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異母弟との邂逅

 父が後妻を連れてきたのは、滔々と雨が降る夜だった。  湿り気のある鼻をつく香り。息苦しさを覚える中で、視線を落とせば、中性的な顔立ちと目が合う。 「お前の弟だ、仲良くしてやってくれ」  義母の陰に隠れ、顔色を窺う様は、仔犬であり純粋無垢。たとえるなら、薔薇というより百合のような奴だ。 「……にいさま?」  3歳年下であれば、10歳か。それにしては幼い。細身で頼りなく、厳格な父の面影がまったくなかった。  凝視してくる碧い双眸に、陰が宿る。わけもわからず、墓の前に連れてこられたのか。 (最低だな……)  よりによって、母の葬儀に参列させるとは正気を疑う。3つ違いならば、父はずっとあずかり知らぬところで、愛人を囲っていたも同然だからだ。  レヴィーレット侯爵家当主は道化師も同じ。後継者として母から厳しい教育を施されたが、すべてが虚構のようで、足もとから感覚が鈍くなっていく。  くらくらと視界が歪む。膨れ上がる燈火。はじめて胃の中をかき乱される思いがした。 「……にいさま」  か細く、小鳥のような音色。親の罪であれど、彼は関係ない。むしろ、被害者だ。  小さき手を取って、目線を合わせる。滑らかな髪に覆われた頭部を、そっと撫でていく。  さらりと指の隙間を抜ける金糸。柔らかさは、彼の眼差しに似ている。 「私の名はリオン。きみは?」 「ぼくの、名前? マティアス」  半分とはいえ、血の繋がった兄弟だ。よき関係が築けるだろう。  リオンは疑いもなく、マティアスを可愛がった。仔犬と変わらず、後ろをついて回り、無邪気な笑みをこぼす異母弟(マティアス)。  18歳になっても、マティアスはリオンを兄として慕い続けた。少し伸びた金糸が、光を帯びて目映い。 「にいさま、狩りに行きませんか?」  青々しくも、つんと喉を枯らす香り。太陽のあたたかな空気に混じり、マティアスからシトラスの匂いが漂う。  愛馬の毛並みを整えていたが、リオンは手を止めた。いつもと異なる香水に、眉をひそめる。 「今日は予定もありませんよね?」 「そうだな、たまにはお前と出かけるのも悪くない」  ふと、マティアスが碧眼を細める。緩やかな曲線を描く唇に、艶が放たれた。  昔のあどけなさはもうない。高い身長と、低い声音は、リオンより男性の色香を帯びている。  成人して間もないのに、もはや立派な男だ。  嫉妬か、あるいは劣等感か。胸のうちが焼け焦げていく思いがする。  しかし、異母弟(マティアス)の成長は喜ぶべきだろう。リオンはひとつ息を吐き、馬に跨がった。 「銃を貸してくれ、勝負をしよう」  マティアスに手を差し出せば、自動型の散弾銃を渡される。ずっしりとした重みを指先に馴染ませ、艷やかな銃身を撫でた。  グリップから銃口まで、一切の歪みがない。細身ながら、王者の風格がある。 「また新しいものを買ったのか?」 「にいさまに似合うと思って。重さはどうです?」 「悪くない」  返事を聴くなり、マティアスの表情が綻ぶ。  狩猟用の銃は値が張るものの、投資するだけの価値はある。とくに大した重量もなく、照準がブレないものは貴重だ。 「今日は何処へ行きます?」 「森にしよう、大型は危険だからな」  馬の腹を蹴って、目的地まで駆け抜けた。痛快に地を鳴らし、マティアスを誘導する。  時折、枝の隙間から漏れる陽の光が、紫水晶(アメジスト)の瞳を突き刺す。叩きつける冷風よりも、太陽のあたたかさに眩暈を覚えた。 「にいさま。もしもぼくが勝てたら、欲しいものがあります」 「珍しいな、いいだろう」  手綱を握り、木々をいなす。頭上では、リオンが狙う獲物が徘徊している。  ひやりとした中で、蹄の音がやけに響く。土を踏み、静寂を破り、風を浴びた。  領地内の森に潜む獲物といえば、鳥やウサギ、鹿くらいだ。  マティアスの趣味は狩りである。なにかを望まれたのははじめてだが、負けるつもりは毛頭ない。  懐中時計を開き一瞥すると、胸元に素早く仕舞った。リオンはマティアスへ向かって、指で合図を示す。 「昼前か……マティアス、1時間だ」  マティアスの表情はなだらかだ。だが、碧い眼差しはナイフと変わらず鋭い。  猛禽類を連想させる双眸に、リオンは銃身を握り締めていた。冷ややかな硬さが、神経を脈打たせる。 (本気、ということだな)  張り詰めた空気に耐えかね、瞳を眇めた。呑まれるより前に、馬を蹴って奥へと進む。  散弾銃は扱いやすく便利だが、小型の獲物しか狙えない。  対してマティアスは、ライフル銃を持っていた。中型を仕留め、短時間で勝敗をつけるつもりなのだろう。 「3羽ほど仕留めたいが、時間がないな……」  小型は1点、中型は2点。リオンとマティアスが考えた、独自のルールだ。  危険であるため、大型は狙わず撤退が鉄則である。とはいえ、1時間の制限を考えるならば、リオンのほうが不利も等しい。  普段は使わないライフル銃を持ち出してまで、マティアスはなにを望んでいるのか。  