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【6】-06

 小さな控室代わりの給湯室は、実は思いのほか乱雑だ。  荷物を置いて身だしなみを整え、制服代わりの黒い薄手のニットに着替える。  最初は少し違和感があった黒いマスクにも、今はすっかり慣れてしまった。素顔でカウンターの中に立っている方が違和感を覚える程だ。  名札を下げてから手を洗い、よし、と少しだけ息を吐く。  半年も務めればそれなりに慣れる――とはいえ、やはり人前に出る仕事は、宵央にとってハードルが高い。  ささやかに気合を入れ、店に繋がる扉を抜けると、すでに何人かの常連客が舌戦に興じていた。  怪談カフェ居酒屋《八ツ辻》のコの字型のカウンターには、ジェイソンマスクの男性とペスト医師の恰好をした男性、そして狐の半面を被った女性が並ぶ。彼らの話に真剣に耳を傾けているのは、スタンドカラーのシャツをスマートに着こなしたマスターだ。  常連とは距離を置きグラスを傾げていた男性が、宵央に気が付いて『あっれ?』と口を開いた。 「……マヨさん、今日向こうの仕事じゃなかった?」  薄い色のサングラスを鼻の上に乗せた浬は、今日は不思議な柄のインド綿のシャツを羽織っている。  明るい彼の髪の色によく似合ってはいるが、秋も終わりかけのこの季節に寒くないのだろうか、と少々心配になった。 「あ、仕事終わったので、そのままこちらに出勤しました。今日は短時間のコースだったので」 「はー、添い寝屋呼んどいて数時間で帰すブルジョワ存在すんだな。で、今日はどんな客だったの?」 「……守秘義務」 「ふふ、ガードかてえなぁ、クソ真面目~」 「当たり前でしょうペラペラと何でもかんでも吹聴するようなヒトには出来ないお仕事なんですよ! ああ、おはようございます真夜中さんあなたを待っていたんです、お好み焼き作れます!?」 「え、あ、はい、作れます、けれど」 「さっきからこの小うるさい人達がね、お好み焼きが食いたい食いたいとうるさいったらありゃしない! じゃあわたしが作りますよって申し出たら『癸が作るなら月島もんじゃの店に移動する』だなんて言うんですよ! いやね、別に好きに移動してもらっていいんですけどね、話のオチだけは聞きたいじゃないですか!」 「いや~久々の九ちゃんの超大作、いいよね~。これもう『生き人形』超えあるんじゃないの?」 「レジェンドと並べないでもらっていい? さすがに恐れ多いから……」 「やはり関西と関東では生活様式も違いますし、幽霊の質というんでしょうかねー『怖さ』の肌触りが違う気がしますよねー。いやしかしまずはお好み焼きですよね?」 「お好み焼き食べたい!」 「お好み焼き!」 「ああもううるさい。今真夜中さんが腕に寄りをかけてキャベツ刻んでくださいますから少々お待ちなさい!」  わいわいと声を上げる常連を諫める癸に苦笑いを返しつつ、宵央は両袖をまくり上げた。どうやら関西にまつわる怪談を話している最中、お好み焼きが食べたくなってしまったらしい。  途中でお好み焼きが食べたくなる怪談にはかなり興味があるが、最初からお願いしますとも言い難い。後日暇な時にでも、九にお願いしてみよう。  そういえば最近九の姿が見えなかったのは、長距離で関西に出稼ぎに行っていたからかもしれない。  冷蔵庫からキャベツを取り出した宵央は、じっと自分を見上げている浬の視線に気が付いた。 「……どうしました? 浬さんもお腹すきましたか?」 「いやおれはさっき食ったじゃん。マヨさんの出勤前に一緒にメシ食ったじゃん、いらねえよお好み焼き。お好み焼きはどうでもいいんだけどさ……その服どうなの?」 「ええと、どう、とは……」 「エロすぎじゃない?」 「……ユニクロですけど」 「知ってるっつの、一緒に買いに行ったっつの。黒いニットが欲しいなんて言うから、あらあらいいじゃんって思って選んだのにまさか仕事着だとは思わないじゃん? 大丈夫なの? 黒のぴったりニットだぞ? また変な男ホイホイしちまわない?」 「しませんよ……シャツだとちょっと、肌寒いんです。実は結構、寒がりみたいで……」 「あー。マヨさん夜すっげえひっついてくるもんなー」  そんなことを言われてしまうと、つい浬の体温を思い出してしまいそうになる。はわわ……と照れてしまった宵央の後ろから、お好み焼きを待つ女の喚き声が聞こえた。 「ちょっとチリ、ここは怪談喋る場所なんだーっつの! 絶妙にいちゃつくなら家でやれ!」 「なんでだよ。おまえ恋バナ楽しいっつってたじゃん」 「もう出来上がったカップルののろけには興味ねーの! みとやん《八ツ辻》ルール更新しよっ! 素顔、本名、のろけ禁止ッ!」 「みとさんはのろけ歓迎っつってたけど?」 「――えっ。うそ……裏切者……?」 