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《第4章》オタクはそれを沼と呼ぶ⑫【第4章・完】
花火が終わると急に寂しくなるというが、当日の夜は、寂しいどころではなかった。
終わった途端、駅に向かう人波に揉まれて大変なことになったからだ。
大吾と太一とは、人通りが少ない場所で待ち合わせたのですんなり合流することができたのだが、満員電車を何本か見送っていたら、家に帰るのが遅くなってしまった。
その日は、屋根裏部屋のダブルベッドを大吾と太一に貸してやって、雪希と楓は、楓の趣味部屋のソファで眠ることになった。
ソファベッドになっているので、広げれば、二人で寝れるぐらいのスペースは作れるのだ。
ホームシアターが設置してあるその部屋は防音仕様になっていて、エッチの時にもよく使われている。
その部屋に連れて行かれた時点でなにか察したのか、『今日、するの……?』と顔を赤くした雪希におそるおそる聞かれたのが決定打になった。
雪希は相当疲れている様子だったから、今日はなにもせず寝かしてやった方がいいかも、という迷いは一瞬で吹き飛んでいた。
実は花火を待つ間、雪希を背後から抱きしめている時からしたくてたまらなかった楓は、同じ屋根の下に弟がいるのもおかまいなしに、愛しい恋人の体を暴いていた。
ずっと海辺にいたからか、髪に唇を寄せると、潮の香りがした。
肌もちょっと砂っぽくざらざらしていて、まだシャワーも浴びていないことを思い出したが、その時にはもう止まれなくなっていた。
同じ匂いを感じたのか、『浜辺でえっちしてるみたい』と雪希が言い出した。
ホームシアターの電源を入れて、海の映像を流してみたら、本当にそれっぽい雰囲気になった。
『こんな使い方もあるんだね……』と雪希は驚いていた。
今後も活用の幅は広がりそうだ。
猛烈に寂しさを感じたのは、その翌日だった。
弟とその友人は、朝食を食べると、さっさと帰っていった。
それはいいのだが、雪希もそれと同時に作業部屋に引きこもってしまったのだ。
「雪希さん、サンドウィッチ作っておいたので、お昼に食べてください。夕飯も、先になにか食べておいてくださいね」
楓の職場は、そう何日も連休をもらえるようなところではない。今日は出勤だった。
遅番だから、朝はゆっくりできるが、夜は一緒にご飯が食べられない。
「んー、ありがと」
雪希は集中している様子で、タブレットの画面に一心不乱になにか描いている。
仕事のネームかと思ったが、違った。
女の子の立ち絵だ。見慣れないキャラが、メカニックなパーツがついた衣装を身に纏っている。
その衣装にはどことなく見覚えがあった。
「ギガンティアハーツの子ですか?」
確か数年前に、雪希がそんなアニメを見ていた気がする。
「やっぱりそう見える!?」
勢いよく振り返った雪希が聞いてきた。
「あ、違いましたか。すみません」
「衣装もキャラもオリジナルなんだけどさー、どうしても既存のデザインと似通っちゃうんだよね。僕、こういう衣装をオリジナルで考えるのが苦手みたいで……」
「そのメカっぽいのを描こうと思ったのは、太一くんの影響ですか?」
「うん、まぁ……」
タブレット用のペンを置いて、雪希は両手で顔を覆う。
「向き不向きがあるのはわかってるけどさぁ……高校生であのレベルだよ? やばくない? イマドキの高校生ってあんなに絵が上手いんだ? こわ……っ」
どうやら、雪希なりの対抗意識の表れだったらしい。
「雪希さんが漫画家デビューしたのも太一くんと同じ十七歳の時じゃなかったでしたっけ?」
「そうだけどさぁ……デビューさせてもらえたのは運もあるし。当時の僕があそこまで描けてたら、もっと人生変わってただろうなって思うよ」
そういえば昨日、雪希は太一とアニメの話もけっこうしていたが、真面目な進路の話もしていて、美大ごとの特色とか、予備校の入り方とかも詳しく教えてあげていたのを思い出す。
「美大入れなかったこと、まだ後悔してるんですか?」
「……少しね。経歴って、一生残るものだし」
「でも雪希さん、美大行っても卒業後に絵で食えてる人なんて一握りらしいじゃないですか。一般大学の文学部卒業しても絵で食えてる雪希さんの方がある意味、勝ち組ですよ」
「……まぁ、美大行ってたら、楓くんとは出会えてなかっただろうしね。そっちの方が、僕の人生にとっては大きな損失だよね」
顔を上げた雪希は、気を取り直したように、机の上に置いてあったボトルの水を飲み始めた。
そんなつもりで言っていたわけではない楓は、息を呑む。
「……雪希さん」
雪希はさっきの女の子の立ち絵を保存してから閉じると、かわりに仕事用のネームのファイルを開いた。
「楓くんにもっとすごい背景描いてもらいたいから、僕、がんばって漫画描き続けるね」
「もっとすごい背景ってなんですか?」
ふふ、と口元を緩めながら楓は答えた。
