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第1話 喜劇のような十八年

 オレが動けなくなるほどの大怪我を負ったのは、ほんの数時間前だった。    闇魔術師のオレが所属する組織の隠れ家は、街道を少し離れた森の中にある。いくら騒いでも助けなど来ない古びた山小屋だ。  そこで、よってたかって体格の良い奴らに殴られ蹴られ、満身創痍だった。殴られる理由は特にない。ただの憂さ晴らしに使われただけだ。  組織に所属する奴らに死ぬ寸前までいたぶられるなんて、少し前のオレなら想像もしなかっただろう。  魔術に溺れ、傲慢でどうしようもなく高飛車なガキだったオレが後ろ盾を失ったら、こうなるのは自然の摂理だった。  わかっていたはずなのにな。この世界は、弱者にはとことん理不尽にできていた。  逃走を図る前――酒を飲んで騒ぐ男たちの声が、血と埃で汚れきった床板に響いていた。  それが高いイビキの大合唱に変わったあたりでオレは起きあがり、足を引きずって隠れ家から逃げ出した。  冷やしてもいない顔は腫れ上がって燃えるように熱いし、倍ぐらいに膨れて醜い有様だろう。  折れた腕はぶらぶらするばかりで役に立たず、それでも走れる限り走って、森に逃げ込んだ。そこからは真っ暗な木々の間を抜け、空に光る星で方角を調べて進んだ。  街道沿いに歩けば近くの村に着くはずだ。そう思ってひたすらよたよたと歩いてきたが、そのうち力尽きて道端に倒れた。  このままだったら野垂れ死ぬかな。  ぼんやり見上げた空に、ひときわ輝く星がみえた。銀色の、冴えた光だ。今日は月のない闇夜だった。  新月のおかげでオレは上手く逃げ出せたというわけだ。月が明るかったらこう上手くはいかなかっただろう。  でも、逃走劇もここで終わりだ。自由なまま死ねるならそれもいいかもしれない。  目を瞑ってどれくらい経ったのか、一分か数時間か、闇の深い星空を背にした人影がぬっと目の前に現われた。そしてオレの胸を叩いて莫大な量の魔力を注ぎ、治癒魔法を施したんだ。  それが――今オレを抱き上げて運んでいる、聖騎士ライオネルだった。 「……ッ」  瞼の上が切れてるらしく血が目に入って、酷く染みた。全身の打撲よりこんなのが気になるんだから変な感じだ。  ひとつひとつの傷は致命傷でないとわかっていた。生かさず殺さず飼うことがあいつらの目的だからだ。  オレの使う『闇魔法』に利用価値がある限り、殺されはしない。  まあ半殺しにはされるし、無理をすれば命に関わるが。  おそらく朝になるまで放置して苦しませて、後で簡単に手当でもするつもりだったんだろう。  ボロボロのオレが、監視の緩んだその隙に死に物狂いで逃げ出すなんて、思いもしなかったに違いない。 「……」  夜闇に白銀の髪を靡かせて走るライオネルは、チラチラとオレの様子を窺っていた。  抱きしめてくる腕はオレの何倍もの筋肉がついているようで、押そうが叩こうがビクともしない。ここで腕を押し退けて飛び出しても、無事に逃げきるのは不可能だろう。死ぬだけだ。  一度助かってしまうと、生き汚い本能が顔を出す。まだ死にたくないと叫ぶ己の声には逆らえなかった。  そもそもオレの右腕は今も動かなかった。  踏まれたとき妙な音がしたからヒビが入ったか、あるいは折れたか。  あいつらオレの利き手が左だって知ってるから、こっちは折っても構わないと思ったのか。オレの魔法頼りで仕事してる無能どものクセにな。  全身は痛みよりも熱いって感覚のが最初は強かった。鉛でも飲まされたように息は苦しいし殴られた頭は朦朧としている。    傷の痛みから逃れるようにウトウトしていたら、いつの間にか一軒の屋敷の前に着いていた。  貴族の屋敷にしては比較的小さな建物だ。別荘、と言った方が正しいかもしれない。  