8 / 10

第8話 団欒

「樟、いらっしゃい!」  鳴海と樟がロビーに下りると、ちょうど玄関から入って来た愛菜がキャリーバッグを放り出して駆け寄って来た。 「愛菜さん」 「君が樟君かね?」  厳格な声に顔を上げると、白髪が混じり始めた黒髪をオールバックにした長身の紳士が愛菜の後から家へと入ってくるところだった。更に彼の後ろには、栗色のネオソバージュヘアの女性が続く。樟は、きっとこの二人が鳴海の父と妹の凛さんだと確信し、丁寧な礼をした。 「初めまして、樟です。この度はバカンスにお招きいただきありがとうございます。二週間よろしくお願いします」 「玲司の父、鳴海正隆だ。こちらこそ、よろしく」  片側の口端だけを上げて笑み、右手を差し出したので、樟も微笑んでその手を握り返した。 「玲司の妹、凛です。よろしく」 「よろしく」  次いで後ろの女性が前に歩み出て、やはり手を差し出したので、樟は嫋やかながらも力強いその手を同じように握り返す。 「浦部が食材を買い込んでおいてくれたから、早速夕食の準備をしよう」  面識のない者同士の自己紹介が終わると鳴海が提案し、皆それに賛同した。 「とにかく皆お腹が空いているから、手早く出来るものがいいわね」  愛菜の言葉に凛と樟が頷いた。正隆と鳴海はここキッチンにはいない。長時間の運転で疲れているだろうと気遣ってリビングで休んでもらっている(実際、正隆はすぐに転寝し出した)。 「パンにハムにチーズ、ジュースはあるから、あとはサラダとスープを作って、フルーツを切ればいいと思います」  パントリーと冷蔵庫の中を確認した樟が言うと、愛菜と凛も頷いて早速調理に取り掛かった。 「調味料も一揃い用意されてる。浦部さん、気が利くなあ」 「浦部さんは毎年バカンスが終わった後、余った食材や開封した調味料、消費期限の切れたものを持ち帰って、次のバカンスの初めに新しいものを補充するの。定期的に別荘の掃除や換気もしてくれているわ」  凛が野菜を切りながら説明する。樟は凛の説明に頷きつつ、鍋にコンソメとカットトマト缶、水を入れて温め、切り終えた野菜にそのまま使えるレトルト豆、フライパンで軽く両面を焼いた一口大の鶏肉を入れ茹でる。愛菜はちぎって洗ったレタスを大皿に盛りつけている。そして…… 「あとは塩コショウして完成です」 「私の方も、魚の缶詰を載せてドレッシングをかければでき上がりよ」 「バゲットとハムとチーズと、デザートのフルーツも切ったわ」  樟の報告に愛菜と凛が答え、三人は作り終えた料理を次々とダイニングテーブルへと運ぶ。夕食の用意ができると、愛菜が父と兄を呼びに行った。  円形のダイニングテーブルにまず正隆が座り、彼の両隣りに姉妹、斜め向かいに鳴海と樟がそれぞれ座り、皆で夕食を食べ始める。 「ふぅ……凛と交替で運転して来たが、それでも疲れたわい」 「来年は俺と凛で運転しようか?」 「その方がいいかもしれぬな」  鳴海の提案に正隆が頷く。 「父様、サラダも食べて。私が作ったのよ」 「おお、ありがとう、愛菜」  愛菜が取り皿にサラダを取り分けると、正隆は感謝して受け取った。 「このスープは樟が」  凛が言い添えると、正隆はスープを掬って口に運び、笑みを浮かべた。 「とても美味しい。薄味で食べやすくヘルシーだ」 「「……」」  樟(と竹田)の料理を食べたときの鳴海と全く同じ感想を耳にして、二人が刹那、動きを止める。  正隆は目を上げ、改めて鳴海の隣に座る樟を見た。 「樟君。今回は我が家のバカンスに参加してくれてありがとう。この別荘に客人が来るのは何年振りか。