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第9話 思い出
別荘の前の道路を渡ればもう砂浜という近さで、四人はすぐに海に着いた。既に大勢の人で賑わっている。午前中でまだ日差しもそれほど暑くなく、砂も温かい程度だった。四人は早速、砂浜の空きスペースにビーチパラソルを立て、二つの折り畳みチェアを置き、レジャーシートを敷いた。
「はい、日焼け止め」
凛が人数分のチューブをペーパーバッグから取り出して手渡し、皆が日焼け止めを塗ろうと帽子とサンダルとシャツ(凛はショートパンツも)を脱いだとき、
「きゃーーっ♡」
兄と樟の半裸を見て、愛菜が黄色い悲鳴を上げた。
「は、はは……愛菜さん、ガ、ガン見しないで」
「気にするな。いつものことだ」
樟が引き攣って言うが、鳴海は特に気にすることもなく日焼け止めを塗り始める。
「愛菜もちゃんと日焼け止めを塗って。塗らないと酷いことになるわ」
「はーい!」
凛が自身に日焼け止めを塗布しながら妹を促すと、愛菜も素直に塗り始めた。そんな中で、
「樟。背中に塗ってやる」
先に塗り終えた鳴海が言い、樟がお礼を言って背を向けると、彼の大きな手が背中を滑り出した。
――わっ!?
最中、撫で下ろした指先がウエストバンドの内側をかすめたので、樟は肩を撥ねさせた。
「次は俺の方も頼む」
樟の背を塗り終えると今度は鳴海が背を向け、自身よりも背の低い樟が塗りやすいように折り畳みチェアに横向きに座った。樟が彼の背に日焼け止めを丁寧に塗っていくと、思ったよりも筋肉がついているのがわかる。
――何かスポーツをしているんだろうか?
「何かスポーツをしていますか?」
「ん? ああ、フェンシングと乗馬を少々」
「へえー…」
今まであまり鳴海自身のことを聞いたことがなかったため、新たな一面を知って彼に興味が湧く。――だが。
――鳴海さんのことを知ってどうなるって言うんだ? このバカンスの後、別れることになるだろうに。
そう思い、すぐに詮無い好奇心を打ち消した。
「私と愛菜は塗り終えたわ。準備体操をして海に入りましょう」
「さんせーい!」
樟が鳴海の背を塗り終えるのとほぼ同じタイミングで凛と愛菜が言い、皆で軽く身体を解しストレッチをした後、海へと入った。海は風も波も穏やかで、砂が見えるほど水も透明だった。
「冷たくて気持ちいーい!」
海水に浸かると愛菜が言い、皆が互いに離れすぎないように遊泳を楽しむ(凛以外の三人はサーフパンツを履いているが、ファッション的な選択であってサーフィンをするわけではない)。
――海なんて、小学校のバス旅行で来たきりだ。
樟が感慨深く思い出していると、
「よし、じゃあビーチボールしましょ!」
暫く泳いだ後に愛菜がザバッと立ち上がって、レジャーシートの上に置いてあったペーパーバッグの中からビーチボールを持って来た。
「俺が膨らませよう」
鳴海が言って愛菜からビーチボールを受け取り、瞬く間に膨らませる。そして四人で輪になりビーチボールをトスしながら小一時間ほど過ぎた頃、
「ちょっと休憩しましょ」
と愛菜が言ったので、皆が海から上がった(バカンス中の行動局面において、ほぼ彼女がリーダーだ)。パラソルの処に戻ると、凛がペーパーバッグから人数分のバスタオルを取り出して配り、女性二人は折り畳みチェアに、男性二人はレジャーシートにタオルを敷いて座った。それから凛は水筒からコップに水を注ぎ始め、樟は彼女から手渡されたものを隣の鳴海へと手渡し、次に自分の分としてもう一つを受け取った。海風が快い。
「海に来るのは小学校のバス旅行以来です」
陽が高くなるにつれて段々と眩しくなっていく海と空を見ながら、樟が呟く。鳴海は彼の方を見た。
「家族で来たことはないのか?」
「ええ。家には車もないし、電車では遠い」
「では毎年バカンスはどのように過ごしていたんだ?」
「バカンス……というか夏休みは武道の稽古と、学校のプール開放日は行って泳いで。あと地域の祭りや子ども会の行事や……たまにじいちゃんと日帰りで山とか温泉とか行ったり」
「山に温泉……いいな」
それ以外のことに馴染みのなかった鳴海は、とりあえずその部分に相槌を打った。
「だから……この夏のバカンス、とてもいい思い出になりそうです」
そう言ってはにかんだように笑った樟の、まるで海に来るのはこれが最後であるかのような樟の物言いに鳴海は少しばかり不思議に思う。だが次の瞬間、ハッとする。
――そうか。来年の夏は、計画通りに行けばA市で同棲しているはず……樟には俺と二人で行きたい場所があるのかもしれない。
鳴海がどう受け取ったかを樟は知る由もなく、穏やかな時間は過ぎていった。
休憩を終え、再び皆で海に入って泳ぎ遊び、陽も高くなってそろそろお昼時だと判断した頃、四人は海から上がり、帽子とシャツ、サンダルを身に着け、置いていたものを片付けると別荘へと引き上げた。
四人が別荘へ戻ると、前庭のガーデンテーブル脇にハンギングパラソルが設置されていて、テーブルの上にポータブル電源に繋いだホットプレートが置かれていた。
「おお、戻って来る頃だと思ったよ」
その時玄関のドアが開き、肉と野菜を刺したバーベキュー串を載せたステンレス製の角型トレイを持った正隆が出て来て、にっこりと笑った。
「飲み物を持ってくるから焼き始めてくれるかい?」