貴族ってやつは無駄にあっちこっち家持ってるからな。  見上げると、中ではあかりがついていて、バタバタと人の駆けてくる気配がする。この屋敷の使用人だろうか。 「まずは傷を清めてから手当をしなくては。……ぬるめの湯の用意を頼む。客間をひとつ使えるようにしてくれ。それと着替えには私の服を」  ライオネルの指示で再び人が散っていく。  いまだにオレから手を離さないこいつは、逃げることを疑ってるのか。オレが誰だか分かってるのかどうか、それが一番の問題だった。 「この様子では食事は無理だろう。明日の朝にはスープか粥を。それと……」 「客間の準備が整いました!」 「ああ、ありがとう。私が運ぶから皆は手を出さなくていい」  頭上での会話に無反応を貫きながら、慎重に耳を澄ませる。正体がバレたら個人的な憂さ晴らしで拷問される可能性だってあった。  だって、心底憎まれているに違いないんだ。あの眼帯と同じ目に遭わせると言われたらどうする?  背を、冷たい汗が流れていった。  しかしいまこの状態で逃げるのは体力的にも無理だ。バレずに治療を受けられるよう賭けるしかない。 「大丈夫か? 意識は……おい!」  極度の緊張と傷による発熱で朦朧としていたオレは、呻き声ひとつ上げられないままライオネルの腕の中で気を失った。       ‡  水の滴る音で目を覚ました。  温かい湯の中で、大きな手がオレの身体を撫でている。 「腕の骨折は治してある。ただ、繋げたばかりだから無理に動かさないでくれ」  耳に心地良い穏やかな声が耳元で響いた。  声の反響から、ここは風呂場か?  視界は湯気で白く、触れてくるライオネルの手だけが鮮明な感覚だった。背後に温かな身体がぴったりとくっついている。  向こうも裸のようなんだが。他人を風呂に入れるのに一緒に脱ぐ必要、あるか? 「接ぎ木で固定して、包帯で動かないようにしておくから……。聞いているか? 君はとんでもない重傷なんだ」  言い聞かせるようにそう言われて小さくため息をつく。  眠気を誘う穏やかな低音の声のせいか、心地好いぬるま湯のせいか、オレの意識は再び落ちかけていた。  コク、と頷くとオレの長い黒髪が湯の中で広がった。ライオネルはその黒い束を大事なもののように掬い上げると、ジッと眺めている。  濡れた髪を束ねて絞ると透明な湯がポタポタと落ちた。  血で汚れていただろうに、随分と綺麗に洗ってくれたらしい。  闇魔術師であるオレの、この長い黒髪には魔力が籠められていた。痛んだり汚れたからと切られていたら困ったことになっただろう。 「治癒魔法より優先して痛みを消すほうに魔力を使っている。……治りは少し遅くなるが、痛いよりいいだろう?」  なるほど、怪我に湯が染みないのはそういう理由か。  穏やかな声で話しかけてくる男は、相変わらず馬鹿丁寧にオレの身体を扱った。ザバッと湯から引き上げられて、横抱きのまま運ばれる。  オレは温かい石の台へ降ろされた。裸足のかかとを大きな手で包まれて、つま先に口付けが落ちる。  ……それも治療なんだろうか?  わずかに魔力の流れが感じられてくすぐったい感覚を呼び覚ました。確かに痛みはもうほとんどなく、不思議なほど身体が軽い。  治癒魔法のおかげでもう逃げられるだろうかと腹に力を込めてみると、全身に魔力の流れが感じられた。これなら―― 「痛みを消す魔法は私しか使えない。毎朝かけ直すから、傷が治るまではここにいてくれ」  オレの企みを見透かしたように、ライオネルが釘を刺してきた。  内心で冷や汗が吹き出したがオレは何の反応も見せないで静かにしていた。何がきっかけで正体がバレるかわからない。  その間にも大きなタオルでオレの身体から水滴を拭き取ったライオネルは、すべての傷に薬を塗り丁寧に包帯を巻いていく。  逃げる道はないのかと落胆したオレは抵抗もせず、ぼうっとライオネルの動きを見つめていた。   