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第1話 御曹司の友達

愛菜(まな)。あなたも瑞穂のことが心配で……?」 「うん、そうなの」  晩春のある休日。二人の兄、玲司の部屋に向かう廊下で姉妹はバッタリ会って、お互い同じことを考えていたのだと理解する。 「ちょうどいいわ。二人で兄さんの部屋を訪ねましょう」 「うん!」  頷き合い、二人で兄の部屋へと向かう。 「兄さん。凛と愛菜です。入ってもいいですか?」  兄の部屋のドアをノックして凛が聞くと、中から『どうぞ』と返事があったのでドアを開けたのだが―― 「きゃーーっ♡」 「……」 「どうした? 何か用か?」  今まさにTシャツを着ようとしていた半裸の兄の姿に愛菜が黄色い悲鳴を上げ、凛は些か怪訝な顔で口を開いた。 「着替え中ならそう言ってくれれば……」 「お前は兄の半裸に動揺するのか?」 「するわけないでしょう! あなたが“パンイチ”でも動揺なんてしませんよ!」  Tシャツを着終えた玲司が同じく怪訝な顔で問い返すと凛は怒って答えた。 「…………で? 用件は?」  玲司はソファーに腰を下ろし、身振りで妹二人に向かいのソファーを勧めた。彼女たちはソファーに掛け、早速凛が切り出す。 「用件は、瑞穂のことです」 「ああ……」  二人が自室を訪ねてきたことに合点がいったかのように玲司が頷く。家同士の付き合い上、兄妹と瑞穂はいわゆる幼馴染だった。 「父さんは瑞穂を兄さんの結婚相手にと考えています」 「そのようだな」 『お前が学生のうちにパートナーを見つけられなかった場合、儂がお前の結婚相手を決めるからな。のんびりしていたら20代などあっという間に過ぎてしまう故』  この春、社会人になった玲司は先日、父から言われた言葉を思い出して内心溜息を吐いた。凛が続ける。 「また他人事のように……ですが瑞穂には恋人がいるのです」 「ほお?」 「ええ。瑞穂の両親が父さんの申し出を断れるわけがありません。そうなれば……瑞穂は兄さんとの婚約のために恋人と別れさせられることになるでしょう」 「何だ、そんなことを言いにわざわざ来たのか」  心底呆れたように、玲司が言う。 「そいつと別れたくないなら駆け落ちでも何でもすればいい。俺には関係ない」 「兄さん!」  興味がなさそうに言う兄に凛は声を荒げた。 「それが容易なことではないことはあなたにもおわかりでしょう!」 「………俺にどうしろと?」  凛は一呼吸置いてから口を開いた。 「……瑞穂のことも心配ですが私は兄さんにも好いたお相手と結婚してほしいのです。そしてあなたに交際相手がいればこの話は立ち消えとなります。少しは探すなり何なり……」  玲司はその時初めて険しい目で妹を見返した。 「簡単に言ってくれるな。今まで俺が努力しなかったとでも思っているのか?」 「え……努力した、って兄様……」  愛菜が驚き目を見張る。 「何度かデートに誘おうとしたが、一度もOKしてもらえなかったんだ」  兄の言葉に姉妹は驚き固まった。 「……兄様、好きな人がいるの……?」  先にフリーズが解けたのは愛菜だった。 「ああ。俺だって人並みに恋くらいするさ」  憮然とした様子で玲司はソファーに寄り掛かり長い脚を組む。「誰、ですか? 私たちの知っている人……?」  凛が遅れて放心から回復して聞くと、 「お前は会ったことがないな。愛菜は知っている人だ」 と玲司は答え、 「わ、私の知っている人……?」  彼の言葉に愛菜の目が希望に輝いた。 * 「あーあ、高校生活もあと一年か……」  (しょう)がクラスの友達と下校していると、その中の一人である健が頭の後ろに腕を組み、独り言ちた。 