42 / 42

42 イェレミアスとキーニの関係

「……あー、そろそろいいかな?」と言う皇帝イェレミアスに先導され、宮殿の中に入る。  イェレミアスは立派な紙にサラサラと何かを書くと、指輪として身につけている玉璽をポンと押した。ぺらりと紙の表面を見せる。 「キーニ、これでいいか?」 「ああ」  キーニが受け取った紙を隣から覗き込み読んでみた。『結婚承諾書』と書いてある。キーニとディーウィットの名前の後に、この二人を皇帝の名の下において夫婦と認める、とあった。  こんなに簡単に済ませていいのか? というのがディーウィットの率直な感想だったが、天下の皇帝とその義弟がいいというならいいのだろう。  それにしても、とんでもない人の伴侶になってしまったものだ。まあもう集落を出る時には伴侶になっていたらしいので、今更だが。改めて考えると脳みそが爆発しそうだったので、今はこれ以上深く考えるのはやめることにした。 「これで名実ともにディトは俺の伴侶だ」  笑顔のキーニに言われ、ディーウィットはただ頷くに留めた。後で必ず隠していたことを全て話してもらおう、と心の中で誓いながら。  イェレミアスが「さて」と二人を見る。 「では至宝を臣下として迎えるにあたり、条件を詰めていこうじゃないか」  眼光の鋭いキーニが、守るようにディーウィットを抱き込む。 「ディトは俺の『ムウェ・ラデ』だぞ。お前の元に置き続けることは絶対に許さない」 「だがしかし、至宝はアーべラインの現状をどうにかしたいのだろう?」  飄々としたイェレミアスの言葉に、ディーウィットは身を乗り出し大きく頷いた。 「は、はい! 是非ともお力をお貸しいただきたく……!」 「ほらなキーニ」 「く……っ」  ニッと歯を見せるイェレミアスの笑い方は、肌の色も何もかも違うというのに、何故かキーニの笑顔を思い起こさせた。  ◇  長い話し合いが終わり、ディーウィットたちは迎賓館の部屋に戻っていた。  キーニが不貞腐れた表情でぼやく。 「年の半分もこちらにいるのか……くそ、ジュ・アルズの常識を知らん奴らがディトに近付くことを考えると、腹立たしくて仕方ないぞ。言っておくが、俺は片時も離れないからな」  キーニの懸念はそこらしい。思わずくすりと笑ってしまった。 「キーニ。僕はあの陰謀だらけのアーべラインで生き延びてきた人間ですよ? 多少勝手は違うでしょうが、そう簡単に陥れられたりはしませんから大丈夫ですよ」  むしろ、あの賢帝と名高い男の宮廷だ。アーべラインよりも遥かに公正で統制されているだろう。  だが、何故かキーニが頭は抱えてしまった。 「そうじゃないディト、お前の魅力にやられる奴が現れるのが嫌なんだ……!」 「まさか。心配しすぎですよキーニ」  ディーウィットが軽く返すと、今度は深い溜息を吐かれてしまう。何がどうあってもキーニはディーウィットのことが心配で仕方ないらしい。  だがそれも、ジュ・アルズでも南部で生まれ育ったキーニにしてみれば当然のことなのかもしれなかった。  以前屋台の主人にも言われたように、南部の男は非常に愛情深く、一度伴侶と決めた相手に対しては、常に離れず細やかな世話を焼くことで愛の深さを伝えるのだという。キーニが行っていた給餌行為や排泄の補助も全て、愛情表現の一環だったらしい。  イェレミアスに「外から来た人間には驚きの連続だっただろうな」とそのことを説明された時には、開いた口が暫くの間閉じてくれなかった。 「――それにしても、まさか皇帝と過ごしていた時期があるなんて思いもしませんでした」 「イェレミアスに暗殺の危機があったことは表に出していないからな」  そう。何故キーニとイェレミアスが気安い仲なのかについては、義理の兄弟という以外にも理由があったのだ。  二人の説明によると、彼がまだ十代の頃、先帝が突然病に伏した。イェレミアスは最も皇帝の座に近い、継承権の筆頭保持者だった。だがその為、皇帝の座を狙う親族に命を狙われ続けていた。彼らは権力を振り翳す部類の人間だったらしいが、あちこちと癒着しており、ただ排除すればいいというものではなかったらしい。  だが悠長なことを言っている間に、度重なる襲撃によりイェレミアスが怪我を負ってしまう。イェレミアス派の臣下らは信頼できる伝手を辿り、帝国の勢力に左右されない独自の規律により秩序が守られているジュ・アルズに、療養も兼ねて熱りが冷めるまでイェレミアスの身を隠すことにした。  とはいえ、帝国に近い北部では、余所者が入り込んでも間者かどうか判別できない懸念がある。そこで選ばれた地が、ジュ・アルズでも一番帝国の干渉を受けていない南部の部族だった。  イェレミアスはそこで南部を統べる首長、つまりキーニの父の庇護の下、かつてないほどの自由を満喫する。反対勢力が一掃されるまではここから出ることは叶わないが、それでもいいと思えるほど、南部での生活は常に神経を尖らせていたイェレミアスの身も心も癒してくれた。  穏やかで且つ刺激的な生活を送る中、イェレミアスは首長の子らとも交流し、やがてリャナンと恋仲になる。だがそこに臣下らが現れ、政敵は粛清されたので戻ってほしいと言われてしまった。  イェレミアスは最初、断ろうとした。このままここで骨を埋め、リャナンだけを愛する一生を送ろうと。するとリャナンは、イェレミアスを文字通り殴りつけた。情けないことを言うなら別れると言い放ち、責任から目を逸らすなと叱り飛ばした。  イェレミアスは目を覚ました。覚悟を決めると、リャナンに共に生きてほしいと口説き落とし、帝都へ戻り皇帝の座につく。 「イェレミアスはうちの部族の愛し方を間近で見てきたからな。他の人間にうつつを抜かすなどあり得ないと思っている男なんだ」 「そういうことだったんですね」  道理でキーニが皇配の話を嘘だと一蹴できる筈だと、ディーウィットは納得するしかなかった。 「俺の帝国語は、イェレミアスに教わった。元々首長の家系は帝国と関わることが多い為、読み書きは必須だった。最高の教師がいて助かったぞ」 「は、はは……」  それはそうだろう。帝国一の教育を受けた人に教わる機会など、そうある話ではない。  興味津々で話を聞いていると、キーニがフ、と気の抜けた笑みを浮かべた。

ともだちにシェアしよう!