40 / 45

40 運命の番《つがい》

 泰雅(たいが)の部屋に入ってから、母さんに連絡を入れた。  バイト帰りに実家に帰省すると伝えてあるから、そろそろかなと待っていたと思う。でも泰雅のところにいると伝えたら、『それなら安心ね』と返事が返ってきた。  いつもなら、そんなやりとりひとつ取ってもニヤニヤしてしまうのに、今はそんな空気ではない。  初めは、泰雅は疲れているから、いつもと態度が違うかと思っていた。けど、さっき車の中で大地くんがアルファだと言われて、やっと気づいた。  泰雅は、怒っているんだ――。  俺が母さんに連絡し終わってからも、しばらく沈黙は流れたままだ。  泰雅は窓の外を眺めたまま、こっちを見ようともしない。  俺の考えが甘かったんだ。泰雅も……(しゅう)さえも、何度も本当にベータなのか聞いてきたのに、俺は大丈夫だと思い込んで疑いもしなかった。 「泰雅……」  窓辺に立ったままの泰雅にゆっくりと近づき、そっと声をかけた。  このまま黙っていても、何も話は進まない。ちゃんと話し合わないと。 「ごめん、俺……」 「謝るな」  え……。  ずっと窓の外を見ていた泰雅は絞り出すように言うと、急に振り返り俺を抱きしめた。 「圭太(けいた)は何も悪くない」 「え、でも俺、ちゃんと確認しなかったのに思い込みで……」 「圭太は確認できる状況じゃなかった」  泰雅はそのまま俺の体をそっと離すと、ベッドの縁に座り、隣に来るように言った。俺は少し緊張しながら、泰雅の肩がかすかに触れる位置に座った。  泰雅は静かに息を吐き出し、まるで自分自身に言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。 「採用時の条件を考えると、圭太が他のスタッフの第二の性を確認することは出来ない」 「個人情報だから、詮索しちゃいけないと思ってたけど……」  俺は大学を通して、オメガ枠でバイトに採用された。大学側の条件の中に、第二の性の取り扱いについての注意事項もあったんだ。 「圭太は俺と(つがい)になったから、他のアルファのフェロモンは感じられない。それに、おそらくあいつも抑制剤を服用しているのだろう」 「アルファなのに、抑制剤?」 「接客業のマナーで、アルファもオメガも抑制剤の服用を推奨している店は多い。そんな状態で、圭太があいつをアルファだと気づくのは無理だ」  淡々と、けれど俺を庇うように並べられる言葉を聞いて、俺はほっと胸を撫で下ろした。  ベータの頃の感覚のまま何度かやらかした俺は、またやっちまったのかと思ったんだ。  けど、泰雅に心配をかけたことは、事実だ。 「そっか。じゃあ、俺が気づけなかったのは仕方がなかったんだ。……けど、俺の軽率な行動で、泰雅を不安にさせちゃって、ごめんな」 「圭太が楽しそうにバイトの話をするのは、俺も嬉しかった。けど、そばにアルファがいるかもしれないと考えたら、すぐにでも帰国したかった」 「そうだよな……。俺、もっと泰雅の気持ちを考えればよかった。本当にごめんな」  俺は、ずっと泰雅の顔を見れずに話を続けていたけど、静かに顔をあげ泰雅をじっと見つめた。  泰雅がいつもと違った理由がわかって安心したけど、どうしても気になることがあった。  泰雅は、俺が気づけない環境だと最初から分かっていたはずだ。それなら――。 「でもさ、なんで泰雅はあんなに『本当にそいつはベータなのか』って、しつこく聞いてきたんだ? アルファかもしれないと思っても、様子を見てくれていたんだろう? それなら、なんで何度も確認するようなことを言ってきたんだ?」  俺の問いかけに、泰雅がぴくりと肩を揺らした。  泰雅は一度目を伏せ、そして絞り出すように言った。 「……もしアルファなら、運命の番(うんめいのつがい)の可能性もある」 「え? 運命の番?」  泰雅は拳を握りしめ、溢れそうな何かを堪えるように、掠れた声で呟いた。 「もし、圭太に運命の番が現れたらって思うと、俺は……」  そこまで言って、泰雅は言葉を詰まらせた。  そうか、泰雅はずっと『運命の番』への不安を感じていたんだ。感情だけではどうにもならない、遺伝子レベルの繋がりへの不安。  確かに俺だって、考えたことはある。もし泰雅の『運命の番』が目の前に現れたらって。  けど――。 「じゃあさ、泰雅は俺に運命の番が現れたらどうすんの? 諦めるの?」  俺は、黙ったまま俯いてしまった泰雅に向かって、ちょっと意地悪な言い方をしてしまった。 「諦めるわけない!」  泰雅は一瞬にして顔をあげ、間髪入れずに声を強めた。 「じゃあ大丈夫じゃん。俺だって、そんな見ず知らずのやつに、遺伝子だけで惹かれ合うなんて、やなこった。俺は泰雅がいいんだ。泰雅しかいらない」 「俺だって、圭太しかいらない」  さっきまで俯いたままで、力なく声を震わせていた泰雅は、俺の目をしっかり見て力強く言った。 「問題なしだな! それにさ、後天性の中途半端なオメガに、運命の番なんていないと俺は思っている。だから平気だ」  そもそも、運命の番だって都市伝説だと思っている。出会った瞬間にビビッとくるだなんて、そんな漫画やアニメみたいな話があるか。  俺は信じない。信じられるのは、泰雅と一緒に過ごしてきた時間だけだ。 「もし仮に、泰雅の前に運命の番だと名乗るやつが現れたら、俺が追い返してやるよ。泰雅は俺のもんだって」 「圭太……」 「だからこの話はもうおしまい! あー、腹減ったなー」  俺は重くなってしまった空気を吹き飛ばすように、パンパンと手を叩いた。  運命の番のことは、もう悩むことはない。俺たちの気持ちはずっと変わらないんだから。  けど、大地くんのことは、マスターにも相談してちゃんと話をしなきゃって思った。 「今度バイトに行ったら、マスターに相談してみるよ。泰雅は心配だろうけど、俺、まだバイト続けたいんだ」 「俺は、圭太がバイトの継続を望むのなら、やめろとは言えない」 「ごめんな、ありがとう。泰雅は、俺のことを一番に考えてくれるもんな」  俺は、にっと笑って泰雅に抱きついた。  ああ、久しぶりの泰雅の匂いだ。やっぱりこの匂いだよ、俺が安心するのは。  一ヶ月半離れていた分を取り戻すかのように、俺はここぞとばかりに泰雅の匂いを吸い込みまくった。  しばらく吸い込んだ後、あ! っと俺は思い出した。 「そうだ。土曜日って言ってたのに、なんでもう帰ってきてるんだ?」 「圭太に一日でも早く会いたかったから」 「そっか……。バイト先で泰雅のフェロモン感じた時、すげーびっくりしたよ。でも、明日だと思ってたから、めちゃくちゃ嬉しいサプライズだ!」  帰国前はマジで忙しそうだったし、もしかしたら帰国を早めるために無理をしていたのかもしれない。  だから本当は、今日はゆっくり休めって言いたいけど、俺はわがままを言いたくなってしまった。 「なぁ、泰雅。……今日、泊まっていっていいか?」  懇願するように見上げて言うと、泰雅はふっと笑って俺の唇を奪った。 「もちろんだ。圭太のご家族には悪いけど、今日は帰すつもりはない」 「サンキュ」  俺は、再び泰雅に抱きつき、胸元に顔を埋めた。

ともだちにシェアしよう!