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第5話 休日の食卓
サッカー観戦から数日後。鳴海は仕事の合間にコーヒーショップ“マーメイド”を訪れた。
「まあ、いらっしゃい」
「やあ」
紗香に挨拶を返し、カウンター席に座ってコーヒーを注文する。昼食時をとっくに過ぎているためか、客はまばらだった。妹たちも学校に行っていていない。
「何か相談したいことでも?」
「……よくわかったな」
「ふふ、これでも接客業を仕事にしていますから」
「実は……」
と鳴海は紗香に先日樟とサッカー観戦に行ったこと、チケットと車のお礼に彼の家に招かれていることを話した。
「メッセージではもともとがお礼のつもりなので手ぶらで来てくれ、とあったんだがそうもいかないと思ってな。何か……そんなに向こうも気兼ねしないもので且つ年配の人も喜びそうな手土産を知らないか?」
「それならピッタリのものがありますよ」
紗香はうふふと微笑った。
「ここか。“秘密の店” ……変な名前の店だな」
鳴海が紗香に教えてもらった和菓子屋を見上げて呟く。同じ商店街にある老舗で店主とも知り合いなのだという。鳴海が店に入ると、ショーケースの向こうで年若い女性の店員が出迎えた。
「いらっしゃーい!」
「紗香に聞いて来た」
「紗香さんに? 私と彼女は商工会の仲間です。何をお求めですか?」
「何て言ったか……羊羹を一口サイズに切って乾燥させたものだそうだが……」
「ああ。当店名物の羊羹を乾燥させた菓子ですね。プレゼント用ですか、ご自宅用ですか?」
「プレゼント用だ」
「ではこちらでよろしいですか?」
店員の女性が贈答用の箱詰め見本を取り出して見せる。
「では、それで」
「ありがとうございまーす」
鳴海は会計を済ませて店員から羊羹を受け取り店を出た……そのとき、よく見知った顔を見かける。
「凛!」
「兄さん? どうしてここに?」
「買い物をしていただけだ。お前は?」
「紗香を訪ねようとしていたところです。兄さんも一緒に行きますか?」
「いや、さっき訪ねた。これから会社に戻る。では、な」
偶然会った兄妹だったが、そこで別れた。
「あら! さっきまでお兄さんが来ていたんですよ」
凛がコーヒーショップ“マーメイド”を訪ねると紗香が言った。凛は笑って、
「知っています。そこで会いました」
と言い、カウンター席に座るとコーヒーを注文する。
「大学の方はどうですか?」
「充実しています」
凛は紗香の問いに答えた後、微かに憂いを含んだ顔をした。
「……紗香。あなたが進学しなかったことを未だに残念に思うわ」
「それは……」
「ごめんなさい。言っても仕方がないわね。あなたにはあなたの事情があるというのに……」
高校生の時から、二人は秘密の恋人同士だった。だが同じ高校というわけではない。なぜ境遇の違う二人が恋人になったのかというと。紗香の母は以前、凛のベビーシッター、後に鳴海家の家政婦をしており、幼い紗香を共に連れて来ることがあった。コーヒーショップを開店する際に家政婦を辞めてからは繋がりもなくなったものの、二人が高校に入って間もない頃、偶然再会したのである。恋人になったのがいつだったか……もはや記憶もあやふやで思い出せなかったが、二人にとってはどうでもいいことだった。
――今はこうして時折会いに来ることしかできないけれど……
凛は思う。大学を卒業して父親の会社で誰(特に父)にも何も言われないくらい功績を上げたら、その時は紗香とのことを周囲に認めてもらうつもりだった。
「そう言えばお兄さん、この前はお友達を連れてきて」
紗香は自分たちのことから話を逸らすために鳴海の話題を振った。
「友達?」