「……ここに、いてくれ」  唐突に、哀願するような声音で言われた。  いや、勘違いだろうか?  スッとこちらを向いたアイスブルーの瞳が射貫くように見つめてくる。無意識に身体が震え、身構えてしまったオレの身体を再びライオネルが抱き上げた。  運ばれて辿り着いたのは、柔らかな寝具だった。  そこで、ライオネルは再び巻き終わった包帯の上に口づけを落とした。腕、肩、脇腹に膝、そして足の甲にも、白い包帯の上へ柔らかな唇が触れる。  口づけをされると痛みが引くような気がするから、これはやはり魔法なのか。  でも――ライオネルの触れ方は堪らなくむずがゆい感じがして、逃げたくなった。 「やめろ……」  無理に絞り出した声は掠れきっていた。暴れようとしたが、心地好い眠気に襲われた身体の動きは鈍い。全身の疲労が抵抗の意欲までも削いでいく。 「治療だから、我慢してくれ」  こいつの治癒魔法は心地好くて、困る。抗えなくなっていく。  そうしてオレはウトウトと眠りに落ちるまで、熱と快感を与えてくるライオネルの口づけを全身に受ける羽目になった。       ‡    思い返してみると、オレの十八年の人生は、その大半ができの悪い喜劇みたいだった。  五歳のとき、故郷の村を流行病が襲った。村人、両親、兄弟に至るまで全員ぽっくり死に絶えてオレは一人になった。  親なしの子どもの行く先なんて、田舎じゃ奴隷商と決まっている。  そこから売られ、人手が足りないからと鉱山に送られてまったく向いてない肉体労働をさせられた。  五歳の子どもが一度に運べる瓦礫の量なんて小さいバケツ一杯がせいぜいだ。何の役にも立たない。  でもオレが呼ばれたのは労働のためじゃなかったと、後で気づいた。  日々苦しい労働に不満を溜める者たちのため、憂さ晴らし用にと、最下層の奴隷のガキを連れてきただけだ。  ガリガリに痩せて体力もないオレは毎日殴られ蹴られ、大人たちの八つ当たりに晒されながら十歳まで生きた。  その頃、鉱山労働に王都の罪人が混じり始めた。彼等はひと目見てわかる悪党ヅラで、鉱山労働者たちの治安はさらに悪くなった。  毎日隠れて酒を飲み、誰かを殴り、今までは標的にならなかったような奴らまで虐げられて地獄絵図になっていった。  そいつらをまとめ、労働者たちの親玉になったのが魔術師の『ゼファー』だった。  灰色髪した眼光の鋭い男で、髭がもじゃもじゃしていて年齢はわからない。だからオレはじじいと呼んでいた。 『おい、そこの坊主。お前だよ。ちょっと来い』  じじいはオレの存在に気づくとすぐに、お前には才能があるから闇魔法を教えてやろうと言い出した。  その日から、じじいはオレに魔法の手ほどきを始めた。じじいの得意な魔法は風だったが、闇魔法も少し囓っていると言っていた。  ぐんぐん力を付けていくオレに周囲の視線は明らかに変わっていった。  羨望、嫉妬、憤り、恐れ、怯え、様々な感情が入り乱れるなかで一番強かったのがオレに対する『恐怖』だった。  毎日オレを殴っていた男たちは報復が怖くて仕方ないらしく、いつもオレを避けてコソコソと逃げ回った。 『坊主、好きなだけ報復しろ。それがお前の権利だ』  ゼファーはオレの手を取り、そう言った。力ある者が弱い者を虐げる、それがこの場所のルールだと。 『今までやられた分、思い知らせてやれ!』  大笑いするゼファーに煽られて、魔法を覚えたてだったオレは調子に乗った。来る日も来る日も報復に勤しんで、鉱山の労働者でオレにたてつく者はほとんどいなくなった。  それが魔法の反復練習になっていたと気付いたのは、もう少し大人になってからだ。じじいはガキに物を教えるのも上手かった。  それからオレはじじいの右腕となって、威張りくさって過ごした。怯えた目で地面に額ずく奴らをせせら笑って踏みつけるのは気分が良かった。  それから二年後、ゼファーが徒党を組んで鉱山から脱走した。  