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第12話「偶然、ぴったり」

──ガチャ 「こんばんは、ヴァルター。待っていたよ」 魔法薬研究棟に人の気配がなくなる頃、僕の研究室には生真面目な彼が約束の時間通りに訪れていた。 「こんばんは、アベル様。失礼します」 そう言って研究室に入ってきた彼は、両手に紙袋を二つぶら下げ、さらに腕には綺麗に梱包された箱を三つも抱えていた。 「……それは? かなりの量だけど」 近くの机の上に全ての荷物を丁寧に下ろし、少しも疲れていない様子で彼は答えた。 「これは、全て服です」 そう言うと、彼は僕の服装を確認するように視線を動かした。そして、机の上にある紙袋の中身を一つ取り出した。 「今日、持ってきて正解だったようですね。もしよろしければ、こちらを着てください」 手渡されたものを広げてみると、それは触り心地のよい白いズボンだった。 「もしかして、僕が服を着ていないことを気にして、持ってきてくれたのかい? ……申し訳なくてもらえないよ。しかも、そんなにたくさん」 彼が抱えてきた荷物は、どう見ても一着や二着ではなさそうだ。 そもそも、僕が服を着ていないのは家事を疎かにしているせいだ。そんな理由で、こんなにたくさんの服をもらうわけにはいかない。 ……いや、もしかしたら、ヴァルターは僕が服を着ていないことを、不快に思っていたのかもしれない。 どちらにしても、このズボンは彼に返さなければ……。 「まさか、僕が服を着ないことを、そこまで気にしてくれているとは思わなかったんだ。君を不快な気持ちにさせないためにも、今度からは服を着るようにす」 「違います!」 彼は食い気味に言葉を発し、僕の目の前に一歩近づいた。 「アベル様を不快に思ったことなど、一度もありません。この服は……偶然、手に入ったので持ってきたまでです」 「偶然? ……でも、かなりいい生地だよ?」 「わ、私の領地は綿花の生産地で、この時期にはよく服が送られてくるのです! そして、今年は何故か私のサイズに合わない服が、大量に送られてきまして……ええ、それはもう……大変困っているのです! ……で、ですので、アベル様に着ていただければ、私も助かると言いますか……なんと言いますか……」 必死に捲し立てる彼に、僕は呆気に取られ、言葉を失った。お互いに目を逸らすことなく、しばし沈黙が流れた。 しかし、グラーツ領は確かに綿花の生産地だ。この時期に服が送られてくることにも、不思議はない。どうやら、彼は本当に困っているのだろう。 「なるほど。そういうことなら、ありがたく使わせてもらうよ」 僕が納得したとわかると、彼はホッと息を吐いた。 「……今、着ていただけませんか?」 「そうだね」 僕が白衣のボタンに手をかけると、ヴァルターは俊敏な動きで、くるりと後ろを向いた。 「あはは、そんな気を遣って顔を逸らさなくてもいいのに。もう、僕の体は見たことがあるだろう?」 「そ……それは、そうですが。……私は、騎士でありたいので」 「そうか、騎士というのも大変なんだね。……っと、ヴァルター、こちらを見てくれ。どうかな?」 柔らかな生地で仕立てられたベージュのシャツと白いズボンは、驚くほど僕の体に馴染んだ。両手を広げ、ヴァルターに新しい服をお披露目すると、僕の姿を見た彼は、一瞬息を詰まらせたように固まった。表情こそほとんど変わらなかったが、やがて背筋を伸ばして口を開いた。 「大変お似合いです」 「偶然、僕にぴったりだね。ありがとう、ヴァルター」 「こちらこそ……ありがとうございます」 とても嬉しそうに目を細める彼の表情を見て、僕も胸がほっこりと温かくなる。彼がこんなに喜んでくれたのなら、服をもらい受けてよかった。 それにしても、僕はヴァルターに助けてもらうことが多い。……いや、僕たちは相互利益の関係なのだろう。お互いに助け合っているからこそ、ヴァルターに負い目を感じることなく頼ってしまう。こんなふうに誰かを気兼ねなく頼れることは、人付き合いの少ない僕にとって、とても貴重なことだ。 ヴァルターも、同じように感じてくれていると嬉しいのだが……。 ふと目の前のヴァルターを見ると、彼は空になった紙袋を丁寧に畳んでいた。 「どうかしましたか?」 「……いや、なんでもないよ」 僕は白衣を羽織り直すと、机に置いていた資料を手に取った。 「それじゃあ、そろそろ本題に移ろうか」 立ったままのヴァルターに、机を挟んだ向かいの椅子へ腰掛けてもらう。そして、少し緊張している様子の彼に向かって声をかけた。 「本来なら、今日は本格的な試験はすべきではないのだろうけれど、期限が迫っているせいでそんなことも言っていられない。大変だろうけど、協力してもらえると嬉しい」 「はい、それは十分理解しております」 当たり前だとでも言うような彼の返事には、迷いがなかった。こういうところが、本当に頼もしい。 「今日やることなのだけれど、まずはヴァルターの魔力の測定をさせてもらいたい」 「わかりました」 ヴァルターが腕まくりをして腕を差し出すと、僕は席を立ち、机の上に準備していた魔力測定器を彼の手首に取り付けた。 すると、測定器に表示された数値が僅かに上下し、やがて六千七百付近で安定した。 「……六千六百……六千七百だね。やはり、ヴァルターは魔力量が多い」 「魔力量が多いのは、家系のおかげだと思います」 「うん、グラーツ子爵家は代々水魔法に長けた一族だったね」 僕が資料に書かれている内容を口にすると、ヴァルターは小さく目を開き僕を見つめた。 「グラーツ子爵家について調べたのですか?」 「申し訳ない、勝手に調べさせてもらったよ。突然変異でもない限り、魔力には遺伝的な傾向があるからね。体内魔力保有量、魔力の性質、そして魔力に起因する病なんかもそうだよ」 僕の説明に、ヴァルターは時折頷きながら聞いていた。 「その他には、ヴァルターが入隊してからの戦闘記録や治療記録も確認させてもらったよ」 「なんでも調べてもらって構いませんが……それが何かの役に立つのですか?」 「もちろんだよ。魔法薬の作用は魔力量で変動するからね。それから、ヴァルターの問題の解決にもなればいいと思ったんだ」 「私の問題ですか?」 心当たりがないような表情で聞き返すヴァルターに、僕は少し困惑した。 「“一人で自慰ができない”という問題だよ。ヴァルターの大きな悩みだと思っていたんだけれど……」 そう言うと、ヴァルターの体がビクッと跳ねた。そして、先ほどまで僕をまっすぐ見ていた視線が、四方八方に彷徨い始めた。

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