2 / 2

第2話 きっかけ

 その後洗濯物の取り込みなどをしてから拠点に入った頃、日は傾き始めていた。 「今日はこのままここに留まっとけ。夜間の移動は慣れねえだろ」 「そうですね。  ……虫の状況によっては、荷を開けるのは様子を見た方がいいでしょうから、  明日か明後日まで滞在させていただきます」  ノアの連れてきた馬は、騎士たちの馬と比べるとずっと小さくてかわいらしいが、  拠点にいた馬たちとすぐに馴染んだようで、鼻先を触れ合わせたりしていた。  その様子を見ながら、ノアは鞄から空間を繋いで飼葉を取り出していった。 「大したもんだな。かなり入ってるのか」 「……兵站部ですから。先輩方ほどはないですが、ここをしばらくもたせられる程度には」  そりゃ助かるな。そう言いながら、騎士はノアの連れてきた馬の背をなでた。 「しばらく辛抱しろよ。……ここのは荒くれが多いけど、お前はかわいがってもらえそうだな」  馬に向かって言うその言葉が、騎士の雰囲気からは意外にすぎて、ノアは飼葉を出す手を一瞬止めた。  やっぱり騎士は、馬のことが好きなんだな。  ノアも、騎乗で戦う騎士に憧れて入団した口なので、気持ちはわかる。  ただ、体力も能力も騎士になるには遠く及ばず、収納魔法がかろうじて使えたことで兵站の仕事ができている。  せめて、使える奴だと思ってもらわないといけない。  飼葉を積み上げて、馬たちの様子を見て回った。  水場も近く、手入れも行き届いている。  よく人慣れした馬たちはノアの手に大人しく甘えた。 「う……わっ」  次々と様子を見ていると、馬の一頭に背中から押されて、つんのめる。  バランスを崩したところを、騎士に腕を取られて引き寄せられた。 「お前がかわいがられてどうすんだよ……。」 「すみません、……ありがとうございます」  少し煙たいような、甘く香る草の匂いがして、騎士の体に少し顔を寄せる。 「あ、これ、タイムですか」 「ああ、匂うだろ。悪ぃ」  少し体を遠ざけた騎士に、笑ってみせる。 「いえ、俺この匂い好きです。ちょっと甘くて重い香り、虫もやっつけてくれるの、頼もしすぎません?」 「……そうか?」  こっちをみて、騎士は少し変な顔をした。 「今、天幕全部この匂いだらけだぞ。ずっとかいでるとさすがにいやんなるぞ」  そう言って顔を傾け、行く先を示して騎士が歩き出した。 「あー……。俺の天幕だけは、匂いがマシだから」  そこで言葉を止めた騎士の手が、頭の後ろを軽くかいてから続けた。   「お前今日は俺んとこで寝てけ」 「……なんでですか?」 「少し離れててな……。まあ、見りゃわかる」  そう言って、それきり騎士は黙ってしまった。     「おい、喜べ。飯だ」  足を進めた先、見えてきた天幕の集まりに向けて騎士が声を張り上げた。  心待ちの報せだったのか、天幕の周りにいた騎士たちが声を上げ手を打ち合わせた。 「少しですが、酒も運んでますよ」  全員に伝えていいかどうかわからず、やや小声で前の騎士に伝えると、騎士は足を止めてノアに振り返った。 「それは……、天の恵みだな」  にやっと笑んだ顔でそう言うのに、ノアも微笑んで返す。 「補給遅れの詫びみたいなものです。隊長からもぎ取ってきました!」 「おお……、お前案外やるな」  良かったみたいだ。  ほっとして鞄の肩紐に手をやり、担ぎなおした。 「ローグさん!補給どこですか、俺運びますよ」  天幕から駆けてきた一人が、人懐っこい笑みを浮かべて騎士にそう声をかけた。  騎士――ローグは、ちらりとノアを見てから言った。 「運ぶ必要はない。それより、虫刺されの薬をもらっとけ。  ――あるだろ?」  最後はノアの顔をみて問われたので、頷いて返す。 「ありますよ。