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第3話 トワイライト・ドライブ

 樟が鳴海と初めて出掛けた日の夜、彼からLINEが来た。 Reiji.N:チケットがあった。来週土曜日のアークFC対ワイバーンFC戦で構わないか? 樟:はい。俺はアークの大ファンなので、とても楽しみです。 Reiji.N:それはよかった。当日は車で迎えに行く。時間と場所はまた連絡する。 「え……車で?」  樟は思いもかけない鳴海からの申し出に戸惑った。養父も車を持っておらず、車で移動するという発想自体が樟にはなかったからだ。それでも、せっかく鳴海が段取りを組んだのだから、彼に任せることにした。 * 「はっ、はあっ!」  数日後、自宅に隣接する道場で、樟が養父の竹田に厳しい目で見守られながら武道の型をなぞっていると、漸く竹田が『そこまで』と言い、樟はゆっくりと構えを解いた。もう外はすっかり暗くなっている。竹田は平日の夕方から夜にかけて年代ごとに武道の教室を開いているため、必然的に樟の指導はその後になってしまう。学校から帰宅すると、樟は夜の稽古までに勉強やその他諸々を済ませておくのが常だった。 「今日はもう終いじゃ」  竹田が柔和な笑みを浮かべて言い、その日の稽古を終えた樟は深く息を吐いた。そしてそのとき、樟は養父に話さなければならないことがあることを思い出し、口を開いた。 「じいちゃん……」 「ん? なんだ? 樟」 「来週の週末、サッカー観戦に行く予定なんだけど……」 「健君たちとか?」 「いや健たちとじゃなくて、この前一緒に出掛けた孤児院の活動で知り合った友達」 「ああ……別に構わんが……チケット代や交通費、スタジアム内での飲食代を合わせるとけっこうかかるじゃろう? 臨時の小遣いをやった方がいいかね?」  樟は稽古があるため、バイトはしていなかった。 「あ、ううん。そういうつもりでじいちゃんに話したんじゃないんだ。チケットは俺の分も友達が用意してくれるっていうし、車で行くから……」 「車? その友達というのは年上なのか?」  樟は17歳でまだ運転免許は取れない。学校の友達たちも進路が決まってから教習所に行き始めるだろう。 「うん、そう。それで……さ」  樟は言い難そうに、 「チケットはたぶん市や民間会社の懸賞に当たったんだろうけど、俺てっきり電車とシャトルバスで行くと思っていたからさ。俺の方から誘ってるし、車を出してもらうことになって悪くて……」 と樟は後頭部に手を遣った。 「それで何かお礼をしようと考えたけれど……そんなに高価なものは買えないから……後日、その友達に家に遊びに来てもらってもいい?」  来てもらって、手料理を御馳走するつもりだった。食材を買うのに困らない程度の小遣いは毎月養父にもらっていたから。 「来てもらうのは構わないが……」 「よかった。ありがとう、じいちゃん」  養父の許可に樟はほっと胸を撫で下ろしたのだが、竹田は少し考えて、 「儂はその日いない方がいいのか?」 と聞いた。 「えっ!? いや、全然いてくれていいよ。寧ろいてくれた方がいいかも」 「そうか。それならその新しい友達とやらを見てみようかのう」  樟は何となく鳴海と二人きりだと緊張してしまう気がして、養父は養父で樟の新しい友達に少なからず興味が湧き、二人は顔を見合わせて笑い合った。 *  そしてサッカー観戦の日。樟は鳴海が待ち合わせ場所に指定してきた“鳴海不動産”という会社に、彼がLINEで送ってきた地図を頼りに向かっていた。そこが樟の家から一番近い鳴海ホールディングスの子会社だったからだが、それでも電車で数駅、最寄り駅からも多少離れていた。樟の家に駐車スペースがなく、周辺の道路も道幅が広いとは言えないので、そこの駐車場を使うことにしたらしい。 「鳴海不動産……ここか。けっこう大きな会社だな」  駅から歩いて数分。目的の場所に辿り着き、樟は会社の表札を確認して呟いた。腕時計を確認すると待ち合わせ時間の15分前だった。  ――よかった。間に合った。  ホッとした樟は『門は開けておくから入ってきてくれ』と鳴海に伝えられていたことを思い出し、その言葉通り開け放たれている門から中へと入った。 「ええと……あっ」  樟が駐車場を見渡すと、黒いセダンに寄り掛かりスマホを操作している鳴海を見つけた。彼は高そうな黒いスーツを着用していた。  ――俺、こんな格好でよかったのかな?  前回会った時と同じことを思う。サッカー観戦に行くのだから今のようなTシャツ・ジーンズ・パーカー+リュックで何ら問題はないはずなのだが、樟は近づくと前回と同じく些か引き攣った笑顔で声を掛けた。 「こんにちは、鳴海さん」 「樟」  鳴海は樟を見ると嬉しそうに微笑んだ。 「待たせてしまいましたか?」 「いや、今来たところだ。では行こうか」 「はい」  また前回と同じような会話の後、二人は車に乗り込んだ。ドアが閉まった瞬間、ふわりと良い香りがして、樟は初めて触れる上質な香りに一瞬クラッとした。 