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第14話 交通安全ボランティアと、着ぐるみの地味男

白鷺坂高校の廊下に、夏休み前の掲示が増え始めた。 地域清掃のお知らせ、駅前商店会の夏祭り準備、小学生向け交通安全教室。掲示板の端には、黄色い横断旗を持った丸いキャラクターのポスターまで貼られている。 二年三組の教室では、黒瀬陸斗がそのポスターを見て、朝から妙に食いついていた。 「花宮、見たか!」 「何を」 「まもるん!」 「誰」 「交通安全キャラ!」 黒瀬が廊下の掲示板を指さす。そこには、丸い顔で横断旗を持ったキャラクターが、にこにこ笑っていた。 「夏休み前の交通安全イベントだってよ。駅前で小学生集めてやるらしい」 「黒瀬、そういうの好きそう」 「着ぐるみ来るって書いてある!」 「そこ?」 「そこだろ!」 篠宮怜央がプリントをそろえながら、静かに言った。 「交通安全そのものに注目した方がいいと思う」 「篠宮、正しい」 「でも、着ぐるみがいると子どもは集まりやすい」 「篠宮、そこも正しい」 鷹宮蓮が廊下の掲示をちらっと見て、軽く笑った。 「花宮が横断旗を持ったら、駅前が少し華やかになりそうだね」 「鷹宮、交通安全まで褒めに使うの?」 「本当にそう思ったから」 依央は笑って受け流した。 その時、廊下の向こうから担任が歩いてきて、二年三組の入口で足を止めた。 「花宮、久我。雑部に手伝いが来ている」 依央は顔を上げた。 「手伝い?」 「駅前商店会の交通安全ボランティアだ。小学生向けのイベントで、誘導と着ぐるみ補助を頼みたいらしい」 黒瀬が即座に振り返った。 「久我、着ぐるみ着ろよ!」 久我燈真は、窓際の席でプリントを畳んでいた手を止めた。 「何で」 「似合いそうだから!」 「どこが」 「無言で子ども守りそう」 「それはちょっと分かる」 依央が思わず言うと、燈真がこちらを見た。 依央はすぐ外向きの笑顔を作る。 「地域貢献として、です」 燈真は何も言わず、少しだけ目を細めた。 (やば。今、久我くんが着ぐるみ着て横断旗持つ絵が浮かんだ。地味男、交通安全キャラ化。何それ。夏休み前から情報量が変) **** 放課後、雑部三人は駅前商店会の一角にいた。 学校から歩いてすぐの白鷺坂駅前。商店街の入口には、交通安全週間ののぼりが立っている。依央たちは学校指定のジャージに、商店会から渡された黄色いスタッフベストを重ねていた。 晴臣はベストの前をつまんで、にやにやしている。 「依央、黄色ベストでも姫感あるの腹立つな」 「晴臣は交通整理感があるね」 「それ褒めてる?」 「たぶん」 「たぶん多いな」 横では、商店会の人が大きな段ボール箱を開けていた。 中から出てきたのは、交通安全キャラの着ぐるみだった。 丸い顔。大きな目。斜めがけの横断旗。名前は、ポスターと同じ「まもるん」らしい。 晴臣が耐えきれずに吹き出した。 「まもるん」 依央も口元を押さえた。 「晴臣、笑うな。地域の大事なキャラだぞ」 「依央も笑ってる」 「俺は姫として微笑んでるだけ」 「都合のいい顔すんな」 「晴臣、言い方」 商店会の人が困ったように笑う。 「背丈的には、久我くんが入りやすいかな」 燈真は着ぐるみを見て、短く言った。 「俺?」 黒瀬がいなくてよかった、と依央は少し思った。いたら絶対、校庭まで響く声で笑っていた。 燈真は文句も言わず、着ぐるみの頭を持った。 「暑そう」 「暑いと思うよ」 商店会の人がうなずく。 燈真はそれでも、淡々と準備を始めた。 依央はその背中を見ながら、内心で騒いでいた。 (久我くん、着ぐるみに入るの? え、普通に入るの? 抵抗なし? 地味男、メンタル強。俺だったら最低三回は姫の尊厳と相談する) **** 数分後。 交通安全キャラ「まもるん」が、商店街の入口に立った。 黄色い横断旗を持ち、丸い手を上げる。 子どもたちが一斉に集まった。 「まもるんだ!」 「かわいい!」 「写真撮って!」 晴臣が依央の横で小さく言う。 「やばい。久我、子どもに囲まれてる」 「中身、久我くんだよね?」 「たぶん」 「動きが妙にうまい」 まもるんは、子どもに囲まれても慌てなかった。 小さい子が転びそうになると、丸い手でそっと支える。