友達から付き合い始めることになったという片思いの相手だろうかと凛は思う。二人の経緯は当然、愛菜から聞いていた。
「樟という名前の高校生で」
「樟? 彼と来たのですか?」
やはり、と凛は思った。
「ええ。今度彼の家に遊びに行くから手土産は何がいいか、ってさっきはその相談にいらしたんですよ」
「家に?」
凛が意外な顔をする。
――兄さん、思ったより順調なのね。
「? 友達の家に遊びに行くのは普通のことでは?」
凛の反応に紗香が不思議そうに首を傾げるが。
「実は……樟は兄さんといずれ恋人になるという前提で、まずは友達として付き合い始めたのです」
「えっ!?」
今度は紗香が驚く番だった。
「それなら……萌絵に樟さんにはもう交際相手(になる予定の人)がいることを言わなくては……本気になる前に」
と憂鬱そうな溜息とともに呟く。
「……萌絵ならこれから素敵な相手が幾らでも見つかるわ」
「そうだといいんですけど……」
紗香は再び小さく溜息を吐いた。
*
そして約束の日曜日。樟はS駅まで鳴海を迎えに行った。早めに行ったものの、やはり彼は既に来ていた。住宅街なので昼時の今はほとんど人気がない。
「鳴海さん!」
「やあ、樟」
鳴海が嬉しそうに微笑む。初めて出掛けた時のようなボタンダウンシャツにスラックス姿で片手に紙袋を提げている。
「じいちゃんと俺で色々作りました。お口に合うといいんですが……」
「メッセージでも伝えた通り、特に好き嫌いもアレルギーもないから大丈夫だ」
並んで歩きながら、他愛ない話をしつつ歩いて数分。二人は樟の家に到着した。普通サイズの家の横に平屋の建物がある。
「左が自宅で右の平屋が道場です。そこの空きスペースはじいちゃんの武道教室に通う人たちの自転車置き場になっています」
樟の説明に鳴海が目を遣ると、道場の引き戸の脇に掛かっている“竹田武道教室”と書かれた表札は文字が随分と薄くなっていた。
「さあ、中へどうぞ」
「お邪魔します」
樟が玄関のドアを開け、鳴海を家の中へと導く。樟が玄関で来客を告げると養父の竹田が奥から姿を現した。
「やあ、いらっしゃい。儂は樟の養父で、竹田と言い……」
自己紹介をする途中で竹田は鳴海を見て驚き固まってしまった。
「初めまして、鳴海と申します」
「彼が友達……?」
「うん、鳴海さん」
「……本当に友達なのか?」
「? そうだよ」
「……樟、お前、本当にこの人と孤児院で知り合ったのか?」
――まさか“マッチングアプリ”で……
竹田が急に心配になる。マッチングアプリならば、簡単なプロフィールと顔写真だけで出会えることを知っていたからだ。
「うん」
だが樟はただ養父の問いに頷き、彼がなぜ鳴海を友達だと信じ難い様子なのか不思議に思った。
「まあ、立ち話も何ですから中へどうぞ」
竹田は慇懃な所作で鳴海を家の奥へと案内した。リビングに来ると鳴海は竹田に手土産の和菓子を差し出した。
「つまらないものですが……」
「おお。お礼をするためにお招きしたというのに、このようなお気遣い……」
竹田が恐縮して受け取り、鳴海に食卓に着いてもらうと、樟と二人で昼食の準備に取り掛かった。ソフト食パンを軽くトーストし、野菜スープを温め直している間に、ささみのフライとレタスが載った皿を中央に、ポテトサラダ、苺ジャムの入った小さなボウル、梅ジュースをそれぞれのランチョンマットに置く。最後にトーストしたパンと野菜スープですべての配膳を終えて父子も席に着き、皆で食べ始める。
「このジャム、苺をレンチンして作ったんです」
とか、
「この梅ジュースの梅は裏庭にある梅の木から収穫したものなんじゃ」
とか、
「このフライは肉用スパイスで味付けしました」
とか、
「このポテサラには隠し味にお酢を少しばかり入れてあるのじゃ」