「俺、一度も彼女できたことねえよ」 「まだ一年あるじゃないか」 「そうですよ」 と雅也が口を挟み壮太も頷く。四人は公立楠高校の三年生だ。 「樟も彼女欲しいだろ?」  二人の返しを無視して健が樟に話を振る。 「俺、そういうのにあまり興味ないんだ」 「学校から帰ると厳しい武道の稽古で、恋愛する暇もないんですよね?」 と困ったように答える樟に壮太が助け舟を出す。 「ああ、そうだ」  樟は元々あまり恋愛に興味がなかったが、そう言うことにしておいた方が楽だと思い、頷いた。樟は幼少の頃に武道家の竹田に引き取られた孤児だった。稽古は厳しいものの、愛情深く育ててくれた養父に引き取られたことを樟は後悔したことなどなかったのだが、 「はあ~~っ……お前も大変だよな。厳格な武道家の爺さんに引き取られてよ」 と健が盛大に溜息を吐いた。その時、 「樟!」  女の子の声がして皆が振り返った。 「楓……」  四人とはクラスが違うが、同級生の楓だった。 「今、帰り?」 「ああ」 「今日、少しで良いの。孤児院に寄れないかな?」  楓が上目遣いでお願いする。竹田に引き取られるまで樟は楓と同じ児童養護施設にいた。彼女とはずっと疎遠だったが、高校に入って偶然再会してからは請われるままに時折、施設のチャリティー活動やボランティア活動を手伝っていた。 「いいけど……」 「よかった! ありがとう樟」  楓は嬉しそうに笑った。 * 「実は今日、孤児院に鳴海財閥のお嬢さんが来るの」 「愛菜さんが?」  健たちと別れ、施設までの道のりを楓と歩きながら、樟が聞き返す。国内有数の大企業である鳴海ホールディングスは以前から施設に寄付してくれており、愛菜の父は鳴海HDのCEOだ。愛菜自身も施設の活動を手伝ってくれていたため、樟も彼女と面識があった。 「ええ。何でも樟に話があるとかで……来てもらえないか聞いてほしい、と施設長に言われてそれで……」 「俺に話?」  面識があると言っても親しいわけではない。  ――なのに何の話があるというのだろう?  樟は首を傾げた。  それから二人で学校のことなどを話しているうちに施設に着き、二人を見ると施設長が駆け寄ってきた。 「おかえりなさい、楓。いらっしゃい、樟。愛菜さんがお待ちよ」  そう言って施設庁はすぐに樟を談話室に案内する。 「樟……! 久しぶりね、会えて嬉しいわ」 「お久しぶりです、愛菜さん。ひと月前のチャリティーバザー以来ですね」  談話室に入ると待っていた愛菜が立ち上がって樟を出迎える。愛菜は樟を長椅子に導き、並んで座ると話し始めた。 「……実は樟、今日はあなたにお願いがあって……」 「お願い?」  ――財閥の令嬢である愛菜さんが一般人の俺に?  樟はわけがわからなかった。金と人脈のある家柄の人の望みは大抵叶うと思っていたからだ。 「樟……あなたに兄様の友達になってほしいの」 と愛菜は両手を組み合わせて言った。兄が樟に何度もデートの誘いを断られているというのを聞いていた愛菜は、まずは二人を友人から始めさせるつもりだった。実際に会って二人で時間を過ごせば彼の中で恋人になるという選択肢も生まれるかもしれない。 「……………へ? 友達? 鳴海さんの?」  だが樟は愛菜の言葉にかなり混乱していた。愛菜の兄である玲司のことはもちろん知っている。彼と初めて会ったのは三か月ほど前、施設のチャリティーコンサートにゲストとして顔を出したのが最初だった。仕事の合間に来たのか、その時の彼の高そうな黒のスーツが印象に残っている。それからは彼も妹とともに施設の活動を手伝うようになり、何度か話したことがある。が、それだけだった。  ――そもそも、友達というのは『なって』といってなるものだろうか?  違和感はあったものの、とりあえずそこのところはひとまず脇に置いた。 