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プロローグ 嫌われ闇魔術師の末路
「おい、――生きているか!」
強く胸を叩かれて両目を見開いたオレは、ヒュッと大きく息を吸い込んだ。
そのまま身体を折り曲げゲホゲホと咳き込む。肋骨が軋むように痛み、鉄錆くさい血を吐き出した。暗闇の中、ひんやりとした細い草が頬に触れる。
冷たい風が吹き、木の葉の擦れる音だけが耳に届く。固い地面が膝に触れていても、もう自力で身体を支えることはできなかった。
ヒューヒューと変な音が口から漏れている。他人事みたいだが、紛れもなくオレの喉からしている音だ。
あ? なんだこれ。どうしてこんな……
身体の違和感を意識した途端、のたうち回りたくなるような激痛が全身を襲った。数多の針で貫かれるような感覚に苛まれ息もできないオレの額に、温かい手のひらが触れる。
小刻みに震えていた身体の緊張がやわらいで、一瞬だけ呼吸が楽になった。
しかしすぐにまた咳き込み、喉からあふれた血が地面にぼたぼたと滴る。
「一度では治りきらないか……」
柔らかな声と共に頬に触れる手の感触があった。再び温かい魔力を感じて、腫れぼったい瞼を幾度か瞬かせる。
これはまさか――治癒魔法か?
きっきまでのオレは、放っておけば胸に血が溜まって窒息していただろう。もう咳をする体力もなく、溺れるしかなかった。それを、強制的に呼び戻した奴がいる。
一体、誰が……。
「内臓がかなり傷ついている。痛むだろうが、もう少し我慢できるか?」
月もないこんな暗い夜には不釣り合いな、凛とした鋭さのある声が響いた。
張りのあるその音は曇天を払う強風のようで、オレの薄れかけていた意識を覚醒させる。
この声はまさか、と視線を上げた瞬間――相手の顔が見えて、オレはぎくりと身体を強張らせた。
「一度に治しきらずにすまないな。もう一度治癒魔法を……」
再び温かい手が俺の身体を撫でていく。
呼吸が楽になるにつれて、腫れて開きにくい瞼を無理矢理に押し上げ、オレはその男を凝視した。
わずかな星明かりに照らされた輝く銀髪が最初に目に入った。絹糸を束ねたようなその長い髪の一筋がオレの方に流れ落ちてくる。
冴えた銀に縁取られた端整な顔立ち、透き通るアイスブルーの瞳、片目を無粋な眼帯に覆われていても陰りの見えない秀麗さ、その全てに既視感があった。
ここまでくれば人違いではないだろう。
よく見かけた白銀の鎧ではなく、身なりも見知ったものではなくなっていたが、オレがその顔を忘れるわけがなかった。
「目は、見えているか? 物盗りの類いじゃないから安心してくれ。私はライオネル。これでも元騎士団の者だから、悪いようにはしない」
隻眼の美丈夫に輝くような笑顔を向けられても、オレの視界は絶望で真っ暗だった。
この男を、嫌というほどよく知っている。
帝国騎士団副団長ライオネル・ヴァンフォーレ。
貴族出身の騎士のくせして市井の事件にまで出しゃばってくる目障りな『聖騎士』野郎じゃないか。
皮肉なほど晴れた星空の下、こいつの仇敵であるオレ――悪名高き『闇魔術師』のネロは生死の境を彷徨っていた。怪我で顔まで腫れ上がっていたから、こいつも気づかず声をかけたに違いない。
しくじって大怪我をして、街道沿いの草むらに倒れ込んで少し休憩しようと思っていたら、一歩も動けなくなっていたんだ。こんなことなら座り込むんじゃなかったと悔やんでも遅い。
情けないことに、こうして治療魔法を叩き込まれる瞬間までオレは棺桶に片足を突っ込んでいた。
しかし正体がバレれば棺桶にオレを押し込むのはこいつのほうだ。
背中にじわじわと冷や汗が滲んでくる。
「こんな子どもになんて酷いことを……」
温かい治癒魔法と共に、そんな言葉をかけられる。
同情を滲ませたその声に、ムカッと苛立ちが湧き上がってくる。
聞き捨てならねぇなそれは。馬鹿でかいお前に比べたら多少は劣るが、誰が子どもだ。その目は節穴か腐ってんのか。よく見ろ、どう見ても成人してるだろうが。
