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最終話 それから

 いつの間にか眠ってしまったらしい。 「……おい、起きろ、樟」 「う、うーん……」  鳴海が樟の肩を揺らすと、顔を顰めながら樟が身動ぐ。 「早く起きないと襲うぞ」  鳴海の不穏な言葉に、樟はガバッと起き上がった。 「……あんたの場合、本当にやりかねないから怖い」 「起きない方が悪い」 「……」  樟が不機嫌な顔でバルコニーの寝椅子から立ち上がった。 「凛たちが到着したようだ。さあ、階下へ行こうか」  鳴海が自室へと通じるテラスドアへと足を向ける。  ――何か、懐かしい夢を見ていた気がする。  樟はぼんやりと考えながら鳴海の後に続いた。 「義兄さん、樟さん、お久しぶりです」  鳴海と樟がロビーに下りると、凛に続き玄関から入って来た紗香が礼儀正しく挨拶をした。抱っこ紐に一歳くらいの幼児を抱え、足元のベビーカーにはやはり一歳くらいと思われる幼児がスヤスヤと眠っていた。 「久しぶりだな」 「凛さん、紗香さん、お久しぶりです」  彼女たちが家族のバカンスに参加するのは二年ぶりだった。一昨年は妊娠で、去年は生まれたばかりの乳児がいたため参加しなかった。 「おお、着いたのか。遠い処、疲れたろう」  樟が挨拶を返した時、別荘奥のリビングから正隆と愛菜がやってきた。 「いらっしゃい、姉様、紗香さん、赤ちゃんたちも」 「父さん、愛菜」 「お義父さん、愛菜さん、ご無沙汰しています」  幼い子供を連れての長距離ドライブを考慮して、凛たちは途中ホテルで一泊したため、他の者より一日遅れて別荘にやってきたのだった。 「私は先に荷物を置いてくるわ」  皆でリビングに向かおうとしたが、凛は大荷物を持って二階へ上がって行った。  樟と鳴海と愛菜は頃合いを見て久方ぶりの皆との歓談を抜け、キッチンで夕食の準備をし始める。  夕食の用意が整うと、愛菜が父たちに伝え、皆がダイニングへと移動した。  食卓にはパンにハムにチーズ、サラダに魚のメイン料理、肉団子と野菜のスープ、カットフルーツにお茶、そして幼児二人のための離乳食が所狭しと並んでいた。 「姉様はいいなぁ~…素敵なパートナーがいて。赤ちゃんもすっごく可愛いし、私も早く結婚したい……」  夕食をいただきながら、愛菜が溜息を吐く。 「大学に行けばきっといい出会いがあるわ」  愛菜は今、高校三年生で来春卒業を控えていた。凛は当たり障りのない受け答えをしたつもりだったが、 「でも兄様も姉様も、学校以外の処でこんなに素敵なパートナーを見つけたじゃない」  愛菜の言葉に、一同は思わず沈黙した。 「あー…だが愛菜、確かに俺たちはパートナーとは出会えたかもしれないが、苦労もあったんだぞ? 妊活は特に」  鳴海が口を挟む。 「“できやすい日”だからと平日でも呼び出されては高速を飛ばして紗香のもとに向かい、“用”が済んだらその日のうちにA市までとんぼ返り、とかな」  紗香は鳴海の言葉に申し訳なさそうに俯く。樟も凛から連絡が来ると、どうにかなる予定はすべてキャンセルして彼女が来るのを待たなければならなかったが、敢えてそれを口にはしなかった。 「大体、樟が大学を卒業するまで待てばよかったんだ。卒業したら俺も樟も首都に戻るつもりでいたのに」 「お二人に申し訳ないとは思っていますが……そんなに待てなかったのです。若ければ若いほど妊娠しやすいのは確かで、もしも不妊体質だとしても早く気づくことで対処する時間が持てるのですから」  鳴海が不機嫌に言うが、凛は冷静に言い返した。