「そんな大げさに絶望なさらなくても……わたしはただ、真夜中さんが楽しくお仕事をしてくださるなら、そこのぽんこつ男といくらでもいちゃついていただいても結構ですよ~と申し上げただけですよ。ウチは安月給ですからねぇ……いつ夕子さんに宵央さんを取られてしまうかと思うと」 「それは確かにやべーわ。マヨち居なくなったらまた瓶酒のみ、乾きもののみの激渋居酒屋に戻っちゃう……」 「マヨくんのギムレット、おいしいんだよねぇ。この辺の他の店よりおいしいんだよねぇ……」 「それは少々のいちゃつきくらいは大目に見るしかありませんね。リア充爆発してしまったら我々の酒と肴も道連れなんですから」  九に続き、猫屋敷とペスト医師までも肩を落としながら同調する。別に隠しているわけではないが、こうも大々的に揶揄われると、さすがにかなり恥ずかしくなってきた。 「や、辞めませんよ……! 僕はその、千里さんがいらっしゃらなくても、このお店のお仕事が好きですから……!」 「まぁ嬉しい。じゃあ夕子さんのところ辞めます?」 「え、いや、それはちょっと……夕子さんにはお世話になってますし……急に辞めるわけには」 「もう! 真夜中さんはそう言ってもう半年ですよ! 千里さんあなたいいんですか、彼氏が添い寝を生業になさっているのに!」 「別に。マヨさんは浮気しねえもん」 「んんんんーーーーすっかり人間らしくなってしまってこのっ、もうっ、すかぽんたん!」 「みとさんテンパった時におれをディスんのやめろし」  わはは、と軽い笑い声が響く。  いつもの夜、いつもの《八ツ辻》と、慣れ親しんだ人達との会話だ。  宵央の現状は、実のところあまり変わっていない。  添い寝業である《獏獏》のキャストも続けているし、少々口寄せのコツを理解したとはいえ、除霊などはできないし、相変わらず人の顔は認識できない。  ただ、今は浬のアパートで生活している。  宵央の住んでいたアパートがついに立て直しが決まり、追い出されてしまったことがきっかけだった。  ほとんど寝に帰るだけだったという浬の部屋は、宵央も引く程本当に物がなかった。調理器具は愚か、テーブルすらない。どうやって生活していたんだ、と蒼白になった宵央だが、『マヨさんの好きな家具買い足していこうぜー』とへらりと笑われた為すべてどうでもよくなった。  宵央は相変わらず浬に弱く、そして浬は宵央に甘い。  浬の実家については、今はもうどうなっているのか知る由もない。  宵央が誘拐された一件の後、浬は一度だけ『なんかみんな一応生きてるみたいよ?』とだけ言った。一応、という言葉に不穏さを覚えたものの、根掘り葉掘り聞きたい話でもなかったので、今も知らないままでいる。  浬の出生については一通り説明された。それを聞いて尚、あの夫婦はもう救えないのだろうなと思う。本当はいかに浬が傷ついたか訴え、自分たちの罪を認めさせて頭を下げさせたい。  だがおそらく、十堂の人間には宵央の言葉は届かないだろう。  浬でさえ、対話を放棄して『忘れる』という選択肢を取ったのだから。  ただ、千同家の井戸から出てきた三体の遺体については、今も捜査が続いているらしい。もしかしたら感情で裁けなかった彼らも、司法で裁かれるかもしれない。怪異には怪異のルールがあるが、人間社会にもルールがあるのだ。 「ああ、そういえば宵央さん、先ほどお店にお電話がありましたよ。シキさんとハネさんから」 「……あれ、今日は怪談イベントに行ってるんじゃ?」 「どうもね、ちょっとトラブったみたいで、真夜中さんと千里さんにご相談が、とのことで。これから伺いたいと仰っていたので、ご来店お待ちしていますよとお答えしちゃったんですが――大丈夫でした?」 「あ、はい。ええと僕はともかく――浬さんがいらっしゃいますので」  時刻は二十三時。  街は真夜中と呼ばれる時間に足を踏み入れる。  來摩宵央は夜が怖かった。真夜中と呼ばれる時間は、殊更怖い。  けれど今は、浬が宵央の手を握ってくれる。へらりと笑いからりと言葉を放り投げる、感情が希薄で面倒臭がりで、けれど最低限誠実で格好いい男が。 「最近ろくなしてなかったから丁度いいや。あーでもなんか、海の方行ったんだったか? じゃあ塩駄目だな、マヨさんそれ作り終わったら和紙焼いて灰にしといて。清酒ある?」 「はい、ご用意してあります」 「有能~。そんじゃまあ、客人と真夜中を待つかぁ」  宵央の周りは怖いものだらけだ。それでも、浬の手を離したくないと強く思うので、怖くてもほんの少し踏ん張れた。  そして真夜中、それの時間がやって来る。  怪異も神様も人間の感情も、根こそぎ腹に収める悪食だ。大食漢のバケモノに浬が食いつくされないように、宵央は今日も浬の手を握る。  耳を、目を、口を、閉じて蹲り、それが通り過ぎるまで震えて過ごせ。真夜中は、何もかもを喰らってしまう、オバケの時間だ。 終

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