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第7話 海辺の別荘
「着替えと日用品と、それから……」
「樟」
夏休みが近づき、樟が鳴海の家族とのバカンスに行く準備をしていると、暑さのため窓とともに開け放していた自室のドアから養父が呼んだのに気づき振り向いた。
「じいちゃん」
「少しいいかい、樟」
「うん」
竹田は床に座って高二の時に修学旅行で買ってもらったキャリーバッグに荷物を詰める樟の前に来て座った。樟が自分に向けていた扇風機を“首振り”に切り替えて養父にも風が行くようにする。
「もしも……彼の親御さんがお前の出自や儂の職業でお前を認めなかったら……辛いだろうが彼のことは諦めるんじゃ」
「うん、わかってるよ、じいちゃん」
樟は明るく答えた。鳴海と別れることを期待してバカンスに行くことは養父には言っていない。
「稽古着も持って行くんじゃぞ。ちゃんと自主練しておくれよ? 受験勉強もしっかりな」
「わかってる」
そして竹田ははたと気づいたように片手で自身の膝とポン、と叩いた。
「おお、そうじゃ。水着を買わねばならぬのではないか?」
「水着?」
「海辺の別荘に行くのじゃろう? つまり、海パンじゃ」
中学まで水泳の授業があったためスクール水着はあるが、もう小さい。樟には殊更泳ぎたいとは思っていなかったのだが、
「やっぱ用意しておいた方がいいかな」
と改めて考えて、思う。
――なるべく出費は避けたいけれど……
「探せば安くていいものがあるかもしれん。後で一緒にネット通販を見てみぬか?」
「うん!」
本当に養父はよくわかってくれていると思い、樟は元気に頷いた。
*
そしてついにバカンスに出発する日の朝。車で向かうとのことで、S駅まで鳴海が迎えに来てくれることになっていた。約束の時間より前に着くように、養父とともに駅へと向かう。キャリーバッグだけでは収まらずにボストンバッグと、あとリュックも背負っていた。勉強道具は持って行くのは大変なので、鳴海の提案でそのほとんどを前もって宅配便で送っている。何でも別荘には管理人がいて受け取ってくれるらしい。
「ふぅ……暫くあの家に儂一人か……」
駅に着いて待つ間、竹田が溜息交じりに呟く。
「二週間なんてすぐだよ」
「ふぉふぉ、そうじゃの」
話しているうちに、黒のセダンが滑るように二人の前に横づけされた。すぐに運転席のドアが開き、鳴海が姿を現す。
「お早うございます」
「おお、鳴海さん。二週間、樟をよろしく頼みます」
「ええ、お任せください」
深々と頭を下げる竹田に丁寧に返し、鳴海は樟を振り返った。
「では荷物をトランクに」
樟はトランクにキャリーバッグとボストンバックを入れさせてもらい、リュックは手に持って車に乗り込んだ。
「行って来ます」
サイドウィンドウを開け笑顔で養父に言うと、竹田も微笑み手を振った。そんな竹田に鳴海は軽く頭を下げてから運転席に乗り込み、車を発進させた。
*
「別荘まで車でほぼ一日かかる距離だ。妹たちは父の車で向かい、現地で落ち合う予定になっている」
鳴海は車を走らせながら簡単に樟に説明した。車は少し走ると高速に乗り、よく晴れた青空に続く道を風のように走る。
「……進路、もう決めたのか?」
走り出して暫く経ったとき、ふいに鳴海が口を開いた。
「いえ、まだはっきりとは……夏休み明けに最終的な担任との三者面談があるので、その時に……」
「お前の本心はどうなんだ?」
「え?」
「進学と、竹田氏の道場を継ぐのと」
「本心は、進学したい、です」
樟は躊躇いがちに言った。
「では、お前がそうすることを妨げているネックは何だ?」
「ネック……」
「それが解決すれば進学できるとするならば、何が不安なのか言ってみろ」
「……お金、です。担任の言う通り授業料等減免制度を使えば入学金も授業料も大幅に減額されて、尚且つ学生寮ならばアパートに比べて家賃もずっと安いですが、それでも生活費や教材費、諸々は掛かります。俺はもちろんバイトするつもりだし、じいちゃんも仕送りをするとは言ってくれているものの……学業との両立とかじいちゃんの健康を考えると……四年って長いし……まあ、いざとなれば奨学金があるけれど……そこまでして大学に行きたいかと言われるとそうでもない、というか……」
「つまり、経済的に余裕があれば迷わず大学に行くが、自分も家族も無理をしてまで進学するのは気が進まない、ということだな?」
「そうです」
「大学は、どこだ? どこを目指している?」
「A大学です」
「A大学……それなら、一緒に住まないか?」
「え?」
「A市なら俺の会社の支店がある。お前がA大学に進学するなら、俺はその支店に転勤を希望しよう」
「……え? けど……」
「今、本社で働いているのは成行きに過ぎない。別に何処で働いたっていいんだ。寧ろ本社以外で経験を積む方が親父にも歓迎されるかもしれん。会社借り上げのマンションなら家賃も水道光熱費もかからないし、食費も俺が出す」
「……」
――そんな、進学後のことを今から……
はっきり言って、このバカンスで鳴海の父に交際を反対されて彼と別れることになると予想している樟には、鳴海の提案に答えること自体、無意味に思えた。
「ありがとうございます。もし進学できることになったら、その時また相談させてください」
だが何も言わないわけにはいかないので、そう答えた。
「ではその時は知らせてくれ」
「わかりました」
二人を乗せたセダンの外の景色は止まることなくサイドウィンドウを流れて行く。
*