凛は正隆が鳴海と樟の交際を認めると、すぐに紗香とのことを父にカミングアウトし認めてもらい、大学卒業後、父の会社に入ってすぐにパートナーシップ制度を利用して彼女と正式なパートナーになった。そして兄のパートナーが同性という幸運を活かして彼らとの子を設けるべく、紗香と共に妊活を開始した。 「気持ちはわかるが、玲司。凛の言い分も一理ある。いずれお前たちの子供も産むと言ってくれているのだから、よしとしようではないか」 正隆が取りなし、その話題はそれで終わった。それからは和やかに近況など話しながら夕食を取っていたが、 「そう言えば……正隆さん、なぜ俺を玲司のパートナーとして認めてくれたんですか?」 ふいに樟は、ずっと聞きたかったことを聞いた。 ――出自も家柄も到底、鳴海財閥の御曹司である彼に相応しいとは思えないのに。 樟はそう思っていた。だが正隆の口から出た答えは誰もが予想だにしないものだった。 「数年前……私はある少年に助けられたのだ」 「……え?」 「当時、某企業と極秘の商談を進めていた私は、先方の担当者と単身で会っていたのだが……その帰り道、人通りのない場所で暴漢に囲まれた。相手は複数。敵う数ではないと覚悟を決めた時だ。偶然その場に居合わせた少年が私を庇い、掴みかかってくる彼らを見たこともない見事な武術でいとも簡単にいなし、投げ、転倒させ……いつの間にか彼らは傷だらけになって息も上がり……ついに諦めて去って行ったのだよ」 「……」 「私は暴漢が去った後、彼にお礼をしようとしたのだが……彼は笑って名乗りもせずに行ってしまった……」 正隆は刹那、瞑目し……目を上げた。 「だから、君のことを玲司から聞いたとき、もしかしたら、と思ったのだよ。そして実際に君を見て確信した。あの時の少年だとね」 その場にいる誰もが呆気に取られて正隆の話を聞いていた。樟自身、思い当たる節がありすぎて絶句する。 「それなら、父さん。あなたは彼が恩人だから兄さんとの仲を認めたのですか?」 いち早く我に返った凛が尋ねると、正隆は首を横に振った。 「いや……無論、息子が望まなければ幾ら何でも認めることはなかっただろう。だがそんな懸念は無用だった。何故なら……」 そこで正隆は鳴海を見た。 「お前が彼を愛していることは、お前を見ていれば明白だったからな」 「親父……」 そして。意外な事実が明らかになった今日の夕餉の時間は皆の心に確と刻まれた。 * ――初めてのバカンスを共に過ごすうちに。俺は玲司が好きなんだって気付いたっけ。 樟は懐かしく思い出す。 ――けれど、想いを自覚してもどうにもならないと思っていた。 正隆は当時、何も言わなかった。だがバカンスの後も以前と変わらずデートに誘ってくる鳴海に思い切って聞いてみたら、『認めてもらえてなければ会い続けるわけがないだろう』とのことだった。 ――あれからずっと、玲司とは一緒にいる。 樟がA大学に入学してからは、彼と同じマンションで暮らしていた。そして今、樟は大学四年生で、某大手企業から内定をもらっていた。鳴海は『何故うち(鳴海HD)じゃないのか』と不満げに尋ねたが、樟は単純にその企業の社風や経営方針がいいと思ったからで、加えて鳴海HDに入社した場合、CEOの子息である鳴海のパートナーというフィルターで見られることに対して抵抗があったためだ。 「考え事か?」 別荘二階の南東の部屋で、樟にとって二度目のバカンスの際に買い替えたというクイーンサイズのベッドに二人で横たわり、ナイトランプの淡い灯りの中、鳴海は腕枕している手で彼の髪を梳きながら尋ねた。 「うん。ちょっと昔のこととか……先のことを考えていた。……あ」 鳴海が身体ごと樟の方を向き、不意打ちにキスしたので思わず瞬きをした。 「……考え事などせずに俺を見ろ」 離れると鳴海はその褐色の瞳で樟の目を覗き込み、間近で囁いた。