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いつもの診察室

診察室の扉が静かに開いた。 入ってきた青年を見て、(さかき)(すい)は無意識のうちに背筋を伸ばした。 黒髪に細いフレームの眼鏡。 少し眠そうな目。 売れっ子小説家として知られる彼――望月芹は、いつも通り落ち着いた様子で椅子に腰を下ろした。 「こんにちは」 「こんにちは」 短いやり取りだった。 それだけなのにの翠の胸は少しだけざわつく。 もちろん、そんなことは顔に出さない。 彼は患者で、自分は医者だ。 「最近の体調は?」 「まあまあです」 いつものような曖昧な返事。 無理に追求はしなかった。 彼が本音を話さない日なんて、今では珍しくない。 それでも通院を続けてくれているのは、多少なりとも信頼してくれているからだろうか。 そんなことを考えてしまって翠は内心、苦笑いする。 医者が患者との距離を測り間違えてはいけない。 そう頭では理解している。 けれど、目の前の青年はどうも気になった。 世間では天才と呼ばれる作家。 書店へ行けば平積みになり、SNSでは新刊が出るたび話題になる。 だが、翠が知る彼はそうした華やかな姿とは少し違っていた。 締切が近づけば眠れなくなり、食事も疎かになる。 体調が悪くても「大丈夫です」と言って誤魔化す。 存外、自分を大切にしない人間だった。 「原稿は順調ですか」 問いかけると、芹は小さく肩を竦めた。 「先生その質問好きですよね」 「仕事ですから」 「編集より聞いてくる」 淡々とした口調だったがわずかに笑っている。 その表情を見て少し安堵した。 今日は機嫌が悪くなさそうだ。 それだけのことなのに、なぜか胸の奥が軽くなる。 「ちゃんと寝てます?」 翠はカルテに目を落としたまま尋ねた。 芹は少し考えるように視線を上へ向ける。 「寝てますよ」 「何時間」 「三時間くらい」 翠はペンを止めた。 「それは寝ているとは言いません」 「小説家の基準では寝てます」 「その基準を改めてください」 即答すると、芹は小さく吹き出した。 診察室に微かな笑い声が落ちる。 こういう時だけ年相応だな、と思う。 インタビュー記事やテレビで見る彼は、どこか近寄り難い。 言葉を選び、隙を見せず、いつも冷静だ。 けれど、診察室では違う。 少なくとも、翠の前では時々こうして気の抜けた顔をする。 「食事は」 「食べてます」 「昨日の夕食は」 芹は沈黙した。 数秒してから眼鏡の位置を直す。 「……コーヒー?」 「飲み物です」 「ミルク入りでした」 「そういう問題ではありません」 再び小さな笑い声が漏れる。 それを聞きながら、翠は処方箋へ視線を落とした。 こうして他愛のない話をしていると、目の前の男が世間を騒がせる人気作家だということを忘れそうになる。

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