正隆はそう言ってトレイをテーブルに置くと再び家の中に入って行った。
ビーチパラソルと折り畳みチェアを物置に片付けると、言われた通り四人は串を焼き始めるが、
「これだけでは足りないだろう。俺がもう一品作ってくる」
鳴海が言い、彼も家の中に入って行った。
やがて正隆がライトグリーンのトレイに人数分の瓶とグラスを載せて戻ってきた。
「アップルタイザーを冷やしておいたんだよ」
「素敵! 父様!」
愛菜が両手を組み合わせて歓声を上げる。どうやら彼女が好きな飲み物らしい。凛は瓶の栓を次々と開け、ガーデンチェアが置かれているそれぞれの席にグラスと共に置いていった。
鳴海以外の四人で座って雑談しながら串が焼けるのを待っていたが、串が焼けても鳴海が戻って来ないため、様子を見に行こうと正隆が腰を浮かせかけた。
「あ、俺が様子を見てきます」
それを見てすかさず樟が言い、立ち上がった。
家の中に入ってキッチンに行くと、鳴海がフライパンで何かの料理を作っていた。
「こちらは串が焼けましたけど……」
「もう少しかかるから先に食べていてくれ。来たついでに取り皿とフォークを人数分、あとトングも持って行ってくれるとありがたい」
「わかりました」
樟は言われたものを用意しトレイに載せて前庭に戻った。他の人に鳴海の言葉を伝え、先に皆で食べ始める。程なくしてフライパンと鍋敷きを持った鳴海が前庭に戻って来た。
「兄さん、これは……」
「フィデウア。米の代わりにパスタを使用したパエリアだ。冷凍エビがあったから作ってみた。作るのは初めてだから出来は保証しないが」
フライパンの中の料理を見て凛が尋ねると、鳴海が説明した。愛菜が最初にフィデウアを小皿に取って食べ、
「美味しいわ、兄様」
頬に片手を当てて幸せそうに微笑んだ。他の三人も次々に取って食べ、称賛する。皆の賛辞に鳴海も満足げに微笑み、自身も食べ始めた。
そして……楽しく歓談しながら澄み渡る青空の下、前庭での昼食を終え、午後はどう過ごすか話し合った。
「私は昼寝をしようと思う」
「私も。ちょっと疲れたわ」
と正隆と愛菜。
「樟。お前はどうする?」
「俺は……勉強しようかと」
「勉強……そうだな。それがいい」
「兄さん。よかったらベーカリーとか、一緒に買い出しに行きませんか?」
「ああ。ではそうするとしようか」
ガッカリした様子の兄を気遣って凛が誘うと、鳴海も頷いた。
*
その日の夕食を準備する時間になって、
「お前たちが海に行っている間に、浦部が魚のお裾分けを持って来てくれたんだよ」
と正隆が冷蔵庫から魚の入った発泡スチロール箱を取り出した。
「まっ♡ それならこの大きな魚をアクアパッツァ、十数尾の小魚を揚げ物にしましょ♪」
中を見て愛菜が提案し、他にも野菜とウィンナーのコンソメスープとココットを作ることにし、昨晩とは違い今日は正隆も鳴海も調理に加わったので、キッチンはわちゃわちゃしていた。ぶつかりそうになったり、使おうと思った調理具が使われていたり、大勢で作る方が作業効率が悪いのではと思えないこともなかったが、
――ああでも、こういうの、いいな。家族皆で協力して何かをするのは……
樟は今の時間を楽しく思った。
出来上がった料理にハム、チーズ、フルーツ、レモンスライス入りスパークリングウォーター、そして鳴海と凛が昼間買ってきたパンを加えれば完璧だった。全ての準備が整い、皆が食卓に着こうとしたとき、
「ああ、そうだ。玲司、凛。白ワインがあるから一緒に飲まんかね?」
そう言って正隆が二人を見た。
「……私だけ付き合います、父さん。兄さんはやめておいた方がいいでしょう」
「? 体調でも悪いのか?」
凛の言葉に正隆が首を傾げるが、
「いや、そういうわけじゃないんだが、今日は遠慮するよ」
肩を竦めて鳴海本人が断ったので、父親もそれ以上は誘わなかった。
夕食後。
「樟。この後バルコニーで話さないか?」
皆で皿をキッチンに運びながら、鳴海が樟に耳打ちした。
「え? ええ」
――何の話だろう?
樟が不思議に思う。
夕食の片づけを終え、樟は鳴海とともに二階に上がり、彼の部屋を通ってバルコニーに出た。すると……
「あ……?」
外壁に沿ってボール電球が等間隔についたコードが飾られていて、バルコニーを柔らかいオレンジ色の光で照らしており、そこには緩いS字型の寝椅子が二つ、並べられていた。
「昼間お前が勉強していて俺が寂しそうにしていたからか、凛が寝椅子と電球ガーランドを用意してくれてな。飾りつけも手伝ってくれたんだ」
――鳴海さんと凛さん、俺のためにこんなことまで……
二人の配慮に樟は申し訳ないような、ありがたいような気持ちになった。
鳴海は樟の手を取って寝椅子へと導き、手を引いて座らせると、自身も空いている方に座った。
「夕食の時、俺にワインを飲ませなかったのは、酔ってお前と二人きりになるのはまずいという彼女の配慮だ」
「……」
手はまだ握られていた。
「寝椅子に寄り掛かるといい。楽だぞ。星空も見える」
そう言って鳴海が寝椅子に横になったので、樟も横になる。頭上には夏の夜空が広がっていた。
「……綺麗ですね」
何故か、今見上げている星空と手の温もりを、きっとずっと忘れないだろうと、樟は思った。
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