樟は軽く鳴海を押し戻そうとしながら微笑む。 「見てるよ。今考えていたことだって、あんたのことだ。……ん」 もう一度唇にキスされて樟が身動ぐ。そして、腰辺りに触れていた手が寝間着の裾を押し上げようとしたのを感じて、樟は慌ててその手を押さえた。 「ちょ……隣の部屋には子供もいるってのに……」 「ダメか?」 「ダメだ!」 樟が怖い顔できっぱりと言う。鳴海は溜息を吐いて身体を戻し、仰向けになった。 「お預けを食らうのは辛いな……樟」 「ん?」 「お前が高校生だった頃、俺がどんなに我慢して耐えていたか、お前は知らないだろう」 「……知ってる」 ――だって、あの日。 樟が頬を染め、鳴海に背を向けて丸くなる。 「え~~? お前今日の打ち上げ、来ねえの?」 高校の卒業式の後、いつもの四人で下校しながら、健が不服そうに言った。 「ああ。鳴海さんが、今日どうしても会いたいって言うから……」 「「「……」」」 健だけでなく、雅也も壮太も察した様子で顔を見合わせる。 「ああ……そーかそーか。ま、ガンバレよ?」 「? ああ」 健が樟の肩をポンポン、と叩いてエールを送った、その時。 「樟!」 後方から名を呼ばれて樟が振り向くと、鳴海が停車した黒のセダンの運転席の窓から顔を出し、明るい笑顔で手を振っていた。噂をすれば……である。 「鳴海さん……」 「早めに仕事を終えることができたんだ。今、帰りか?」 立ち止まった樟たちに徐行運転で追いつくと、鳴海が聞いた。 「ええ」 「それなら、乗れ。ああ、遅れたが高校卒業おめでとう。お友達も」 「「「「どうも」」」」 樟は鳴海に『乗れ』と言われて戸惑ったが、友達三人が目配せしたり頷いたりして、何となく『乗った方がいーんじゃない?』と言われている気がしたので、助手席に乗り込んだ。 「じゃあな」 「ええ」 「また」 「じゃーな」 樟がサイドウィンドウを開けて別れの挨拶をすると、卒業したからと言ってもう会わないわけではなかったので、彼らも普段のように軽く返した。そして健たちと別れた後。 …………………… ……………… ………… ――あの後。予約してたっていう都内のホテルに直行して嫌と言うほど思い知らされたから。……今思い出してもあの日のことは、顔から火が出そうになるくらい恥ずかしい。 「本当に知っているのか?」 鳴海が背中から重なるように、しっかりと掴んだ上掛けごと樟を抱き締め、耳のすぐ後ろで囁いた。温かい息がかかり、樟の肌がぞわっとする。 「だーーっ!! 俺、リビングのソファで寝るから!」 樟は上掛けごと彼を撥ね退け、ベッドの上に起き上がった。 「し、樟!? 待て!」 「うわっ!」 鳴海が慌てて樟の胴にタックルしてベッドに引き戻す。 「ここに居てくれ、お願いだから……」 「……」 恋人の必死の懇願に、結局、樟は折れた。 * そして朝。 「ん……うーん……」 樟はカーテンの隙間から差し込む眩しい朝陽に、目を閉じたまま顔を顰めた。ゆっくり目を開けると、少し乱れた髪の、枕に片頬を埋めて眠る、絵画のように美しい鳴海が隣に横たわっていた。 「……」 ――改めて見ると、本当に美しい人だよな。こんな人が俺の恋人だなんて、未だに信じられない。 樟は鳴海の顔にかかった髪を退けてあげようと、無意識に手を伸ばした――ところで、彼が静かに目を開けたので、驚いて手を引っ込めた。ぼんやりとした褐色の目が焦点を結び、樟を映すと嬉しそうな笑みを浮かべる。 「……樟。明るい朝陽の中、お前の隣で目覚めるのは最高だな」 鳴海は恋人に手を伸ばし、彼におはようのキスをした。 ~終わり~

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