睫毛をふせると、深森の(かなで)が鮮明に流れ込んでくる。葉の鳴らす、さすらう音。青々しくも幽香で、ひどく喉が渇く。  やけに静かだ。まるで、森が死んでいるかのように。 (鳥の鳴き声ひとつ、聴こえないとは……)  天を仰ぎ、ゆっくりと瞼を開ける。  ふと、静寂を割る鳴動。広い空間を引き裂く銃声が、リオンの意識を尖らせた。 「まさか、もう仕留めたのか」  まだ20分と経っていないが、マティアスの腕は確かだ。外したとは考えにくい。  ライフル銃の射程距離は、300メートル程度である。近くで狩っているならば、この場で獲物は探せないだろう。  馬を操り、リオンは一度引き返す。大半の小物が逃げた今、なるべくマティアスから離れることに専念する。  獲物たちは音に敏感だから、慎重さを要した。グリップを握る手のひらに、冷や汗が滲む。  静かでありながら、何者かに追われているような気がしてならない。  背中へと注がれる微かな視線。首を絞められ息の根を止めようかという、居心地の悪さを孕んだ。  引き金に指をかけ、沈黙に耳を澄ませる。息苦しさを呑み込んだとき、暗闇から這い出る、獰猛な金色の双眸がゆらりと揺れた。 「っ、まさか……」  地鳴りにも似た息づかい。嗅覚をつく、濃厚な鉄の臭気。漆黒の滑らかな毛に覆われた獣は、一歩また一歩とリオンに近づく。 (なぜ、こんな場所に黒豹が……っ)  全身を針で刺されているかのよう。相手は血の匂いをまとい、リオンを獲物として見ている。  肺が締めつけられ、唇から呼吸が漏れていく。もはや口の中はカラカラで、水を欲してやまなかった。  酸欠のせいか、うまく頭が回らない。リオンの手元には散弾銃しかなく、一瞬の隙が命取りだ。 (どうすれば……)  マティアスは無事なのか。気懸かりだけがリオンを突き動かす。  引き金にそえた指先に力を込めた。軽い破裂音を合図に、愛馬の手綱を引く。  自身の吐息と、心臓の音が耳障りだった。銃声がした方角に向けて、とにかく馬を走らせる。  そう簡単に殺られる男ではないが、敵が黒豹となれば話は別だろう。撃った理由が追い払うためであったなら、怪我を負っていてもおかしくはない。 (くっ……! やはり、無理かっ)  気づいたときには、地に叩きつけられていた。  相手は大型の肉食獣であり、狩りのプロである。呆気なく愛馬を狙われ、バランスを崩したリオンは、硬い土壌へと投げ飛ばされた。  全身を強打した衝撃が、骨まで響く。しかし、痛みよりも、マティアスのことで思考を埋め尽くされていた。 「う、っ……マティアス……」  くらくらと視界が歪み、肌が熱を持つ。敵から視線を外して、銃を掴んだ。身体が動けば問題はない。ゆっくりと立ち上がるが、ふらりと傾く。  己の呼吸なのか、獣の息づかいなのか。脳へと響く不快な音に、舌打ちをしそうになる。 「──にいさま」  風のようだった。雑音が消え、テノールの音域が空気を震わせる。  膝をつき、覗き込むマティアスが、リオンの頬を拭った。泥で擦れた肌を、じっくりと碧眼に射抜かれる。 「痛い、ですよね」 「マティ、アス……いいから、はやく、逃げろ」  時間ならば稼げる。グリップに指を絡ませ、銃口を向けようとした。  だが、発砲するよりもはやく、マティアスが散弾銃を奪う。呆気に取られ、口からかすれた声が抜けていく。 「マ、マティ──」  逞しく見えるマティアスの背中。牙を剥く敵に照準を合わせる艶姿。  リオンは、土の感触だけを握り締めた。少しばかり湿った冷たさと、ふわりと舞うシトラスが、リオンの身体を軋ませていく。  単に異母兄として、面倒をみていただけだ。それ以上でも以下でもない。命を危険に曝すなど、馬鹿げている。 「にいさまは、ぼくが守りますから」  正面から黒い塊が襲いかかる。立ちふさがる身体を押し退けようとしたが、ライフルの衝撃にリオンは呻く。  まだ相手は死んでいない。マティアスは2発目を撃とうとしている。黒い影はふらつきながらも、マティアスを捉えた。 「っ、よせ、マティアス……!」  鼓膜を打ち砕く破裂音。そして、獣の轟く声が場を支配する。マティアスが放った銃弾は、確かに獲物の動きを止めた。はずだった。  なのに、崩れ落ちたのはマティアスの媚態(からだ)で。コートは引き裂かれ、腕から背中まで液体が滴り流れていく。  ゆっくりと、なだらかに。マティアスの微笑みと、目の前の惨事が焼きついて離れない。  夢であれば、どれだけ良かっただろう。 (私は、最低だ……っ)  あたたかな体温が滲みていく。震える腕で、マティアスを包む。抉られた傷口から次々と液体があふれ、インクを垂らしたように辺りを染めた。  真っ赤ではないか。歪なほどに、嘘を重ねたように。  リオンは、マティアスの手のひらにおさまったままのライフル銃へと、視線を這わせる。銃身に指先を滑らせ、息絶える寸前の黒豹に撃ち込んだ。  光なき紫水晶(アメジスト)の双眸。マティアスを抱き締めながら、リオンは荒い吐息をこぼした。

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