などと、食べている最中、樟と竹田は食卓の上にある料理を逐一説明する。鳴海は二人が何故そんなに嬉しそうな顔で話すのかわからなかったが、微笑みながら都度、頷き返した。
「どれもとても美味しいです。薄味で食べやすくヘルシーですね」
鳴海がすべての料理を口に運んでから感想を言うと、二人はより一層笑顔になった。実際、普段家政婦が作る物よりも美味しいと鳴海は思った。
時々雑談を交えながら和やかな雰囲気で会食は進み、料理を粗方食べ終える頃、樟は一度席を立って冷蔵庫からボウルを取り出し、中身を取り分け用スプーンでガラスの深皿に盛り、盆に載せて戻って来た。
「デザートのフルーツポンチです」
「これは儂と樟が協力して作ったんじゃ」
樟がデザートを配ると竹田が満足げに言った。
――そう言えばホテルのバイキングや会食で出たことがあったな。
鳴海は思い出したが、それが特に印象に残っているわけではなかった。それなのに樟が家族と作ったものだと思うと、目の前のフルーツポンチがより鮮やかに輝いて見える。
「これは……果物が瑞々しくて美味しいです」
鳴海はスプーンで掬って一口食べてみて、その冷たさとフルーツそのものの甘さに感心する。二人はニコニコしながら鳴海が食べるのを見ていたが、自分たちもスプーンを持ち、食べ始めた。
「せっかくじゃ。鳴海さんが持って来てくれたものも今、皆で食べぬか?」
食べ終えると竹田が言い、
「え? いや、ですがあれは差し上げたもの……」
「そうだね、じいちゃん」
鳴海の言葉を遮って樟も賛同した。
空になった食器を片付け、テーブルにスペースを作ると鳴海の持って来た手土産を置き、二箱のうち一箱を開ける。
「羊羹?」
「ああ」
「一口サイズに切れているのか。これは食べやすそうじゃわい」
中身を見て竹田の顔がほころび、鳴海は手土産のチョイスが間違ってなかったと感じ、ほっとした。
「九個入りだから三つずつだね」
樟は小皿とフォークを持って来て、中に入っていた楊枝で取り出し分けた。その間に竹田は氷を入れたグラスにパックコーヒー(スーパーで売っている中で一番高い!)を注ぎ持って来た。そして皆でいただく。
「あっ、表面はシャリシャリしているのに中はちゃんと羊羹だ」
「和菓子なのに洋風でコーヒーに合うのう。甘すぎないのもよいわい」
二人が感想を言い合う中、鳴海も同じことを思いながら食していた。そして……
「ところで……鳴海さん、あなたは社会人でしかも樟とは住む世界が違うように見えるのじゃが……なぜ友達に?」
羊羹を食べ終わり、寛いでコーヒーを啜りながら、竹田が尋ねた。鳴海は上流階級の人間に見え(実際そうである)、はっきり言って不自然で不釣り合いで到底彼らが友達だとは信じられなかったからだが。
「彼が、好きだからです」
竹田は彼がそう簡潔に答えた時の真剣な眼差しですべてを悟った。
――ああ。そうじゃったか。じゃが……年齢差や立場を乗り越えていくにはお互いに気持ちがなくては難しいじゃろう。
「樟、お前は鳴海さんをどう思っておる?」
「へ? ああ、じいちゃん、俺も鳴海さんのこと(友達として)好きだよ」
「「!!」」
二人が驚いて樟を見る。
「この前一緒にサッカー観戦に行った時も、何かさ、別れた後、寂しいように感じたし……」
後頭部に手を遣り樟がへへ、と笑う(彼は自分がどれだけのことを言っているのかわかっていない)。
「「……」」
樟の爆弾発言に二人とも二の句が告げなかったが、漸く我に返ると、
「……そうか。お前がそう思っているなら儂からは何も言うことはないな」
竹田は重々しく頷いた。
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