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八月①・深い森の中で

夏休みだからといって、都内にある柚木の屋敷に帰ったりはしない。 生徒は全員が帰宅するけれど、私は温室の管理と黒猫コウの世話をしなければいけない、と理由をつけ学園に残る。 毎年のことだ。 森は蝉の声がミンミンと煩く響き、太陽はギラギラと大地を照り付けている。 昼前、コウが慣れた足取りで森に入っていくのを見かけた。 涼しい木陰に、お気に入りの場所があるのかもしれない。 その姿に誘われるように、私も生い茂る森に入った。 二十年ぶりだ。 記憶を頼りに光夜のクスノキを探してみることにした。 森の木々は伸びたり枯れたり姿を変えていて、見覚えのある場所はなかなか見つけられない。 もう戻ろうかと諦めかけた頃、ようやく大きなクスノキの前に出た。 以前より更に幹が太くなっているようだ。 ぐるっと木の周りを一周すると、驚いたことに、クスノキには新しい縄梯子がかかっていた。 高所の怖さより好奇心が勝って、たどたどしく縄梯子を登ると、三股になった箇所にはあの頃と同じように板が張られている。 板の上は蓄積した落ち葉も枯れ枝もなく、綺麗な状態だった。 まるで昨日もここに、光夜が寝そべっていたように手入れされている。 どういうことだろう? キョロキョロと見渡すと、木のうろに昔はなかった小さな四角い缶が置いてあった。 そっと手に取り蓋を開けると、まだ開封していないグレープ味のグミの袋が、まるで宝物のように仕舞われていた。 心臓がドクドクと音を立てる。 震える指先で取り出し賞味期限を確認すると、来年の日付が書かれている。 この森のどこかで光夜が生きているのでは、と思わずにはいられなかった。 だとしたら、誕生日の朝のダリアにも説明がつく。 居ても経ってもいられなくなり、クスノキを降りて、森の中を探し始めた。 「光夜!光夜!」 必死に声をあげながら。 森は深いから奥へは行くなと、生徒たちにいつも言っている。 その昔、光夜にも言われたことがある。 それでも奥へ奥へと入り込んで、声を嗄らして名前を呼び続け、どんどんと迷い込んでいく。 「光夜!どこにいるの?」 森には蝉の声だけが響き、どこからも返事は聞こえない。 いつの間にか背の高い樹々に囲まれ、クスノキはおろか、どちらの方向に校舎があるのかも分からなくなった。 ポケットに手を入れるがスマートフォンは部屋に置いたままだ。 どうせ森の中は圏外なのだろうが。 暑い、とても、暑い。 喉も乾いたし、腹も空いた。 そういえば今朝は、ヨーグルトしか食べていない。 森の奥は鬱蒼としていて風が通らず、暑さと湿度で朦朧としてくる。 昨晩もなかなか寝付けず睡眠時間が足りていないことも、身体に堪えているはずだ。 思考力が低下してきて、急速に何もかもがどうでもよくなってきた。 木の根元に座り込み、水分不足で消耗した身体を投げ出す。 熱中症になりかけているのだろう。 光夜など、何処にもいるはずがないのに。 いったい何を探していたのだろう……。 止めどなく涙が溢れ、更に水分が身体から抜けていく。 命の尽きた光夜の身体を、温室で見つけたのは私だった。 思いを告げようと光夜の部屋に行ったが留守で、学園内を探している時に、変わり果てた姿を発見した。 動かない身体を抱きしめて、揺さぶって、何度も声をかけたのに、目を開けない、息をしないと絶望したのを昨日のことのように覚えている。 光夜の背中から流れ出た血が、自分の身体にもベタリとついていた記憶が甦り、まるで今も手のひらが真っ赤に染まっているように見えた。 このまま死んでしまいたい。 けれど、自分にはまだ四十年の月日が残っている。 だからどんなことをしても、死ねないだろう……。 いつの間か私は意識を失っていた。 「……先生。圭吾先生。圭吾。ねぇ、圭吾……」 身体が揺さぶられるのを、感じる。 「よかった目が開いた」 ぼやっとした意識の中に、知っている気配があった。 「光夜?」 「違うよ、先生。俺は光夜じゃない」 「何を言ってるの。光夜でしょ?よかった、会えて。探したんですよ……」 ノロノロと手を伸ばすと、その気配は光夜じゃないと言ったくせに、しっかりと手を握り返してくれた。 そして反対の手で、私の肩を引き寄せ抱きしめてくれた。 「会いたかった……」 そう口にすれば、また涙が零れ出る。 その涙を吸い取るように、そっと頬に、キスをしてくれた。 「あぁ光夜。光夜、本当に、寂しかったんですよ……」 今度は口をふさぐように、口づけをされる。 その柔らかい唇が冷たく感じるのは、自分の身体が熱いからだろうか。 光夜の熱を感じたくて、その下唇を軽く喰んだ。 そのタイミングで開いた隙間に、舌を潜り込ませる。 口内は温かく、ほらやっぱり光夜は生きていたと、また涙が流れ出た。 更にギュッと強く抱きしめられ、互いの唾液が混じり合う、深くて甘い甘いキスに夢中になる。 その忘れていた気持ち良さに、身体の奥がズンと疼いた。 「抱いてほしい。ねぇ、このままここで。裸になって。光夜をもっともっと、感じたいんですよ……」 自分の中にまだこんな欲望があったことに驚く。 「ねぇお願い、抱いて」 実際に口にしたかどうか定かではないが、私はまた意識を手放した。

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