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最終話
午前中いっぱいを使って作業した結果、晢との荷物は段ボール数箱に収まってしまった。楓の家で生活するにあたり必要なものを持ち出していたため、持っていくものよりも処分するもののほうが多い。処分するものは後日部屋を引き渡す前に業者に頼んで持っていってもらうつもりだ。
「せっちゃん、荷物少なくない?」
「元々そんなにあるわけじゃなかったし、家具とかは処分しちゃうしね」
「そっか。全部揃ってるんだもんねぇ」
せっかく央基が会社から貸りてきてくれたワンボックスはガラガラだった。その様子にふたりで苦笑いしつつ、央基の運転で新居へと向う。さっき楓から予定通り仕事が終わったと連絡が入っていたから、いまごろは自宅の掃除をしつつ、雪兎の帰りを待ってくれているはずだ。
駐車場に着いたことを連絡すると、すぐに手伝いに降りてきてくれた。央基に手伝ってもらうことに関して雪兎の前では少々拗ねていた楓も、本人の前では実ににこやかに対応してくれていた。さすがは人気俳優、人前での取り繕い方はピカイチだ。
「折原さん、本日はありがとうございます」
「森宮さんこそ、お休みされるの大変だったんじゃないんですか?」
「いえ、それは全然。雪兎さんのためなので」
完璧な笑顔の圧に負けた央基が、助けを求めるような視線を寄越した。央基に対して牙を剥き出しにしたってどうしようもないのに、と苦笑いながら、早く荷物を運んでしまおうと声をかける。
これまた央基が会社から貸りてくれた台車を使って段ボールを運び上げた。箱数がすくなかったので一度で済んでしまうと、央基は部屋に上がることなく帰るという。
「お茶くらい飲んでいけばいいのに」
「そうですよ。手伝っていただいたんだし」
「また今度にするよ。荷解きとか、時間かかるだろうし」
当たり障りない笑みを浮かべていた央基だったが、仕事上ならいざ知らず、プライベートで楓とお茶を飲むのは気が引けたのかもしれない。ましてや、敵意を剥き出しにされている、とわかってしまったあとなのだ。
手伝ってくれたことへの感謝を示したかったのだが、ここは央基の気持ちを汲んで食い下がるのはやめにした。今度こっそり楓のいないところで、ご飯でもご馳走しようと考えながら、今日の礼を述べて頭を下げた。
「ありがとう、ヒロ。また連絡する」
「こんなのいつものことじゃん。じゃあ、森宮さん、せっちゃんのことよろしくお願いします」
「それはこちらこそ」
「泣かせるようなことしたら、いつでも奪いますから覚悟しておいてください」
え? と呆気にとられた楓がなにか言う前に、央基がまたね、と雪兎に手を振って帰っていった。雪兎からすれば、親友を取られた央基なりの嫌味であり、ただの冗談だ。けれど楓は意味をわかりかねたのか、戸惑ったような顔を雪兎に向けてくる。それがなんだかかわいい。
とりあえず家に入って、リビングのソファに座らせた。いつも余裕綽々に見える楓が、こんな風に狼狽えているところを見るのは珍しい。挙句の果てに
「……折原さんって、やっぱり雪兎さんのことすきなんじゃ……?」
と言い出す始末だった。
「だから違うってば! それに、楓くんは俺を泣かせたりしないでしょ?」
楓の前に膝をついて顔を覗き込むと、絶望に沈んでいた表情がすこしだけ明るくなった。それはもちろんそうだけど、と珍しく弱音を零す様子に、自然と頬が笑みに弛むのがわかる。雪兎に対して、かわいいと言ってくれる楓の気持ちがわかった気がした。胸の奥がむずむずとして、いとおしさが怺えきれない。
どうにかして笑わせてやりたくて、そっとその身体に抱き着いてみた。胸の頬を摺り寄せると、楓の鼓動がひとつ高らかに跳ねるのが聞こえる。戸惑うような声に名前を呼ばれるのに、雪兎の笑みが深くなった。余裕があるように見えていた楓も、雪兎と同じようにドキドキしたり緊張したりするのだ。
「楓くんもドキドキしたりするんだ」
「そりゃあするよ。雪兎さんにくっつかれてたら。それに嫉妬だってするし」
「ヒロに牙向いたってしょうがないのに。俺がすきなのは楓くんだけだよ?」
そう言ってしまってから、素直に気持ちを口にできるようになった自分に驚いていた。楓がうれしそうな笑いを零して、雪兎の身体を抱き上げてくれる。強請るように唇を撫でられるのに、勇気を出して楓の唇を啄んでみた。甘い笑みに崩れていく表情を見ながら、改めてこの男の恋人であるという至上の喜びを噛み締めざるを得ない。
「雪兎さん、ベッド行こ?」
柔いくちづけを交わしたあとで、そう強請るような声を出された。明日までに荷解きを終わらせたかったのに、と思ったが、楓からの誘惑には勝てなかった。それにいまは思い切り、恋人を甘やかしてやりたい気分だ。
「あとで荷解き手伝ってね?」
「もちろん!」
弾むような声を出した楓に、そのまま抱き上げられた。何度も抱き上げられてしまうので、もう笑い声を上げられるくらいには慣れている。そのまま楓の部屋へと運んでもらうと、広々とした真新しいベッドが設置されていた。それを置いたところで部屋がちっとも狭く感じないところがまたすごい。
このベッドは楓の仕事が早めに終わった日に、ふたりで家具屋に見に行って買ったものだ。田中が気を利かせて店を貸し切りにしてくれたので、ふたりでゆっくりと寝心地がいいものを選ぶことができた。楓のベッドで眠るのだって広いしなんの問題なかったのだが、せっかくだからなにかふたりで新しいものを選びたいという楓の希望を組んで、ベッドを買い替えることに決めたのだ。
ベッドに降ろされると、マットレスが程よく沈んだ。楓が体重をかけると、真新しいベッドが微かに軋む。それに顔を見合わせて笑い合いあっていると、不意に楓が雪兎の左手をとって、恭しく薬指に唇を落とした。それからどこからか取り出した指環をその指にはめてくれる。
「楓くん、これ、」
「驚かせようと思って。雪兎さん、俺としあわせになりましょう。それでいつか結婚できる未来がきたら、そのときは俺と結婚してください」
握りしめられた手の、じんわりとした温度にいとおしさが混じる。楓の柔らかで甘い笑みに感極まっていたら、ぽろりと涙が伝い落ちるのがわかった。楓が驚いたように僅かに目を丸くして、泣かなくてもいいのにと甘い声を零す。胸の奥が歓喜に沸いて苦しい。
「雪兎さん、返事は?」
そう強請る、楓の身体を抱き寄せた。このぬくもりを、このさきもずっと、手放したくはない。
「俺のこと、末永くしあわせにしてください」
「はい」
楓がうれしそうに笑う気配がした。涙を掬うように落ちてきた唇が擽ったくて思わず身を捩る。
「ようやく、本物になった」
「うん?」
「雪兎さんの卒業式の前にボタンを交換したとき、ちょっと指環の交換みたいだなって思ってたんだ」
それは知らなかったな、と思いながら、楓の唇を享受した。その隙間から柔らかなしあわせが溢れ出るのを感じながら、雪兎は与えられる甘やかな刺激に身を委ねた。
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