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レヴィーレットの真実

 無駄のない調度品が並ぶ書斎に、乾いた音が響く。口内に鉄臭さが広がり、頬が熱を持った。  拳を振りあげても、父アラスターの怒号は鳴りやまない。マティアスには一切見せることのない、恨みがましい顔つきで、リオンに迫る。 「お前がついていながら、なんてザマだっ!」 「……申し訳、ありません」  乱れた黒髪もそのままに、リオンは姿勢を崩さなかった。  肌の痛みが、頭の中を透明にさせていく。漏れそうなため息を、唇を引き結びぐっと耐えた。  会話が成立しない相手に、言葉を投げても無駄である。  だが、ふたりきりという場は、久々かもしれない。間近で見る父の顔は皺が増え、貫禄もなくなり、ずいぶん老けたようだ。  口を開かないリオンに痺れを切らしたのか、アラスターはさらに青筋を立てる。 「この大事な時期に……何故、狩りに行ったんだ!?」 「マティアスは無事です。数日ほどで、目を覚ますでしょう。予定についても問題は」 「さすが、あの女に似て忌々しい奴め……」  互いに冷静ではない。父アラスターは怨み妬みをぶつけて発散し、リオンは責められることで自我を保った。  お前のせいだと、異母兄でありながら守れなかったのだと。理不尽な怒りが、逆に心地よく思える。  アラスターの双眸は燃え尽くした灰のように、憎悪を濃く宿していた。  よほど許せないのだろう。亡き母を見ていたときと同じ眼差しで、リオンを映す。 「すべて私の責任です。母は関係ないでしょう」 「いや、よく似ている……その目つきと顔立ち、吐き気がするほどに」  父の表情が歪む。今のアラスターは、リオンを通して亡き母を見ている。  怒りの矛先が母へ向かうのは耐えがたく、爪がくい込むまで拳を握り締めた。 「それほど憎いですか。貴方に似なかった私が」  たまらず、リオンは冷笑をこぼした。  髪や瞳といった外見は母の色を継ぎ、成長しても顔つきすら似なかった。  しかし、母の面影を残す表情のせいで、わざわざ葬儀に愛人を連れてくる暴挙に至ったのなら、笑える話だろう。 「ああ、私の死を望み、裏切った女の色をまといおって!」 「マティアスとて同じでしょう。貴方と、なにひとつ似ていない」  もはや、舌戦だ。体内でめぐる燻ぶりが、彷徨うままに口からついて出る。  一度燈された憤りは、簡単に鎮まらない。燃え尽くし、炭になるまで神経を昂らせていくのだろう。  おそらく、父も一緒だった。リオンの胸ぐらを掴み、壁に追い詰める姿に余裕などない。 「黙れッ! 私の子でないのはお前のほうだ!」  頬の痛みが、今さら胸を穿つ。ときが止まったかのように、息も忘れてただただ反芻していく。  動悸が耳障りだ。父だった男の声も、遺恨が入り交じる視線も、鬱陶しくてたまらない。 「はは……そうか、だから……」  後継者として認めなかったのか。結果を出せと先延ばしにした。  18歳を迎えてから経営を担うようになり、奔放していた3年間が、砂のごとく流れ去る。視界がザラザラと黒い幕に覆われ、指の先端から感覚を失う。  嘘か本当かなど、どうでもいい。否定された事実が、リオンの腹の底に膿を孕ませたから。 「……もう、私に用などないでしょう。すぐに出ていきます」 「お前はマティアスが20歳になるまでの穴埋めだ。そして、お前から後継を譲ると言え」  カッと目の前が、真っ赤に染められていく。こんな男の実子じゃないと知り、清々するほどだ。  アラスターの腕を掴むと、リオンは床をめがけて身体を押さえつける。見下ろした男の体躯は、とても小さく映った。 「ふざけるな……穴埋めは貴様の役目だろう、父親ならな」 「このッ、親不孝者が!」 「申し訳ありません。他人に触れられるのは不快なので、つい手が出ました」  陰の滲む紫水晶(アメジスト)の瞳。冷ややかな燈火を湛え、緩やかに細めて、アラスターへ微笑みかける。  リオンは身体を起こしつつ、服の汚れをはたいた。表情をぐちゃぐちゃにしかめる男に向かい、薄い唇を開く。 「では、頑張ってください──お父さま」  廊下の空気は澄んでいた。扉一枚隔てた奥で、未だに吠えているようだが、リオンは気にせず足を進める。  