「あ……」 「うん?」 「何か、……その。良い香りが……」 「ああ。オードトワレをつけているからな」 「オードトワレ……」 「香水の一種だ」  鳴海は答えて車を発進させ、会社の門を出ると一旦停車し、リモコンを操作して門を閉めた。次にカーナビを操作して「アーク・スタジアム」を設定する。カーナビの画面をふと見て樟は到着予定時間が試合開始時間の20分前であることにぎょっとした。  ――えええええ!? 周辺の臨時駐車場はスタジアムに近い処から埋まっていくから、この到着時間だとかなり遠い場所に停めることになってしまうんじゃ……? と内心焦るが、乗せてもらう身でそんなことは言えない。  ――走れば間に合うかもだし、最悪キックオフに間に合わなくても仕方ないっか。 と覚悟を決める。そんな樟の胸の内など意にも介さず、鳴海は黒のセダンを静かに発進させた。車は滑るように一般道を走った後、高速に乗る。ちょうど夕暮れ時で空は茜色に染まっていた。 「うわぁ、綺麗!」  フロントガラス一面に広がる夕焼けに樟が感嘆し、思わず同意を求めるように横の鳴海を見て言葉を失った。サイドウインドウに映る黄昏に沈みゆく街を背景に、夕陽に照らされた彼の横顔は絵画のように美しく、恰も映画のワンシーンであるかのように錯覚する。樟は自分でも信じられないほどドキドキして、慌てて視線を前方に戻した。 「ああ、綺麗だな」  そのとき鳴海が遅れて相槌を打ち、樟は一層動揺して顔が熱くなる。それからは何を話していいかわからなくなり、暫くの間、樟は緊張した面持ちで沈黙していた。そんな中でふいに、 「……武道大会、優勝おめでとう」  鳴海が言った。 「え……何で知って……?」 「ネットで見た」 「ああ……あはは……そう、ですか……」  樟が落ち着きなく頭に手を遣る。 「大学へも推薦で行けるレベルだろうが……進学するのか?」 「……じいちゃんは進学を勧めてくれるけど、俺自身は高校を卒業したらじいちゃんの道場を継ごうかなと思っています。じいちゃんももう歳だし……それに俺、養子なんです。成人してから四年間も学生でいるのは……」 「尤もらしい理由をつけて自分を納得させるのは止せ。養父が進学を勧めてくれるなら、何はばかることなくそうすればいいだろうが」 「鳴海さん……」 「やらずに後悔するより、やって後悔する方がずっといいからな」 と鳴海は樟の方を見てニヤリ、と不敵な笑みを浮かべた。すぐに視線を前に戻したものの、樟はその笑みにもドキリとしてしまう。何故かその時また、オードトワレが香った気がした。  ――何か俺、変? だよな。  樟はぼんやりと目の前のエアバッグの辺りに目を落とす。徐々に昏くなっていく夕焼け空も、もはや目に映っていなかった。 *  漸くスタジアム最寄りのインターに着き一般道に降りる頃には、地上近くに僅かに橙色が残る空はインディゴブルーに変わっていた。車を走らせ続けると、やがてまばらに民家が点在する整地されていない平地が広がる中に堂々と聳え立つ巨大なスタジアムが遠く前方に見えてくる。  ――この辺で車を停めないと、スタジアム近辺の駐車場はもう空いていないんじゃないだろうか?  道路の端をスタジアムに向かって歩いて行く人たちを追い越す度に樟は心配になるが、鳴海は全く気にしていないようだった。そのうち、通り過ぎる臨時駐車場も“満車”の札が出ている処ばかりになっていた。  ――うーん……鳴海さんが駐車できないと気づいて引き返して、改めて遠い駐車場から徒歩でスタジアムに向かうとなると……試合の前半をかなり見逃しちゃうな……  駅とスタジアムを行き来するシャトルバスが通る、スタジアム前の四車線の国道に差し掛かった時点で樟は試合の開始時間までに観覧席に着くことをほとんど諦めていた。その時、 「えっ!? 鳴海さん、スタジアムの敷地内に車で入っちゃっていいんですか!?」  鳴海が国道を過ぎてスタジアムの裏手に廻り、敷地内に車を乗り入れたので樟は焦った。だが彼は、 「問題ない」 とだけ言って空いている駐車スペースにセダンを停めた。 「着いたぞ。降りよう」 「え……と、ここ、選手たちやスタッフさんの駐車場じゃ……?」 「俺の持っているチケットはここの駐車場を使う権利も込みだ」  樟が戸惑って聞くが、鳴海がそう言って車を降りたので、半ば呆然としながら降りた。 「さあ、行こう」  呆気に取られる樟に鳴海は微笑み、言った。 *  樟が鳴海の後についてスタジアム裏手の階段を上って行き、上階の外回廊に着くとそこには受付があった。鳴海はそこでチケットを見せて通り過ぎ、その先にある自動ドアの中へ入る。樟も彼に続いて中へと入ると…… 「え……」  そこはマンダリンオレンジの絨毯床の上に座り心地の良さそうな四つの一人掛けソファーがセットされた正方形のローテーブルが等間隔で配置された、まるで高級ホテルのラウンジのような、横長の広い部屋だった。

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