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初めての感覚(*)
「ぁ……っ」
意図せず漏れた自分の声に、俺は耳を疑った。
これまで演技以外で声を上げたことなんて、悲鳴と呻き以外なかったのに。
ベッドの上で俺に覆い被さっているのは、広い肩幅と厚みのある体に不釣り合いなほど優しげな顔立ちの男だ。
ゴツゴツした男の指には、タコがいくつもある。
剣を振るう男の手だ。
そんな硬い指が、見た目よりもずっと繊細に俺の肌を撫で回す。
触れるか触れないかほどの淡い感触がもどかしくて、俺は余計にその指の動きを追ってしまう。
「……っ……ぅ」
なんだ、これ……。
……なんか、鳥肌が立つみたいな……。
気持ち悪いわけじゃないのに、変だ。
首の後ろが、妙にぞくぞくする……。
これまで散々色んな男に抱かれてきた。
いつだって適当に感じたフリをしてれば、男達は勝手に果てていった。
なのに、この男は俺を撫で回すばかりでまだ自分のベルトすら緩めていない。
「さっきから、何して……」
まだ揺さぶられている訳でもないのに、なぜか上がってしまいそうな息をこらえて尋ねた俺に、男は蜂蜜色の瞳を優しく細めた。
「君を愛でている」
「っ、なん……っっ!?」
なんで俺を愛でる必要があるんだ。
そう叫びかけた俺は、男のさっきの言葉を思い出してそれを飲み込む。
『もしよければ、君を一晩抱かせてくれないか?』
俺は情報屋だが、体も売っていた。
栄養不足から小柄なまま大人になった細い体は、そちらの趣味の男によく売れた。
ツンと澄ました小顔と黒髪黒眼の俺は髪を長く伸ばしているからか、中性的な容姿は時にこいつのような、男は抱いた事がないという奴にも求められる事があった。
提示額によると答えた俺に、目の前の男は大金を並べた。
相場を遥かに越えた額を警戒した俺に、この男は寂しそうに目を伏せて言った。
『君が……初恋の彼女によく似ていたから……』
そんなわけで、金のため一夜の思い出作りに付き合ってやってる俺は、余程命の危険を感じる行為以外、この男に文句を言う筋合いはない。
それは、分かってるんだが……。
なんか……さっきから、俺の体が、おかしい。
全身を優しく優しく羽根で撫でられているかのような男の愛撫に、ぞくぞくとしたものが少しずつ腹の奥に溜まってくる。
初めての感覚にわけもなく逃げ出したいような気分になってきた俺の頭を、男の太い腕が不意に囲んだ。
「口づけても、構わないか?」
「……いいよ。つーかギルは俺を一晩買ったんだから、朝までは俺に何したっていーんだって」
まあ、痕が残るようなのは勘弁だけどな。と付け足した俺に、客の男は嬉しそうに微笑んで言った。
「ありがとう」
礼を言われるような事じゃねーんだけどな。
こっちは金のためにやってんだし。
しかもあんだけの額を……。
俺はいまだに襟元のタイすらほどいていない、身なりの良い男の姿をじっくり眺める。
柔らかそうな薄茶色の髪に垂れ気味の眉と眼はどこか気弱そうにも見えるが、パーツはそれぞれスッと整っているし、この程度なら十分優しげな顔の範疇だよな。
顔も良いしガタイも良いし金もあんなら、女性にだってすげーモテそうなのに。
なんでこの男は、こんなとこで俺なんか抱いてんだろうな。
ああ、俺が初恋の女に似てっからだっけか……。
なんかこの男、動きの一つ一つがすげー綺麗だ……。
もしかしたら身分の高い奴なのかも知んねーな。
だから、誰でもは相手にできねーし娼館に行くのも人目があるしで、こんなとこで俺みたいなのを……?
ぼんやりと考えるうちに、男の整った顔がどんどん近づいてきて、俺の唇に触れる。
うわ、すーげぇ柔らけーんだけど、これ俺の方がガサガサしてんじゃねーの?
二度、三度と重なった唇が、優しく俺の下唇を食む。
ゾクリ、と背筋が震えた次の瞬間、カアッと身体が熱くなる。
「っ……」
なんで……こんな……。
初めての感覚に息が苦しくなって、思わず開いた口の中に男の舌がぬるりと入り込む。
「んっ」
男の舌は俺の口の中を確かめるようにして、丁寧に撫でてくる。
吸い付くでも嬲るでもなく、ただ優しくいたわるように触れられている。
それなのに、どうしようもなく息が上がってきてしまう。
不意に男の舌が俺の上顎を撫でた。
ぞくりと湧いた感覚は肩を揺らすほど強く、ドッと鳴った心臓に息が出来なくなる。
「んぅ……っ」
男は俺が苦しいのを察したのか、すぐに唇を離した。
「大丈夫か?」
尋ねた男の形の良い唇から、俺へと透明な糸が繋がっている。
男の頬はほんのり赤くなっていて、蜂蜜色の瞳はさっきよりも少し色を濃くしていた。
ああ、こいつ……俺に……欲情してんのか……。
今まで俺を組み敷く男はもれなく全員俺に欲情してた。
それを嬉しいと思った事なんて、これまで一度もなかったのに。
俺はなぜか、生まれて初めて、自分を求める男の眼差しに小さな喜びを感じていた。
***
孤児院の朝は早い。
敷地だけはそこそこ広い孤児院の外通路を、三人のチビ達が自分の背よりもずいぶん長い箒でせっせと掃いている。
俺は後ろで一つに括った長い黒髪を揺らして、眩しい朝日に目を細めながら「おはよーさん」とチビ達に声をかけた。
「あ、ゼスだーっ」
「ゼス来たーっ、せんせーっ、ゼス来たよーっ」
「昨日は大丈夫だった?」
わらわらと寄ってくるチビ達に「おい、朝の挨拶はおはようだろうが」と言いながらも、俺は子ども達の頭を撫でる。
「これ、果物屋のおじさんから昨日の詫びだとさ。皆で分けて食えよ」
俺の差し出した籠を受け取って、チビ達がきゃあきゃあ喜びの声をあげながら転がるようにして孤児院へと籠を運んでゆく。
すると孤児院の扉が開いて、見慣れた初老のシスターが顔を出した。
ああ、今日もくたびれた顔してんな。
遅くまで内職でもしてたのかな。
俺はそんなことを思いながら、ひらひらと手を振って踵を返した。
「ゼス、お茶でもいかがですか?」
優しくかけられた言葉に「悪ぃ、急いでんだ」と答えてそのまま立ち去る。
本当は急ぎの用事なんてない。
だけど、彼女は本当によく気のつく人だから、情事の後にはなるべく近づかないようにしていた。
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