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その後 3.ずっと隠してきた想い

 家に戻ってシャワーを浴びながら、樹は釈然としない気持ちを整理しようとしていた。  渡辺が川端の前ではっきり言ってくれたのは嬉しい。仕事のことを考えると不安だけど…正直嬉しい。だけど何だろう…何かが心に引っかかっている…  シャワーを終えキッチンへ向かうと、いつもの通り渡辺が夕食の準備をしていた。その後ろ姿を見て思い出した。  ―そうだ…渡辺さんは… 「一時の気の迷いじゃないから」 「え?」 「寂しさを紛らわすためでもないから」 「急にどうした?」  ちらっと樹を見た渡辺はまた鍋に視線を移す。 「僕、渡辺さんが好き。気の迷いじゃないよ」 「そうか。ありがとう」 「うそ。信じていないでしょ」 「信じてる」  鍋をかき混ぜながら穏やかに微笑む渡辺。 「じゃあ、もし僕の気が変わったら?」 「そうだな、俺が大らかになれる精神状態なら相手次第で見送ってやれる」 「やっぱり」 「また待つから」 「違うよ!やっぱり僕を信じてない!」  樹はコンロの火を消し、渡辺の腕を取り自分に向かせた。 「僕は、渡辺さんの気が変わったらって訊かれたら、何も答えられない。だって渡辺さんを信じてるから。そんなこと考えたことないから、そうなったら狂うしかないだろう」  待つだの、見送るだの、そんな余裕があるなんて。樹を信じられない渡辺が、いつも心の準備しているから言えること。 「僕の気持ちはそんな薄っぺらいものじゃないって、どうすれば分かってもらえる?」 「薄っぺらだとは思っていない。ただ…慕っているのと欲しているのでは違うだろう」 「僕は渡辺さんを欲してるよ。欲しいよ。いつも!」 「ありがとう」 「うそだ。信じてない…」  いつものように微笑みかけてくれる渡辺。だけど自分が欲しいのは子供を見つめるような優しい視線じゃない。もっと熱くて引き込まれるような…ベッドで自分を見つめる渡辺の視線。 「そうだ。今日は渡辺さんがしたいこと何でもする。渡辺さんがしろって言うこと何でもする。好きじゃなきゃできないこと何でも言って」  言葉で分かってもらえないなら行動で示すしかない。そう思った樹は渡辺を両手を取ってしっかりと目を見ながらそう言った。 「僕に何して欲しい?」  渡辺は必死な樹の姿、それだけで嬉しかった。幸せだった。十分だった。  だけど、せっかくだからと思いついたことを口にした。 「全裸で床を這って、俺を誘ってくれ」  そんなことをさせたいと思ったことはないけど、それはちょっと…と、樹が躊躇いそうなことをわざと言ってみた。  それなのに… 「おい、脱ぐのか?」 「だって、全裸ででしょ?」  樹は躊躇う様子もなく上衣を脱いだ。そして紐を解いて下衣も脱ごうとするところを焦った渡辺が止める。 「脱がなくていい」 「這うだけでいいの?」 「違う。這わなくていい」 「じゃあ何だよ。渡辺さんが僕にして欲しいことは?一番したいことは?」  本当にしたいこと…そう言われた渡辺は力いっぱい樹を抱きしめた。 「好きだ…樹…」  つぶやきながら、さらに腕に力を入れる。  渡辺に抱きしめられ、心が溶け出しそうになった樹は“ダメダメ”と自分に言い聞かせ、何とか上を向いて渡辺に問いかける。 「渡辺さんがしたいことって?」 「今してるだろう。樹を抱きしめて想いを伝えること。ずっと、ずっと長い間したいと思っていた」  その言葉に樹の思考が痺れそうになる。長い間狂おしい気持ちを押し込めて、どれだけつらかっただろう…想像するだけで樹は胸が張り裂けそうだった。渡辺の一番したいことが自分を抱きしめて想いを伝えることだなんて…樹の瞳から涙がこぼれた。 「じゃあ…もっと言って。渡辺さんが僕に言いたかったこと…もっと言って」  泣き出しそうになる自分を抑えながら樹はやっとのことでそう言った。  腕に力を込めた渡辺が樹の頭に頬ずりする。 「愛してる…俺だけを見てくれ…俺だけを…誰にも渡さない。どこにも行くな…俺だけのものになってくれ…」  涙の混じった渡辺の声に胸を打たれた樹は、力いっぱい渡辺を抱きしめ返した。 「僕は渡辺さんだけのものだよ…他には?他に渡辺さんがしたいことは?」 「好きだ…ずっと傍にいさせてくれ…永遠に俺のものになってくれ…」  抱きつぶすほど強く樹を抱きしめ、搾り出すように渡辺が続ける。 「樹…俺と…一緒に…死んでくれ…」  自分を抱きしめる渡辺の腕が震えている。苦しい…樹は胸を締め付けられて苦しかった。 ―渡辺さんが一番したかったこと…本当にしたかったこと…ずっと隠してきた想い… 「いいよ。僕…ずっと渡辺さんの傍にいる。渡辺さんと一緒に死ぬよ…」  “心中したいと何度も思った。”そう言っていた渡辺。それなら…渡辺と一緒に死のう。樹は本気でそう思った。  しばらく樹を抱きしめたままでいた渡辺が、気持ちが落ち着いたのか体を離す。 「ありがとう。一番したかったことをさせてもらった」 「まだしてないよ」 「え?」  樹がガスコンロをひねった。火がつかないようガスだけが漏れるようにして。そしてリビングに続くドアを閉め、換気扇を止めた。 「明日になったら、僕たち一緒に死んでる」  そう言って樹がニコッと笑う。そして渡辺の服に手をかけた。 「裸でつながったまま死にたい。いいでしょ?」  幸せそうに微笑みかけ、チュッとキスをする。 「永遠に僕のものだ。誰にも渡さない」  自分の下衣を脱ぎ捨て、渡辺の胸に顔をうずめた。  渡辺は愛しい体を折れるほど強く抱きしめた。何の迷いもなく自分と死んでくれるという樹。  このガステーブルは安全装置がついているので、このまま死ぬことはない。でも樹はそれを知らないのだろう。本気で裸でつながったまま心中しようとしている。  嬉しかった。だけど、渡辺は樹にこんなことをさせてしまった自分を恨めしく思った。樹には自分を大事にして欲しい。命を粗末にして欲しくない。 「樹。ありがとう。お前の気持ちは分かった。だから一緒に生きよう」 「僕は…このまま死にたい。だって…永遠に渡辺さんが自分のものになってくれるから…」 「こんなことしなくても俺は永遠におまえのものだ。おまえも…俺のものだろう?」 「そうだけど…」 「こんなふうに死なせたくない。愛しい樹にはいつも幸せそうに笑っていて欲しい」  不安げな目で自分を見上げる樹。渡辺が何度もその唇を吸った。 「今一番したいことをしていいか?」 「もちろん」  笑顔でそう答える樹を抱き上げ、渡辺はバスルームに向かった。  終わり

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