「……えっ……と愛菜さん、俺がお兄さんの友達、って無理があると思うんだけど……」  ――片や財閥の御曹司、片やごく平凡な男子高校生では…… 「友達に無理も何もないわよ!」  やんわり断ろうとしたが愛菜がムキになって言い、樟は彼女の剣幕に怯んでハハ、と笑った。 「………それもそっか。……わかったよ、愛菜さん。俺でよければお兄さんの友達? になるよ」  結局のところ、施設のパトロンからの(奇妙ではあるが)お願いだった。 「本当に!? ああ、ありがとう、樟!」  愛菜の頼みを引き受けた樟だったが、彼女が笑顔で両手をぎゅっと握ったところで一抹の不安を覚える。 「ええと。でもお兄さんが何て言うか……」  ――鳴海さん自身が難色を示すかもしれない。  だが愛菜は自信満々に胸に拳を当てて、 「全っ然、大丈夫よ。だって兄様自身があなたと友達(ゆくゆくは恋人)になりたがっているんだもの」 「そ、そうなの?」  ――ちょっと想像つかないな。  樟はぎぎこちなく微笑った。 「愛菜。迎えに来たぞ」  そのとき、談話室の入り口から声が聞こえ、二人はそちらを見た。声の主は愛菜の兄、鳴海玲司その人だった。今話題にしていた本人の登場に樟は内心焦るが、 「兄様!」 と笑顔で兄の方へ駆け寄って行く愛菜の後に躊躇いながらもついていく。 「兄様、やったわ、成功よ! 樟が兄様の友達になってくれるって!」 「……」  鳴海は信じられない、といった顔で樟を見た。 「本当に?」 「ええ。俺で良ければ」 「樟……」  鳴海が嬉しそうに微笑む。彼の笑顔を初めて見た樟はドギマギしてしまい、 「はは……まあ。これからよろしくお願いします……?」  図らずも顔が熱くなってくる。鳴海はそれを見て更に笑みを深くし、スマホを取り出すと樟と連絡先を交換して愛菜と共に帰って行った。 * 「樟……愛菜さん、何の話だったの……?」  鳴海と愛菜が行ってしまってから楓が不安そうに聞いた。 「え? いや別に……大したことじゃないよ。何か、鳴海さんと友達になってくれって頼まれたんだ」 「友達……って……」  楓が腑に落ちない顔をする。 「それだけ? 他に何か言われなかった?」 「? ああ、それだけだ」 「……」  ――彼が孤児院の活動を手伝い始めたのは樟と出会ってから……彼の樟を見る目と、それから…… と楓が記憶を辿る。  ――会う度にデートに誘っていたようだけど、その度に樟は用があると言って(本当に用があったのかもだけど)上手く断っていた……  楓は鳴海が樟を好きなのではないかと前々から疑っていた。そもそも、国内有数の大企業のCEOの御曹司が児童養護施設の活動を(時折ゲストとして顔を出すのではなく)毎回フルに手伝うこと自体、違和感があった。 「樟、あなた、鳴海さんのこと好き?」  だから、聞いてみた。もしも樟が何か勘違いをしていたとしても、彼に好意があるなら問題はなかった。だが勘違いしていた挙句に何とも思っていなかったとしたら……?  ――彼を傷つけたら最悪、寄付を止められてしまうかもしれない。 「へ? ……まあ、嫌いじゃないよ。いつも孤児院に寄付してくれる会社の人だし」 「そうじゃなくて……」 「よしなよ、楓」  突然別の声が割って入って二人が声のした方を振り向くと、三つ年上の幼馴染がドア枠に凭れかかり二人を見ていた。彼女は奨学金をもらいながら、施設から大学に通っている。 「このニブチンには何を言ったって無駄さ。コイツももう十七なんだし自分のケツくらい自分で拭けるだろ」 「先輩ったら、そんな下品な言葉……」 「はいはい。じゃ、バイトがあるからあたしはもう行くよ」  彼女は片手をヒラヒラさせると行ってしまった。

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