途中サービスエリアで何度か休憩しながら、夕刻に漸く目的地である、海岸沿いの道に大きな家が立ち並ぶ、人気リゾート地に着いた。
「別荘はこの道沿いだ」
鳴海が言い、そのうちの一つの敷地に乗り入れ、アプローチ脇の空きスペースに停める。別荘は夕焼けに染まっていたため屋根の色はわからなかったが、白い壁の美しい建物だった。
「まだ親父は到着していないようだ。とりあえず荷物を下ろそう」
車から降りると鳴海がトランクを開ける。自分たちが先に着いたというのに、門灯だけでなく家の中も明るいのを樟は不思議に思う。
――そっか。管理人さんがいる、って言ってたっけ。
前に鳴海から聞いたことを思い出して納得し、荷物を取り出すと彼に続き家の中へと入った。
「鳴海さん、お待ちしてましたよ」
家に入るとすぐに、日に焼け、ガッチリした体格の若い男が気づき、二人を出迎えた。
「彼は浦部さんと言って本業は地元の漁師だが、この別荘の管理を頼んでいる」
「浦部だ。君が樟だな? よろしく。届いた荷物はゲストルームに運んでおいたよ」
「樟です。よろしく。荷物を運んでくださってありがとうございます」
「食材は十分な量をパントリーと冷蔵庫に入れておきました。何かあればお声がけください。では俺はこれで」
浦部はそう言うと早々に帰って行った。
「まずはお前の部屋に案内する。ついてきてくれ」
浦部が去ると鳴海が樟に言い、一旦その場に自身の荷物を置いてロビー横に伸びる通路へと足を向ける。通路の先には部屋があり、そこがバカンスの間、樟が滞在する部屋ということだった。ベッドとエアコン、折り畳める壁付けテーブルに椅子、クローゼット、奥に洗面台、トイレ、シャワーユニットがある。
「素敵な部屋ですね。とても居心地が良さそうです」
武道の稽古をすることを考えたら、部屋にシャワーブースがあるのは樟にとってありがたかった。
「気に入ってもらえて嬉しい。そちらのドアもシングルルームだ」
見ると樟の部屋の向かいにもドアがあった。
「ロビーの反対側にはファミリー用ゲストルームがあるんだが、母が亡くなってからは父も義実家と疎遠になってしまってな。ゲストルーム自体、数年使っていない。この部屋は事前に浦部氏にチェックしてもらったから大丈夫だろう。……次に家の中を案内しよう」
鳴海はそう言ってロビー奥にあるLDK、パントリー、ランドリーと順番に案内していく。ランドリーにはドラム式洗濯乾燥機が二台あって、好きな時に使っていいということだった。
「別荘に滞在している間、父は主寝室のバスルームを、特に決めたわけでないが凛と愛菜は二階の、俺はここ一階のバスルームを使っている。お前もここを使いたければ使っていいぞ」
広く豪華なバスルームを案内しながら鳴海が言うが、樟は自室のシャワーブースで十分だと思った。
「次に二階を案内しよう」
一階を案内し終えると鳴海は先ほどロビーに置いた自身の荷物を持って階段を上がっていった。彼の後についていった先には、広い二階ホールがあった。吹き抜けになっているロビーをぐるりと囲んだ回廊の北側には、本棚やロッキングチェア、テーブルセットが置かれた読書スペースがある。壁の中央には縦長の窓が設けられており、昼間は光が入る設計だ。微風を感じて上を見ると、シーリングファンがゆっくりと回っている。
「望むならここで勉強もできる。そして……」
と鳴海が回廊の向こうに目を遣った。樟が釣られてそちらに目を向けると、壁灯が明るく照らす回廊の周囲に幾つかのドアが見えた。
「北西の部屋が主寝室、南西が愛菜の部屋、南が凛の部屋、南東が俺の部屋で、北東にバスルームがある」
順に説明した後、鳴海は樟を振り返ってニヤリと笑い――
「俺の部屋を見てみるか?」
と聞いた。樟は単純に好奇心から、
「ええ、見てみたいです」
と答え、少し驚いた様子の鳴海を不思議に思ったが、彼が南東の部屋のドアを開け、『どうぞ』と言って脇に立ったので、彼の前を通り過ぎて部屋へと入った。鳴海が樟に続いて入り、どさりと荷物を置くとそっとドアを閉める。ドアを閉めてしまうと、光源は南側のバルコニーに続くテラスドアと東側の窓の朱い空の光のみとなった。鳴海の部屋は個人のものとしては十分に広く、薄闇の中に沈んで色彩はわからなかったが、大きなベッドにデスク、チェストにハンガーラック、片隅にスタンドミラーがあるのがわかった。
「広くて素敵ですね。バルコニーに出てみてもいいですか?」
「ああ、構わない」
樟はテラスドアを開け、バルコニーに出た。バルコニーも十分に広く、見ると南と南西の部屋のテラスドアに繋がっていて、幾つかのテーブルセットやベンチが置いてあった。一階ポーチの上に位置するバルコニーは海が一望でき、温い夕風が優しく吹き抜けていく。
「夕陽があんなに小さく……ああそうか。こっちが東だから……鳴海さんの部屋、朝は眩しい朝陽が差し込んで……ははっ、朝、明るい陽の光の中で目覚める、って最高ですね!」
それは単に東側に窓がある部屋に対しての感想だったのだが、
「!?」
笑顔で振り返った樟はいきなりきつく抱き締められて驚いた。
「な、鳴海さん……?」
「樟……!」
耳元で切羽詰まったような余裕のない声で囁かれてドキリとする……が、その時アプローチの方から車のエンジン音がして、二人ともはっとした。すぐに鳴海が抱擁を解く。
「……親父たちが到着したようだ。階下へ行こうか」
彼は踵を返すとスタスタと歩き出した。
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