滞在中は遠慮なく過ごしてくれ」 「ありがとうございます。とても素敵な別荘で驚いています」 「そう言えば、樟君は武道をやっているのだったね。何でも大会で優勝するほどの実力だとか」 「はは……確かに優勝はしましたが、かと言って達人の域というわけではありません。もっと精進しなければ……」  樟がそう言って片手で後頭部を撫でた時、稽古の許可をもらうのに今がいい機会だと思いつく。 「え……と、正隆さん」 「何かね?」 「ええと……皆さんは朝、何時頃に起きますか?」 「まあ八時頃だろうな。毎年そんな感じだ。何故?」 「このバカンスの間、早朝の海岸で武道の稽古をしたいのですが、よろしいですか?」 「ああ、いいとも」 「では鍵はどうしたら……?」  まさか鍵をかけずに外に出るわけにはいかないと思い、樟が尋ねる。 「それなら玄関にブレスレットキーホルダーにつけた予備の鍵があるから、それを使うといい」 「わかりました」  樟は朝稽古ができることになって、ほっと胸を撫で下ろした。その後も他愛ない話や軽い笑い声が混じる夕餉の時は、穏やかに過ぎて行った。  夕食を終え、(疲労でぐったりしている正隆を除く)各自が食器をキッチンに運び、汚れを軽く洗い流してはビルトイン食洗機に入れていく。 「全部入ったわ。大容量を入れられるタイプは便利ね」  愛菜が言って専用洗剤を入れ、予約設定をして、 「これで朝方稼働し始めて、朝食の準備をする時間までに洗浄・乾燥が終わる計算よ」 と腰に両拳を当て、得意げに説明する。 「今日は移動で疲れているから、皆もう寝た方がいいわね」  凛が言い、兄を見た。 「兄さん。樟はまだ高校生。恋人と一つ屋根の下にいるとは言え、くれぐれも……」  高校生と何かあれば、鳴海の社会的立場上、スキャンダルになりかねない。 「わかっている。樟が高校を卒業するまで待つつもりだから心配いらん」  夕刻のバルコニーで熱烈な抱擁をしてしまったことは敢えて言わなかった。  ――俺が高校を卒業するまで待つ?  兄妹の会話を聞いて樟が動揺する。  ――雅也の言うように鳴海さんは『高校生相手に社会人が手を出したら色々まずいと思っている』のか? でも本音は、俺とそういうことをしたいと思っている……?  そこまで考えて樟は鳴海に口にキスされることやそれ以上のことを想像して、カーッと赤くなった。 「お、俺、もう寝ます。おやすみなさい!」  樟は就寝の挨拶をすると慌ててキッチンから出て自分の部屋へ戻った。後には、逃げるように去った樟に首を傾げる兄妹が残された。 *  翌朝。午前六時、薄明の無人の海岸で稽古着に着替えた樟は武道の鍛錬を開始した。手早くウォーミングアップを済ませると、すぐに型稽古に入る。 「はっ、はっ、はあっ!」  基本の型から応用を経て、仮想の相手をイメージしたスパーリングに入った。一心不乱に身体を動かし続けていると、やがて自身が無になり、周囲の気の流れに溶け込んでいるかのような流麗な樟の動きを、道沿いをジョギングする人、そしてちらほら海岸にやって来始めた観光客たちが、好奇の目でチラチラと見る。そして…… ピピピピピ……  腕時計のアラームが鳴り、はっと我に帰った樟は、くるりと踵を返して海岸沿いの道を渡ってすぐのところにあるターコイズブルーの屋根と白い壁の別荘へと戻った。現在の時刻は午前七時半。皆が起床する八時に間に合うように、樟は自室のシャワーブースで手早くシャワーを浴び、髪を乾かすのもそこそこに身支度を整え、途中ランドリーに寄って今しがた脱いだ稽古着などを洗濯機に入れてからリビングへと向かった。 「お早う。