もちろんオレは魔法でじじいに手を貸し、共に鉱山を出た。そのままゼファーと縁があるという暗殺組織『夜の牙』に連れて行かれて、十二歳から人殺しに関わるようになった。  何でも屋に近いその組織にはオレと同様、幼い頃に連れて来られて剣や暗殺技術を仕込まれた子どもがたくさんいた。  その中の一人に、オレはなったというわけだ。  こうして覆面の暗殺者集団の中に、悪党の闇魔術師が誕生した。  教えられるまま指示通りに魔法を使い、仲間が次々に命を刈り取っていくのを毎夜眺めた。オレは剣は得意じゃなかったから、魔法支援だけだ。  それだけで充分、オレは他のヤツより役に立った。  だんだんと感覚が麻痺してきて、そうか人の命というのはこんなに呆気なく軽いモノなんだなと思うようになった。  そうなったらもう、人殺しの罪悪感なんて薄れて、何もかもどうでもよくなっていた。他人が生きようが死のうがオレには何の関係もないことだったからだ。  ……しかしある日、しくじったゼファーが呆気なく捕まった。  そのあと、王都で処刑されたと聞いた。  嘘だと思った。でもいくら待ってもゼファーは戻って来なかった。灰色髪の髭もじゃじじいはオレの前から姿を消した。  人の死に衝撃を受けたのは久しぶりだった。いつの間にかあのじじいを身内のように思っていたのだとそのとき気がついた。皮肉にも伝える前に相手は死んでたんだが。  ゼファーのいない『夜の牙』を継いだのは、腕っ節だけは強いゼファーの息子カキアだった。  そいつは剣と暗殺術だけが全てで、魔法を心底馬鹿にしていた。  当然オレとの折り合いも悪く、ゼファーがいなくなって頭目になってからは特に酷くなった。  あからさまにオレを()き下ろし、役立たずの穀潰しだと嘲り、反抗すればゼファーへの恩も忘れて生意気だと罵る。  周りの奴らも、もともとオレの高飛車な態度が鼻についていたのかこぞって攻撃に加担した。  オレは魔法を使うだけで殺しは全部他の奴らがやっていたから、それをここぞとばかりに突っ込まれた。高みの見物ばかりで直接手を下さない臆病者、と。  ゼファーはそれを役割分担だと言っていたが、納得できない馬鹿が組織には結構な数いたようだ。  ただ、どう言いつくろっても『夜の牙』の仕事には闇魔法は必須だった。暗殺を伴う隠密活動にも、情報収集にも、痕跡隠しにもオレの闇魔法を使っている。  亡きゼファーが、オレなしにはほぼ仕事ができないくらいに計画のうちに組み込んでいたからだ。  独自に計画を組み直す頭のないカキアはゼファーの真似事をしながら仕事を回している。当然オレの手が必要になった。  カキアは、大して必要もないのに仕事を与えてやってるんだ、と偉そうにしながらオレをこき使った。  仕事量はゼファーがいた頃の三倍以上に膨れ上がった。  そして仕事を終えて帰れば酒だけ飲んで働きもしなかった奴らに足蹴にされ、食事も与えられない。  そんな生活、長く続けられるわけがなかった。  もともとゼファーがいない『夜の牙』には何の用もない。ここから出て、仕事が立ち行かなくなった組織を外から眺めるのもいいだろう。  そして落ちぶれてから顔を出してやって、せせら笑ってカキアの頭を踏みつけにしてやるのだ。そしてオレの手で、この『夜の牙』をぶっ潰してやる。  オレは燻る怒りと破壊衝動を胸に抱きながら、虎視眈々とその日を待った。  そして巡ってきた闇夜の日、オレは計画を実行した。  立ち上がれないくらい酷く痛めつけられた、という風を装って倒れていれば誰もがオレを無視して美味い酒に夢中になっていた。  ぼろ切れのように潰された奴隷なんか気にかけるヤツは一人も居ない。  そうしてオレは、まんまと逃走に成功した。

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