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第36話 迷いはない

 お兄様の話は、俺を愕然とさせた。  俺が消えた後の大和の事は彼自身から聞いたのと同じだったけれど、大和がお兄様に言ったという言葉に、当時の自分の浅はかさを知った。  大和は俺を信じてくれていた。黙って姿を消した俺を……裏切りにも似た行いをした俺を、それでも信じてくれていた。理由がある筈だ、って。  対して、俺は……。  確かに『理由』はあった。そして俺は大和に一言も相談する事なく、逃げる事を選んだ。それは彼を信じていなかった事に他ならないのではないか? 彼の将来を壊したくないから……などともっともらしい理由をつけて、その実、現実と向き合う事から逃げただけだと……。  時間が経てば、大和も消えた俺の事なんか忘れて、夢を叶えて、可愛い恋人を作って、結婚して……って、自分の人生を歩んでいくんだろうなって思っていた。  大和との未来は考えていなかったと言いながら、その実、自分じゃない誰かが大和の隣に居る未来を思うだけで胸が苦しくなった。それでも、大和が幸せになってくれたらいい。俺は俺の居場所を見つけて、生涯大和の幸せを願いながら生きていこう、と自分に言い聞かせて……。  でも、大和は俺を信じて諦めないでいてくれた。  それなのに俺は………。  お兄様から聞いた、俺が大和に『別れ』を告げてから衰弱して発見されるまでの事を聞いて、涙が溢れた。息苦しくて上手く呼吸が出来ない。丹羽先生が声をかけてくれて、背中を擦ってくれながら、ベッドに寝かせてくれた。 「ゆっくり深呼吸しましょうね」  ゆっくり深呼吸を繰り返す俺。涙は止まらなかったけれど、呼吸は楽になった。先生にお腹は痛くないか訊かれて、頷きながら布団の下でお腹を撫でた。    (うん、大丈夫。君達は強い子だね。苦しくしちゃってごめんね)  と、赤ちゃん達に心の中で謝った。 「お話は明日にしませんか? お母さんの精神状態も胎児に影響を与えます」  先生がお兄様に言う。 「解りました。渚君、無理をさせてすまない。話は後日改めてしよう。私が言えた義理ではないが、今は身体を最優先に……」 「あ……」  お兄様が行ってしまう。後日って、いつ?  まだ話さなければいけない事があるんだ。  だから俺は…… 「お腹の子は大和の子供なんです」  お兄様を引き止める様に言った。  お兄様は一度浮かせた腰を、再び椅子に下ろす。既に立っていた門脇さんも、再び椅子に座った。  心配そうに俺を見つめる先生に、大丈夫だと伝わる様に頷いて見せると、先生は離れた所に置いていた椅子を持ってきて、ベッド横にピッタリくっつけて座る。 「一ヶ月前、俺から誘ったんです。何故かは自分でも判りません。『渇き』だったのかも知れません。今でも大和を『愛してる』から。それが『俺の罪』です。俺は大和を求めてはいけなかった。俺に戻って来てほしいと願う大和に、別れを決意していたのなら抱かれてはいけなかったんです。互いに、避妊は頭になかったと思います。 俺は《《最後》》のつもりでした。けれど、大和は俺から求められた事で《《期待》》した。行為の後も彼の求婚を拒否した俺に彼は言いました。「だったらなんで『抱いて』なんて言った? 捨てる俺に最後の情けのつもりか!」と。 『違う』なんて言えなかった。言える筈もない。俺は最後まで大和を拒否したんです。六年前から変わらず一途に愛してくれる大和を、αだから……というだけで……。だからお兄様に、大和のα性を否定したのか、と言われれば、そうなんだと思います」  布団の下でお腹を擦りながら「大丈夫大丈夫」と心の中で自分に言い聞かせるだけで、冷静に話せたと思う。自分の『罪』を。 「ごめんなさい。大和を傷付けて……。赦してもらえるとは思いません。あのメモを見た時、俺は自分が大和を追い詰めた事に気が付きました。だから、本当に今更だし、そんな資格、俺にはない事は解っているけれど……。それでも俺は……」 「大和に会いたい」——  言葉にして、ストンと腑に落ちた。  俺は自分にまで『嘘』をついていたんだなぁ、と。  大和が幸せになってくれればいい、なんて嘘。遠くから大和の幸せを生涯祈り続ける、なんて嘘。  本当は俺が大和を幸せにしたい。大和の傍で彼を支え、彼の幸せの一部になりたい。彼と一緒に幸せになりたい。  それが俺の本音なんだ。  俺の本心を聞いたお兄様は……。 「最初は話を聞くだけのつもりだった。とにかく、事情を聞きたかった。大和の身に何があったのかを知りたかった。 改めて言わせてほしい。事情も聞かずに勝手に君を誤解し、君だけでなく子供にまで危険を与えてしまった事、本当にすまなかった」  座ったまま、再び頭を下げるお兄様。  俺、本当にもう……というか、初めから怒ってなんかいないんだけど。でも、謝罪でお兄様の気が済むというのなら……と、俺は「謝罪を受け入れます」と応えた。 「君は自分が悪いと言うが、事情を聞けばどちらかが悪いという事ではないのだろう。確かに、六年前に君が選んだ結果は悪手だといえるが、君がそうしなければならなかった気持ちも理解出来る。一言で不幸な『すれ違い』と言ってしまえば身も蓋もないが。 君は大和の子供を産む事に迷いはないのだな?」  お兄様が俺に訊く。訊く、というより確認なんだと思う。俺が産む事に確信を持っている様にみえた。  俺は再び、ゆっくりと上体を起こした。そして、お兄様の顔を正面から見据える。 「はい。最初から俺に迷いはありません」  お腹に手を当てる。 「この子を……子供達を産む事に」 「……! 双子……だったか。なんと、めでたい……。 おめでとう。そして、ありがとう」 「っ…!」  いた……。ここにもいたよ。心から「おめでとう」って言ってくれる人……。 「ありがとう…ございます…」  俺は、零れ落ちそうになる涙を隠す様に頭を下げた。  それから、再びベッドに寝かされた俺のすぐ傍で、丹羽先生とお兄様の打ち合わせ?的な話がされるのを、俺は無言で見つめていたんだけれど…。その名も『御崎渚、妊娠出産育児サポートプロジェクト』……って、俺が勝手に命名したんだけど……。  要約すると、さっき俺が先生と話して決めた事を先生がお兄様に話し(俺が此処で出産する事だけど)、そしたらお兄様が、俺の新たに住む所と生活の面倒は自分が見ると言ってくれて……。  つまり、俺の衣食住などの生活面のサポートはお兄様が、妊娠期から出産のサポートはΩ科と産科の先生達がする、と決まった。俺は黙って甘える事にした。というか、甘えさせてもらうしかない。  今の仕事は辞めるし、こっちに戻っても家は無いし働けないし。今は甘える事にした。  その日、俺は病院に入院する事になった。落ち着いたとはいえ、双子妊娠はリスクが高いため、一晩様子をみましょう、という事らしかった。  俺が、大和の入院している特別個室に案内されたのは、翌日の昼過ぎだった——。  

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