朝稽古の後、シャワーを浴びたのか?」 「……わわっ」  ちょうど二階から下りて来た鳴海が樟を見て朝の挨拶をすると、まだ湿っている髪をそっと掻き揚げて額にキスをする。まだ彼しか起きていなかった。  ――鳴海さんのスキンシップには随分慣れたつもりだったけど、朝一でこれとか。というか、よく考えてみれば二週間ずっと一緒に過ごすんだよな?  彼の父・正隆氏のことばかりに気を取られていて、そこには気が回らなかった。 「お、お早うございます。……?」  とりあえず挨拶を返したのだが、腰に両手を添えられたのに気づく。 「俺の部屋は朝、眩しい朝陽が差し込む。本当に明るい陽の光の中で目覚めるのは最高だな」  樟はそれが昨日、自身がバルコニーで言った台詞だと思い当たり、同調しようとして、 「……お前が隣にいれば、だが」 続いた鳴海の言葉にフリーズした。 「……あ、」  腰に添えられた手を後ろで緩く組まれ、微笑みながらそっと額に額を押し当てられて、間近で鳴海の褐色の双眸を覗き込むことになり、樟が息を呑む。 「鳴海さ……」  それでもやっと声を出そうとした、その時。階段を下りて来る足音が聞こえて、二人ははっとして離れた。 「「おはよ~」」 「お早う」 「お早うございます」  のんびりした声が聞こえ、凛と愛菜が二階から下りてきたので、鳴海と樟も挨拶を返した。正隆はまだ起きて来ない。 「やっぱり父様はまだ起きていないのね。父様が遅いのはいつものことだから、私たちでさっさと朝食を作っちゃいましょ!」  愛菜が元気よく言い、皆で朝食の準備に取り掛かった。パンとハムとチーズ、ドライフルーツ入りヨーグルト、カフェオレ、ポーチドエッグが載ったサラダの小鉢にオニオンスープ。朝食が出来上がる頃には正隆も起きており、皆で栄養も量も十分な朝食を済ますと、 「皆で海に行きましょ!」  愛菜が目を輝かせて言い、凛と鳴海が樟を見た。正隆は一緒に行く気はないようで、食後のコーヒーを飲みながらビジネス雑誌を捲っている。 「え、ええ。もちろん」 「じゃ、決まり! 水着に着替えたらロビーに集合ね!」  一拍遅れて樟が答えると愛菜が言い、  ――じいちゃんの言う通り、水着を用意しておいてよかった。 と安堵する樟をはじめ、皆が自室で着替えるため、一旦そこで解散した。  樟は途中ランドリーに寄って、乾燥まで終わっていた稽古着を回収し自室へと戻った。  樟と鳴海は姉妹たちよりも早く着替え終えて、先にロビーへとやって来た。樟はネイビーのサーフパンツに水色の綿シャツ、黒のキャップを身に着けていた。鳴海はブラックのサーフパンツに白い綿シャツ、緩い顎紐の付いたベージュの日除け帽子を合わせていて、二人とも同じようなフラットサンダルを履いていた。程なくして、 「「お待たせ~」」 という声とともに姉妹が二階から下りて来た。凛はローズレッドのブラジニアンビキニに薄桃色のショートパンツ、広いつばで薄茶色の麦わら帽子を、愛菜はローズピンクの水陸両用スポーツブラとサーフパンツに黄色いリボンを後ろで結んだアイボリーの麦わら帽子を合わせ、二人ともフラットサンダルを履き、薄黄色の綿のシャツを羽織っていた。 「二人ともとっても可愛いです」  樟が褒めると、姉妹は彼の賛辞に笑顔になった。  凛と愛菜でバスタオル、日焼け止め、水筒とスタッキングコップ、レジャーシート、ビーチボール、小銭が入ったペーパーバッグを、鳴海と樟でビーチパラソルと折り畳みチェアを持って行くことにして、 「行って来まーす!」 愛菜が正隆に元気に手を振って、四人は海岸に向けて出発した。

ともだちにシェアしよう!