが、いまだに慣れることはない。 「やめてください。僕は、僕ができることをします」 「ハハッ……頼もしいかぎりだ」 スッと差し出された資料を、少し震える指先で受け取った。この震えは、純粋な興味か、もしくは得体の知れない恐怖からだろうか。 「そうだ、アベル」 部屋を出ようとした僕を、薬士長が止めた。 「はい」 そのとき、開いた窓のカーテンが小さく揺れ、霜花の月らしい心地よい風が部屋に流れ込む。僕が着ている白衣もひらりと風に舞う。薬士長は僕の足元を見てから困ったように口を開いた。 「あー、俺は別になんでもいいとは思っているが……」 口ごもる薬士長に、僕は首を傾げた。 「何がですか」 「いや、何がって……。お前もレオンに言われてると思うけどな……。せめて、ズボンだけは履いた方がいいぞ」 寒そうだからなと言って、薬士長は白衣から見える僕の生白い足を指差した。 「あー、そのことですか。大丈夫です、実験には支障ありませんので」 僕はそれだけ答えると、今度こそ魔法薬士長室から退出した。 後ろ手に扉を閉めてから手元の資料に目を向けると、王族の刻印が目に入った。 薬士長の言う通り厄介なことにならなければいいが……。 依頼の背後に不穏な影を感じながらも、僕は自分の研究室へと歩き出した。

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