そう言い返したくとも口の端が切れていて動かすのも億劫だった。大きな腕に支えられ、抱き起こされて痛みにうめく。
血で張りつき顔を半分覆っていた黒髪をかきあげられて、目の前がわずかに明るくなった。
「荒療治になるが、少し我慢してくれ」
「――あ?」
言うが早いか、ライオネルの顔がオレの目の前に迫る。視界がまた暗くなった、と思った次の瞬間には柔らかい何かで唇を塞がれていた。
「――ッ、……ンンッ!」
ドッと入り込んでくる、温かい魔力は治癒魔法だろう。
柔らかい感触と何かぬるりとしたものが口の中に忍び込んでくる。こじ開けられた口腔に、粘膜を通してひたひたと治癒の力が注がれていた。
「――ッ」
入り込んできたのは、ライオネルの舌だ。濡れたソレが口の中を撫で回し、息を吹き込むように魔力を流し込んでいる。
粘膜を通じて流れる温かな力が、オレの身体の芯を震わせ全身に共鳴するような感覚があった。どく、どく、と力強く打つ心臓の音が接した身体から伝わってくる。
――気持ち良い。麻薬でも打たれたかのように、全身の痛みが遠のいていった。
ライオネルの魔力が染みこんでくると、痛みがじわりとした熱に変換される。は、と堪らず小さく吐息を零した唇が今度は顎を掴まれまた深く塞がれた。
ちゅ、ちゅく、と濡れた音を立てて舌を絡めとられながら、唾液を注がれる。飲み干すそれは甘露のようで、抗うことすら考えられない。
カアッと喉の奥から広がったのは目眩のするような心地良さだ。乾いた砂に大量の水をぶちまけられたように、必死になってそれを飲み下した。
流されそうになって、オレは拳をギュッと握りしめた。我を忘れて懐いてしまそうになる気持ちを必死に堪える。
でもボロボロの身体には抵抗するだけの力も残っていなかった。その口づけによって癒やされた身体はオレの意志に反して活力を取り戻していく。
これが、教会に認められた者だけが持つと言われる、神聖な『治癒』の力……。
騎士団の副団長という職に就きながら、ライオネルは教会にも所属していて神職を兼ねているからって特別に『聖騎士』と呼ばれていた。
本来なら厳しい修行を終えた神官が授かるはずの『祝福』を生まれながらにして与えられ、赤子のときから聖魔法が使えたらしい。
こういう圧倒的に恵まれた存在ってのが、この世には存在するんだよな。まったくいけ好かない。
不意に、萎えていたオレの指先がピクリと動いた。自分の力で腕を持ち上げ相手の胸を叩く。
滑稽なほどに弱々しい拳だったが、ライオネルは銀糸を繋げた唇をスッと離してオレの口元を親指で拭った。
重症者とはいえ何処の誰ともわからない相手に、口づけで治癒魔法をかけるなんて……どれだけ酔狂なんだこいつは。
「これで、だいぶ回復したかな。……後は移動してからにしよう」
唇を離されると、なんとか咳き込まず呼吸ができるようになっていた。
はぁ、はぁ、と短く息をつきながらも警戒して身体を強張らせる。オレの反応をどう思ったのか、ライオネルはマントを広げ俺の身体を包みこむと、壊れ物を扱うように抱き上げた。
逃げようと身を捩っても、布を巻きつけられていて動けない。まさかこのまま騎士団の詰め所にでも連れて行かれて、尋問されるのではと震えが走った。
「寒いか? これから熱が出るのかもしれない。急ごう。少し揺れるが我慢してくれ」
言うが早いかライオネルは飛ぶように走り出した。オレは掛けられたマントで顔あたりまで隠されてしまったので、視界が効かない。
どこをどう走っているのかまるでわからなかった。
ただ、大切な物のようにそっと抱きしめられている。揺れが響かないように気をつけているのか、振動は最小限だった。
だからこそ、いたたまれない。
傷の痛みと熱で朦朧としてなかったら、突き飛ばしてでも逃げたのに。
だってこいつに……ライオネルに正体がバレたらオレは確実に牢屋行きだ。
――オレは、この白銀の聖騎士の片目を奪った仇なんだから!
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