泣きそうな子には、無言で風船を渡す。写真を撮る時は、背の低い子が前に来るように立ち位置を少しずらす。 着ぐるみなのに、やたら気配りが細かい。 声は出さない。 けれど、子どもたちは安心したように笑っている。 (何それ。無口なのに人気。着ぐるみでまで低燃費。しかも子ども相手に自然。久我くん、どこでそんなスキル拾ったの。地味男、能力の置き場が謎) 依央はスタッフとして、横断旗を持って子どもたちを整列させた。 「はーい、こっちに並ぼうね。写真撮る子は順番にね」 「お兄ちゃんも写真入る?」 小さい男の子に言われ、依央は姫顔で笑った。 「俺は係だから、今日はまもるん主役かな」 その瞬間、まもるんが依央の方を見た。 着ぐるみの大きな目で。 もちろん表情は変わらない。 でも中身が燈真だと分かっているから、妙に見られた気がする。 まもるんが丸い手で、小さく手招きした。 キュン♡ 依央は一歩出かけて、止まった。 (待て。何で俺が呼ばれて動きかけてんの。子どもじゃない。俺、スタッフ。男子校の姫。交通安全キャラに手招きされて近づくな。中身が久我くんだからって、まもるんに落ちるな) 晴臣が横から見ていた。 「依央、今ちょっと子どもに混ざろうとした?」 「してない」 「完全に一歩出た」 「交通導線の確認」 「苦しい」 「晴臣もまもるんに手を振られてこい」 「俺は耐える」 「腹立つ」 その間にも、まもるんの人気は増していく。 商店街の人も、小学校の先生も、子どもたちも、みんな笑っている。燈真は着ぐるみの中で暑いはずなのに、動きが雑にならない。 横断歩道の前では、まもるんが一歩下がり、子どもたちに手を上げるタイミングを示した。 子どもたちは一斉に真似をする。 「右見て、左見て、もう一回右!」 晴臣が声を張る。 依央も合わせる。 「車が止まってから渡ろうね」 まもるんが大きくうなずく。 それだけで、子どもたちが笑った。 (強い。中身、しゃべってないのに成立してる。久我くん、子ども相手にこの安定感は何。しかも普通にかわ……いや、着ぐるみがかわいいだけ。中身は久我くん。いや中身が久我くんなのが問題) **** イベントの終わり頃、一人の女の子が風船を手に泣きそうになっていた。 どうやら、うまく列に入れなかったらしい。 依央が近づこうとした時、まもるんが先にしゃがんだ。 丸い手で、女の子の風船の紐をそっと結び直す。 そして、自分の横に小さな空間を作るように、ぽんぽんと隣を叩いた。 女の子は、涙をこぼす前に笑った。 そのまま、まもるんの隣で写真を撮る。 依央は、それを少し離れた場所から見ていた。 (ああいうの、できるんだ) 派手じゃない。 説明もしない。 でも、相手が安心できる場所を作る。 燈真はそういうことを、着ぐるみの中でもやっている。 依央は胸の奥が少しだけ変になるのを感じた。 (何だよ。かっこいいじゃん。着ぐるみなのに。まもるんなのに。ずるいだろ) **** 片づけの時間になり、子どもたちは名残惜しそうに手を振って帰っていった。 まもるんも、大きな手を振る。 依央はうっかり、自分も手を振り返しそうになった。 晴臣が隣で笑う。 「依央、最後まで危ない」 「何が」 「まもるんに落ちそう」 「落ちてない」 「中身、久我だもんな」 「その情報、口に出すな」 「効いてる」 「晴臣、交通安全の旗で叩くぞ」 「やめろ、地域に怒られる」 **** 商店会の控え場所で、燈真が着ぐるみの頭を外した。 髪が少し乱れ、額に汗がにじんでいる。 いつもの無気力な顔に戻ったはずなのに、依央はさっきのまもるんを思い出してしまう。 子どもに手を振る丸い手。 泣きそうな子の風船を結ぶ動き。 無言で安心させる立ち方。 依央はタオルを差し出した。 「お疲れさまです」 燈真は受け取る。 「助かった」 依央はそこで崩れなかった。 その言葉には、前ほど派手に反応しない。 けれど、燈真が汗を拭きながら、まだ子どもたちの帰った方を見ている。その目が少しだけ優しくて、依央はそっちに詰まった。 (助かった、は大丈夫。はいはい、出ました短いやつ、で流せる。でもその目は何。子ども見送る目、やめろ。優しい。まじでだめ。言葉よりそっちの方が刺さる) 燈真が依央を見る。 「何」 「いえ」 「顔」 「交通安全の余韻です」 「そう」 「そうです」 燈真は少しだけ笑った。 