窓の外は別世界のように、あたたかな光に包まれていた。  なんのために生まれ、なんのために生きてきたのか。問いへの答えを、手にする術はない。 (眩しいな……)  目を眇めてしまう目映さは、マティアスによく似ている。  ──すべてを手にした男だった。はじめから、なにひとつ変わらなかったんだろう。  ◆  狩りの日から3日と経つが、マティアスの瞼は閉じられたままだ。  ベッドの傍で、リオンは深い息をつく。医者の話では、傷痕は残るだろうが命に関わるほどじゃないらしい。  薬の効き目がいいせいか、よく眠っている。椅子の背もたれに身を預け、バインダーから書類を取り出した。 (せめて、問題は片づけておかないとな……)  アラスターはリオンへ事業を引き継いでから、後妻と出歩く日々を送っている。  経営の状況を立て直せるのはリオンだけだ。後継者として、マティアスは表舞台の中心人物となる。失態は許されない。  とはいえ、急に事業を担えとは酷な話だろう。マティアスには私立校の卒業を終えてすぐ、婚約者と会食の席が設けられている。 「自由がないとは、可哀想なやつだ……」  ちらりとベッドへ視線を這わせる。規則正しい吐息と、仄かに色づいた頬。ずいぶんと血色がいい。  目許に流れる金糸を、そっと指先で掬った。柔らかさは昔のままだ。幼かったあの日に、想いを馳せる。  どうしてだか、「哀れな子ども」だと手を差し伸べた出会い。やがて百合は枯れて、棘を持つ赤黒い薔薇へと変貌し、リオンを超えていった男。  左胸の奥が鷲掴みされたように、鈍く悲鳴を上げていく。偽者(リオン)本物(マティアス)に勝てない。自然の道理だ。 (皮肉なものだな)  汗ばむひたいが、しっとりと指に吸いつく。リオンはタオルを手に取り、丁寧に拭った。  耳朶の裏からうなじ、頤へと滑らせると、冷えたタオルが熱を奪う。寝顔が幼く見えるのは、己が散りゆく愚かな存在だったからなのか。  兄として目にかけてきたつもりだが、マティアスにはどう映っていたのだろう。  マティアスの体温が手のひらへ感化したとき、長い睫毛が微かに震えた。  静かに開かれた瞼から、美しい海の色彩が現れる。 「ッ、マティアス、目が覚め──」 「にいさま、その頬……どうしたんですか」  リオンは息を詰めた。顔を背けたが、ときすでに遅し。距離を取る前に、マティアスがリオンの手首を捕らえる。  怪我を負っていないほうの腕とはいえ、振り解けないほどに力が強い。 「マティアス、離してくれ。傷口が開く」  努めて柔らかく宥めるが、マティアスの眼光はより鋭さを増す。人の傷より、自分の身体を気にかけてほしいものだ。  仕方なくリオンは、マティアスの頭に手をそえた。金糸に指を絡ませて何度も梳いていくが、眉間の皺は消えない。 「……また、父さんですか」 「お前……知って、いたのか」  ベッドの脇に腰をおろし、睫毛をふせる。背中ごしに、衣擦れの音が耳に届いた。  マティアスが身体を起こしたようだが、腕は解放されない。節くれだった指の感触を、手首に刻まれていく。 「そうだな、お前はもう子どもじゃない」  ため息とともに、つっかかりが漏れる。  誰ともなく、自分自身に言い聞かせるための言葉。喉奥に刺さっていた棘が、マティアスの薔薇であったと気づいて、妙に爽快な気分だ。 「卒業したら、にいさまを手伝うのが夢だったんです」 「ならば、仕事を覚えないとな」 「大丈夫ですよ。経営についても、領地についても勉強したので」  振り返るとマティアスの晴れやかな笑みが、心の隙間を埋めていく。このぬくもりは、心地よくも痛みが伴う。 (……本当に、なんの心配も必要なかったな)  成績は優秀で、友人も多い。おそらく、アラスターの件も勘づいていながら黙っていたのだろう。  婚約者となる相手も共同事業者の娘で、伯爵家の令嬢である。マティアスに相応しい、よき伴侶になってくれるはずだ。  リオンはひとつ息を吐くと、真正面から碧眼を射抜く。そっと開いた唇から、冷たく圧のこもる声をこぼした。 「マティアス、お前がレヴィーレット家の後継者だ」 「な、なんの、話」 「引き継ぎが終わったら、私は家を出ようと思っている」

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