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第1話

「にいさま、おはなをどうぞ」 「……ああ、とても綺麗だね。どうもありがとう、マルセル」  風のない穏やかな昼下がり。  ヴェルデ王国の王子リシャールは、まだ三歳の王太子、マルセルが差し出した可憐なヒナギクを受け取り、彼の頭を優しく撫でた。  リシャールは明るくさらりとした金髪で、目の色は薄い青色、マルセルは柔らかい赤茶色の巻き毛にこげ茶色の目をしていて、一見すると対照的だが、柔和な目鼻立ちと透けるような白い肌、薔薇色の口唇の形はとてもよく似ている。  二人で並んで歩いていると、まるで兄弟の天使が降臨したかのようだと言われることもあった。  王都の外れにある、周囲を高い石垣で囲まれた、「聖域」と呼ばれる世俗を離れたこの場所が、古い時代から続く神聖な神の庭であるせいもあるだろう。  今の時期は野の花が咲き乱れているこの広大な庭の向こう、建立された年代の異なるいくつかの神殿の最奥に建つ、小さな石造りの神殿で、リシャールは生まれ育った。  ほんの一時期は王宮で暮らしていたこともあったが、とある出来事のあとは正神官として聖域に戻り、その後はほとんど外に出ることなく、日々祈りの生活を送っている。  時折訪ねてきてくれる王宮暮らしの「弟」、マルセルの遊び相手をするのが、今は何よりの楽しみだ。 (マルセルは、やっぱりアルファ性の子供なんだな)  まだ幼いが、花を摘む手や歩き回る足が大きく、会うたびに心も体もぐんぐん成長しているマルセルを見るたび、リシャールは感心する。  いつの時代からか記録は定かではないが、この大陸や、大きな中海の向こうのいくつもの小国に住まう人々は、男女の性のほかにもう一つの性、バース性を持って生まれるようになった。  バース性にはアルファ、ベータ、オメガの三つの性があり、取り立てて目立つところのないベータを除く二つの性には、それぞれに大きな特徴がある。  アルファは高度な知能と強靭な肉体、並外れた身体能力が特徴で、民を導く指導力や統治力を生まれながらに持っており、主に王侯貴族の家系に生まれることの多いバース性だ。  オメガはその対になるバース性で、高い生殖能力を持っており、獣のように発情してフェロモンでアルファを惹きつけ、結び合ってアルファ性の子供を産むことができる存在だ。  アルファとオメガには独特の匂いがあり、オメガの発情時と生まれた直後はそれが強く香るので、バース性は出産時に判別できる。  マルセルが生まれたときには、アルファ特有の深みのある森の木々のような香りがした。  一方リシャールはオメガで、産湯に浸からせている間中、ヒイラギの花のような甘い香りが漂っていたと、二人をともに取り上げた年かさの宮廷助産師がそう言っていた。  アルファもオメガも、どちらも希少なバース性であり、生まれた子供がどのバース性であるかは、こと王族においては国家存続にかかわるほどの重要事項だ。 (父上にとっては、特にそうだっただろう)  ヴェルデ王国の現国王で、リシャールの父親であるアルファのフェルナン王は、リシャールがまだ幼い頃に、王位を継承できるアルファの王太子と、深く愛し合っていたオメガの王妃を相次いで亡くしていて、ほかにアルファの子供はいなかった。  リシャールはオメガなので、アルファの子供を産むことは、王族として生まれたおまえの果たすべき第一の責務であり、国是でもあると、幼い頃から徹底して教育されてきた。  だがそれは、結婚まで穢れのない清らかな処女性を貫き、王が認めた優秀なアルファを婿として迎えることが前提の話だ。  王族のオメガが産むべきだとされているのは、正式な伴侶であるアルファとの間の子供、すなわち、結婚後に発情したオメガをアルファが抱き、子種を注いで首を噛むという行為によって互いに排他的な絆を結んだ、「番」と呼ばれる者同士の子供なのだった。  だが――――。 『……まったく、なんということだ。よもやこのような事態になろうとは……!』  今から四年ほど前。フェルナン王が嘆くような口調でそうこぼしたときのことを、リシャールは今でも時折思い出す。そしてそのたびに、なんとも申し訳ないような、いたたまれないような気分になる。  実はマルセルは、リシャールが未婚のまま極秘出産した実子だ。  四年前の十八歳のとき、初めてフェルナン王の外遊に付き添うことになった折、天変地異で閉じ込められた暗闇の城館で、リシャールは時ならぬ発情を迎えてしまった。  そしてたまたまその場に居合わせたアルファ男性と、互いの顔も素性も知らぬまま事故のような形で結び合ってしまったのだ。  万一そのような事態になった場合に首を噛まれるのを防ぐために、オメガは普段から首を守るためのチョーカーをはめているのだが、リシャールもそのおかげで、相手のアルファ男性と番になることだけは回避できた。  しかし妊娠は避けられず、やがてマルセルが生まれるに至った。  それはリシャールにとってはもちろん、フェルナン王にとっても、まったく予想だにしていなかった事態だった。  だが、アルファ性の子供を生める希少なオメガのリシャールを、いずれは国内の有力なアルファ貴族か他国の王族と結婚させたいと望み、聖域で厳重に守り育ててきたフェルナン王にとって、なすべきことは一つだった。  リシャールは産んだばかりの赤ん坊のマルセルをフェルナン王に取り上げられてしまい、マルセルは王が架空の側室に産ませた子として、王宮で育てられることになったのだった。 「ああほら、見てごらん、マルセル。渡り鳥の群れが飛んでいるよ」 「わたりどり……、とおくから、きたの?」 「そうだよ。とても遠くからやってきたんだ。あの鳥たちは、海を渡ってここに来たんだからね」 「うみ……」  見たことのない海をどんなふうに想像しているのかはわからないが、マルセルは列を作って飛ぶ鳥を、瞬きもせずに見上げている。  とても可愛らしい横顔に、思わず笑みがこぼれてしまう。  年の離れた兄として、リシャールはマルセルからとても慕われていると自負している。  普段は離れているとはいえ、愛らしい我が子の横顔を時折でも眺める時間が持てるのだから、自分は幸福だと思うべきなのかもしれない。  けれど遥か空高く、どこへでも自由に飛んでいくことができる鳥たちを見ていると、かすかに憧れに似た気持ちを抱いてしまう。  マルセルの出産によっても、リシャールの将来が変わることはなかったのだから。 『何にせよ、首を噛まれなかったのは幸いだ。よいかリシャール。そなたの王族のオメガとしての責務、ゆめ忘れるでないぞ』  フェルナン王は、今でも時折リシャールにそう言い聞かせてくる。  四年前の外遊先での出来事のあと、懐妊の兆候が見られると、リシャールは聖域の一画にある小さな神殿に住まわされ、極秘の出産もそこで行われた。  そのおかげでマルセル出生の秘密はごく少数の者たちの間だけで固く守られており、ごくまれに、出産で亡くなったことにされている架空の側室についての噂が流れる程度だ。  だが体調が回復しても、リシャールはそのまま聖域に閉じ込められ、以前にもまして外出や行動の自由を制限されている。

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