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第6話

 ダークベヒーモスはアルマンドが立っていた場所を大きく行き過ぎてから、ぐるりと回って方向転換する。  そうしてまたアルマンドを正面に捉え、勢いよく走り出すが、アルマンドは先ほどとは反対側に体を返し、魔物の太い脚をもつれさせた。  翻弄されたダークベヒーモスが、苛立ったように咆哮する。 「なるほど。あの魔物は大きすぎて、小回りが利かぬのだな。アルマンド卿の動きも実に俊敏で、魔物では追いつけぬのだ。そら、そなたもよく見てみろ」  フェルナン王が言って、リシャールに望遠鏡をよこす。 「あの魔物めは獰猛で、歩兵も騎兵も蹴散らすと聞いていたが、一人を相手にするのは苦手と見える。だがベータではそもそもあんなふうには動けぬし、アルファの騎士でも魔物相手では難しかろう。アルファのバスターだからこそ、あのような戦い方ができるのだ」 (……本当だ、すごい……)  戦闘のことはよくわからないが、望遠鏡越しに覗き見えるアルマンドは、まるで魔物相手に踊ってでもいるかのようだ。突進も攻撃もひらりひらりと自在に避け、体に魔物の角が触れることもなければ、鋭い爪で引っかかれることもない。  それでなくとも重い鎧をまとい、大剣を佩いているというのに、あんなにも軽々と動き回れるなんて。 「……だが、このまま避け続けていても魔物は倒せぬ。さて、どうするつもりだ?」  フェルナン王が、まるで闘技場で剣術の試合でも見ているかのように独り言ちる。  ダークベヒーモスは苛立っているようには見えるが、魔物は疲れたりはしないだろう。動き回らされても、力を消耗しているというふうではない。  確かにあまり長く時間をかけると、人間のほうが参ってしまうのではないか。 「あ……!」  ダークベヒーモスが今までになく低い姿勢を取り、砂をまき上げながら後ろ足で地面を蹴って、勢いよくアルマンドに飛びかかったから、思わず声が出た。  アルマンドがやや腰を落とし、大剣に手をかけるのが見えたが――――。 「っ……!」  アルマンドの手元で何かがカッと光ったと思ったら、ダークベヒーモスがアルマンドが立っていた場所に飛び降りた。  続いて頭を高く振り上げたので、アルマンドが角で突かれて跳ね上げられたのではと、怖くなって思わず顔をそむけてしまう。  フェルナン王がリシャールの手から望遠鏡を取り、覗き込みながら言う。 「ふむ……、いったいどうなったのだ。砂でよく見えぬぞ?」 「……?」  むごたらしい情景を見てしまう予感におののきながらも、フェルナン王が見ているほうに目を向ける。  するともうもうと上がる砂煙の中、ダークベヒーモスがズンと音を立てて崩れるように地面に倒れ込んだのが見えた。  続いて地面に、黒っぽい液体が大きく広がっていく。  あれはもしや、ダークベヒーモスの血……? 『……おお、アルマンド卿だ……、アルマンド卿が立っている!』 『本当だ! 剣を掲げているぞ!』  ルーフテラスのほうから声が聞こえてきたから、フェルナン王とともに部屋を出る。  風で砂煙が流されると、ぐったりと動かないダークベヒーモスの巨体の後ろに、大剣を持ったアルマンドが立っているのが見えた。  血を浴びたのか、鎧がところどころ黒くなっていて、さっと大剣を振るとぱっと黒い飛沫が飛び散った。  どうやら先ほどの一瞬の立ち合いで、本当に剣一つでダークベヒーモスを仕留めたようだ。フェルナン王が大声で臣下に命じる。 「馬車を出せ! リシャール、そなたもついてこい!」 「は、はいっ」  そんなことがあるのかと、皆が信じられない思いで馬車に乗り、高台を下りて街道をひた走る。  