晴臣が黄色いベストを畳みながら言う。 「久我、子どもにめちゃくちゃ人気だったな」 「着ぐるみだから」 「いや、中身もだろ」 燈真は少し黙った。 「花宮も、子どもに話すのうまかった」 依央は一瞬止まった。 「俺ですか」 「うん」 「今日、主役はまもるんでしたけど」 「横にいたから、並びやすかったんだと思う」 燈真の声は、何でもないみたいに静かだった。 依央は少しだけ視線を落とした。 (そういうところ見てたの。俺が子ども並ばせてたとこ? まもるんの中から? 何それ。着ぐるみ越しに見られてたの? やば。恥ず。いや、でもちょっと嬉しい。だる) 晴臣が依央の顔を見て、にやっとした。 「依央、褒められてる」 「聞こえてる」 「照れてる?」 「暑いだけ」 「今日はそれ、久我の方が使える言い訳だろ」 「うるさい」 燈真はタオルを首にかけたまま、依央を見ていた。 「暑いなら、水」 「大丈夫です」 「顔、赤い」 「だから暑いだけです」 「そっか」 その「そっか」は信じていない声だった。 依央はベストの前を直しながら、どうにか姫顔を保った。 (今日の俺、交通安全キャラに落ちかけ、子どもに混ざりかけ、着ぐるみ越しに見られて照れてる。情報量が事故。いや事故じゃない。全部久我くんが悪い) **** 帰り道、白鷺坂駅前の商店街は夕方の光に包まれていた。 のぼりは片づけられ、子どもたちの声も遠くなっている。晴臣は途中のコンビニに寄ると言って、少し先に走っていった。 依央と燈真は、駅前の歩道を並んで歩く。 「久我くん」 「何」 「まもるん、似合ってました」 燈真は少しだけ眉を寄せた。 「それ、褒めてる?」 「たぶん」 「たぶん」 依央は笑った。 「子ども、楽しそうでした」 「ならよかった」 「久我くん、子どもに好かれるんですね」 「着ぐるみだから」 「それだけじゃないと思います」 言ってから、依央は少しだけ口を閉じた。 燈真がこちらを見る。 依央は前を向いたまま続けた。 「泣きそうな子、すぐ気づいてました」 「見えたから」 「風船の紐も」 「ほどけてた」 「写真の位置も」 「小さい子、見えなくなるから」 短い。 でも、その短さの中に、今日見たものが全部ある気がした。 依央は、少しだけ笑った。 「久我くん、地味なのに、そういうの派手ですね」 「どっち」 「中身が」 燈真は少しだけ目元をゆるめた。 「花宮も」 「俺も?」 「姫なのに、ちゃんと係だった」 依央は一瞬、言葉に詰まった。 姫なのに。 その言い方は、からかいみたいで、少しだけ違った。 ちゃんと見ていた、と言われた気がした。 (まじか。今日の久我くん、着ぐるみで子ども落として、帰りに俺まで落としに来るの? やば。交通安全どころじゃない。俺の心臓が危険) でも、依央は崩れきらなかった。 息を整えて、少しだけ笑う。 「当然です。男子校の姫なので」 「関係ある?」 「あります」 「そっか」 燈真がまた少し笑った。 その笑い方が、夕方の商店街の光に混ざって、妙にやわらかく見えた。 依央は前を向き、心の中で小さくつぶやいた。 (着ぐるみでも、地味男でも、久我くんは久我くんだった。むしろ、知らない久我くんが増えた。……攻略対象、情報更新が多すぎる。夏、まだ始まってないのにこれ。無理) 駅前の信号が青に変わる。 燈真が短く言った。 「渡るぞ」 「はい」 その声に、子どもたちの「右見て、左見て、もう一回右」が重なって、依央は少しだけ笑ってしまった。 燈真が不思議そうに見る。 「何」 「まもるん思い出しました」 「忘れろ」 「無理です」 「何で」 「似合ってたので」 燈真は、ほんの少しだけ顔をそらした。 依央はそれを見逃さなかった。 (照れた? 今、照れた? 久我くんが? まもるんで? 勝った? いや、勝敗が謎。でも今のはちょっと勝ったかもしれない) 夕方の横断歩道を、二人で渡る。 今日は手は繋がない。 けれど、依央は燈真の手元ではなく、その横顔を見ていた。 知らない一面を見つけるたびに、攻略どころか、自分の方がどんどん足を取られている気がする。 それでも、悪くないと思ってしまう。 それが、少しだけ悔しかった。

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