「えー……レインボーブリッジと、その後ろのビル群の夜景とか?」
「アシ二回目の時に描かされたエッフェル塔もなかなか難易度高かったですよ」
大学の講義のあと、いきなり部屋に連れ込まれたかと思ったら『エッフェル塔とか描ける?』と聞かれた時の衝撃はいまだに忘れられない。
しかも、雪希の顔をよく見たら目の下の隈がだいぶ濃くて、控えめながらも必死の様子が伝わってきたのだ。
「……どうもすみませんでした」
「いえ、さすがのオレも描けるかどうかわからないな、と思ってたんですが、描いてみたら、意外と楽しかったです」
難しかったのは間違いないが、どういう構造になっている建造物なのか調べたり、よく観察したり、どういう構図が映えるのかを必死に考えているうちに、ワクワクしていた。
自分は案外、人工的な建造物を見るのが好きなのかもしれない、と気づいたのはあの時だった。
それは、自分とはまったく似ていないと思っていた血の繋がらない父親との共通点でもあって、同じだと気づいた時には、不思議な気分になった。
「あのエッフェル塔が入った扉絵、グッズにもしてもらえたんだよね。なんか嬉しかったなぁ」
えへへ、と笑いながら振り返った瞬間を狙って顔を近づけ、ちゅっと口づけていた。
「……っ」
「じゃあオレ、そろそろ仕事行きますね。雪希さんも仕事がんばってください」
楽しい休日が終わってしまって寂しい、という気持ちはまだ残っているが、さっきよりも『今日もがんばろう』という気持ちが戻ってきた。
寝る前には外していたはずのブレスレットがちゃんと手首に戻っているのを確認するように指先で手首をなぞると、恥ずかしそうに雪希の視線が泳ぐ。
それで満足して、屈んでいた姿勢を元に戻そうとした楓だが、その前に、雪希の腕に捕まってしまった。
「……早く帰ってきてね。気をつけていってらっしゃい」
首に腕を回されて、雪希の方から口づけられてから言われた。
新婚さんみたいな甘ったるい雰囲気に、頭がぐらりとなる。
思わず抱きつきそうになった衝動をかろうじてこらえて、かわりに雪希の頭を撫でた。
「雪希さんは、今日も可愛いですね」
「……!? な、なに、いきなり……!」
「雪希さんって、可愛がられるともっと可愛くなるタイプですよね」
おそらくは流されやすい性格も影響しているのだろうが、だいぶ、愛されることに慣れてきたように見受けられる。
「オレは、自虐的でいつも自信なさそうにしてる雪希さんもけっこう好きでしたが、今の雪希さんはもっと好きです。……もし、オレが隣にいることで、雪希さんにいい影響を与えられているのなら、それだけで嬉しいです」
頬に軽く口づけて、今度こそ離れる。
雪希はぱちぱちと目を瞬かせた。
なにか言おうとしたが、なんと言っていいのかわからなかった様子で、中途半端に口が開かれる。
ゆっくりと話を続けたい気持ちはじゅうぶんあったが、そろそろ時間だ。
行ってきます、と告げて部屋を出る。
一階の戸締まりとキッチンをチェックしてから靴を履いたところで、ドタドタと慌ただしく雪希が二階から降りてきた。
「楓くん……っ!」
「……はい」
驚いて、思わず動きを止める。
「……こ、こんな、二十代の後半に入ってからかわいい系のキャラに変貌を遂げたって、今さら魔法少女にはなれないんだから、困るよ……!」
「……はい?」
雪希の難解な思考回路にはだいぶ慣れてきたつもりだったが、久々に、すぐに意図を読み込めずに混乱する。
「せ、世間は、美少女フィギュアを集めてるようなオタクのアラサー男に、可愛さなんて求めてないの! それでも可愛い僕が好きだっていうなら、責任取って、これからも可愛がってくれなきゃ困る!」
あまりにも大真面目に、雪希は叫んだ。
ぽかんと口を開いて聞いていた楓は、しばしフリーズしたあと、爆笑した。
「あははははは!」
笑いすぎて、涙まで出てきた。
「ちょっと……! ドン引きしてるの? バカにしてるの? どっち!?」
楓の反応に、今度は雪希が困惑している。
「いえ、感動してます」
ようやく笑いをおさめて、拳を握りしめている雪希の手首を掴んだ。
「ちゃんと今夜も可愛がって差し上げますので、それまでに今日のノルマ、終わらせといてくださいね?」
顔を寄せ、低い声で囁いた。
「う……はい」
なにを想像したのか、その顔色の変化からすぐに読み取れてしまい、おもしろい。
「いい子ですね」
幼子にするように頭を撫でると、雪希はあっという間におとなしくなってしまった。
かわいい。
言われなくても、責任は取るつもりだった。
とはいえ、どちらかというと、出会ったことによって人生を変えられてしまったのは楓の方なので、雪希にも責任を取ってもらいたい。
ブレスレットもいいけど、やっぱり指輪を買ってあげたくなった。
でも、この人は恥ずかしがりやだから、今はまだ、内緒にしておこう。
【第4章・完】
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