防護壁に作られた金属製の門をくぐり、橋を渡って関所のほうに向かうと、ピクリとも動かないダークベヒーモスが血だまりの中に倒れていた。  そしてその傍らには、アルマンドが音もなく立っている。  攻撃を上手く避けていたように見えたが、もしや怪我でもしたのかと心配になるけれど――――。 「……っ!」  皆で馬車を降り、魔物の岩のような巨体が横たわる場所に近づいていくと、ゆっくりとこちらを振り返ったアルマンドと目が合った。  魔物の返り血を浴びて静かにたたずむ、アルファの剣士。  雄々しくも凄絶なその姿を見た途端、リシャールはどうしてか胸が震えてしまい、目は彼に釘付けになったまま、動けなくなってしまった。 (……なに……、これ……?)  嫌悪ではなく、恐ろしいのでもない。  人のことをこんなふうに凝視するのは失礼だと思うのに、アルマンドの黒い目から、どうしてか目が離せない。  呼吸が荒く、心拍がどんどん大きくなって、耳の中にはざあざあと血流の音が聞こえてくる。  こんなふうになったのは初めてだけれど、少しも悪い気分ではなかった。  自分は今、生れて初めて人に魅了されてしまっている。  そう気づいて、頬が熱くなってくる。 「……英雄だ……、英雄の誕生だ!」 「いや、勇者だ! アルマンド卿こそ、真の勇者だ!」  門の向こう側にいた平民の兵士たちが橋を渡って追いついてきて、口々にアルマンドを賛美する声を上げる。  うねるようなその声に、貴族たちは居心地悪そうに顔を見合わせる。  フェルナン王が魔物の屍骸を見上げ、それからアルマンドを見て、小さく首を横に振る。 「……まったく、驚異的な戦闘能力だな。皆があんなにも手こずった魔物を、こうもあっさりと退治するとは」  フェルナン王の驚嘆に、アルマンドが慎ましく会釈する。  そうして大剣を鞘に納め、マントをひるがえしてフェルナン王の前に膝をつく。 「王直々に見届けていただき、光栄の至りです。もしも子細に検分なされるのでしたら、どうかお早めに。魔物のなきがらはすぐに悪臭を放ち始めますので」 「いや、それには及ばぬ。それよりも早々に宣言しておくとしよう。そなたと我が息子リシャールとの婚姻を、正式に認めるとな」 「おお! 結婚だ!」 「リシャール王子が、ついにアルファの花婿殿とご結婚だ!」  平民たちが歓声を上げ、花婿候補たちがうなだれる。  フェルナン王がこちらに目を向けて言う。 「そんなところに立っていないでこちらへ来い、リシャール。アルマンド卿を伴侶とするならば、その手を取り――――」 「いえ、陛下。恐れながら、我が手は魔物の穢れた血で汚れておりますゆえ……」 「……そのようなお気づかいは不要です、アルマンド卿」  リシャールは胸を高鳴らせながらアルマンドに駆け寄り、彼の手を取った。  魔物の血の生ぐさい臭いがしたが、かまわずその手を胸に引き寄せると、アルマンドがまっすぐにこちらを見上げた。  そのオニキスのような黒い瞳を見返して、リシャールは告げた。 「人々のために、進んで魔物と戦う勇気あるアルファのあなたを、我が花婿として受け入れ、あなたと番になります。王都に戻ったら、すぐにでも私と結婚してください!」  アルマンドの求婚に対する、リシャールからの正式な応答を告げると、平民たちから歓喜の声が上がった。  フェルナン王が高らかに宣言する。 「ここに我が子リシャールと花婿アルマンドとの婚約は成立した。以後、何人もこの二人の結婚を妨げることは許さぬ。王都に帰還後、正式な式典を執り行うものとする!」  よどみのない言葉に、アルマンドがまた頭を垂れる。  リシャールはいつになく高揚した気持ちになりながら、アルマンドの大きな手をぎゅっと握り締めていた。

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