それから……、すぐに食べられるものも、一旦まとめて出しますね」  ノアの言葉に小さくガッツポーズを取る騎士たちをみて、補給漏れに気づけて良かった。心底そう思った。  拠点は確かに燻された草の匂いが重く立ち込め、すこし鼻が麻痺してきた。  天幕の集まるエリアから少し離れたところで火が起こされており、その場所を挟んで一つ、少し離れて天幕が張られていた。  なるほど、あれがローグの天幕なのかもしれない。  そう考えながら塗り薬を出し、果物を出し、それから虫除け用に撒く薬も取り出す。    タイムの煙は効果的だが、においのことを考えると長くは使えない。  早めに薬を撒いた方がよさそうだった。 「これ、虫刺されの薬です。みなさんどの辺りまで食われましたか?」  先ほどローグに声をかけた騎士に尋ねると、騎士はニコニコした顔のままひょいと顔を覗き込み、それから一歩ノアに近寄った。 「俺は背中と、腕の上の方かな。足腰は無事だと思うけど、見てくれると嬉しいかも」  腰の後ろあたりを示しながらそう言う騎士から、一歩距離を取る。 「痒みがないなら大丈夫ですよ。塗りづらいところは他の方と助け合ってくださいね」  台に薬を置いて、ノアはさっさとそこから離れることにした。  求められていることはわかるけれど、それはノアの仕事ではない。 「ええ、君が塗ってよ。名前なんての?……あだっ」 「何やってんだお前。誰彼構わず女の代わりにすんな」  振り向いてみると、頭を押さえた騎士と、その後ろでため息をつくローグがいた。  少し離れたところでは、別の騎士が肩をすくめてもいた。 「誰彼構わずじゃないですよ、後輩の恋路をそんな邪険にしなくても」 「なお悪い。いいと思うなら仕事させろ。お前は薬塗ったら虫除けの薬撒いてこい」  ローグの言葉に驚いて声を上げようとすると、ローグはノアの顔を見てさらに言葉を続けた。 「警戒拠点の端まで、補給の人間を行かせるわけにいかない。あんたは俺と倉庫の確認だ」 「……わかりました」  すぐに必要なものを取り出した後は、ローグに連れられて倉庫へと向かった。  倉庫とは言っても、荷物置き場となっている天幕のことで、さほど広くもない。 「あの、ローグさん……で、いいですか」 「あぁ?――ああ、ローグだ。名乗ってなかったか。悪ぃ」 「いえ。ローグさん、先程はありがとうございました。それから虫除けの薬のことも」  ローグの後を追いかけながらそう言うと、前を行く足がぴたりと止まった。  こちらを振り返ったローグの視線が、ノアの頭のてっぺんから爪先までをなぞって、それからノアの顔に戻ってくる。 「……役割分担だろ。俺らは危険からあんたらを守る。あんたらは飢えやらから俺らを守る。」  そう言ってまたきびすを返し歩き始めたローグに、ノアは嬉しくなって言葉を返した。 「……はい!」 「まあでも……、ここは荒いのが多い。あんたみたいなのは、放っとかれねえ。……ここだ」  そう言って天幕の一つに手をかけたローグは、ノアを振り返って、鞄を示した。 「まだそれは開けない方がいい。まずは様子だけ見ろ」  頷いて見せると、ローグの手が天幕の垂れ布を持ち上げた。 「……っ、ぅっふ」  天幕の中から湧き出してきた煙に思わずむせると、くつくつと笑い声が聞こえてきた。  見れば、体を大きく曲げて煙から逃げたローグが肩を震わせていた。 「――!ひどいですローグさん!」 「ははっ、悪い。この匂いが好きだっつうから。ふっ……、はは」 「もう十分においましたよ!すみませんでした!  そんな甘っちょろい話じゃなかったですね!」  そうはいえ、言い募るノアにローグが見せた笑顔はなんだか嫌味がなくて、  ノアはすっかり毒気が抜かれてしまったのだった。  

ともだちにシェアしよう!