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第4話
その日、ルーカスはマイトレ村にある自分の家で父ノウの帰りを待っていた。ルーカスは十五歳だった。
この頃から戦争が激化し、十八歳以上の男子は徴兵、十三歳以上の子どもは軍需工場で働かされていた。ルーカスもマイトレ村から数十km離れたイレという軍港のある街の工廠に住み込みで勤めに出ていたが、しばらく熱を出して寝込み、家に戻されていた。
働いている工廠の煙を吸い込んで、なにか悪い病気にかかったのだろうというのが医師の見立てだった。
父が帰ってきたのは日が暮れてからだった。父は学校の教師をしていて、帰りが遅くなることがたびたびあった。そういうときは必ず「いやー参った参った、クラスの子がね……」と苦笑しながら帰ってくるのだが、この日は違った。
父は黙ったまま玄関に立っていた。右手に徴兵を告げる封筒を持っている。出迎えに出たルーカスはその封筒を凝視して「行くの?」と尋ねた。
父は冷静に頷いた。ルーカスは急に心細くなった。
「父さんに兵隊なんて絶対に無理だよ」
ルーカスはそう言ったが、父はゆっくりと首を振った。
「大丈夫。なんとかなるよ。父さんは意外とすごいんだぞ」
しかし、その顔は蒼白である。
父はそう言ったきり、黙り込んだ。
ルーカスも黙った。彼は隣の家の男が兵隊になったとき、近所の子どもみんなでクッキーを焼いてお祝いしたことを思い出した。砂糖とバターが手に入らなくて、ほとんど小麦粉と卵の味しかしないようなクッキーだった。
今度は、そのクッキーを父のために焼く……。
ふいに父が顔を上げた。
「ルーカス」
「うん」
「カルヴァに旅行しようか」
カルヴァとはカントット国の首都である。ルーカスの住む村からはとても遠く、ルーカスはそこに行ったことがない。ルーカスは首を傾げた。
「カルヴァ?」
「うん」
なぜ行き先がカルヴァなのか、ルーカスには見当がつかなかった。食料難のため、カルヴァからルーカスたちが住む田舎のマイトレ村に疎開してくる子どもたちはいたが、反対にカルヴァへ行くというのは聞いたことがなかった。
「なんで?」
ルーカスは尋ねたが、父は「内緒」と言うだけだった。父があまりに真剣な顔をしているので、ルーカスはそれ以上尋ねられなかった。
父がこういう顔をしているときは、絶対に譲らないのだ。
「いいよ」と答えたルーカスに、父はくしゃりといつものように笑って「大丈夫。心配いらない」と言った。
その日の深夜、父はどこかへ電話をかけていた。
ルーカスはトイレに行こうと思って部屋を出たところで、リビングから漏れる父の話し声を聞いてしまった。
「ああ……そうだ。……そう……ひとりで育ててきたんだ。君の子でもあるんだぞ。……自分の子どもに愛情はないのか? 責めているわけじゃない、ただ、ひとめ顔を見るだけでも……助けてくれたっていいだろう? 入営は来月だ。なぁ、ルーカスは……とてもいい子だから、きっとすぐに君になつく……まだ十五歳だ……」
父はかなり長い間電話をしていた。しかし、ほとんど内容は頭に入ってこなかった。父が電話口に向かって言った「君の子でもある」という言葉が脳内にこだましていた。
ルーカスは電話の相手が自分の母親だと思った。彼は今までずっと、母親は死んだと聞かされていた。ほんとうはいますぐドアを開けてリビングに飛び込んで「どういうこと」と問いただしたかった。
しかし、いまルーカスの頭の中には「戦争」「徴兵」「君の子」――内緒。……たくさんのことが渦になって火花を散らしていた。ルーカスは廊下の壁に背中を預けて、ずるずるとその場に座り込んだ。
「僕、いい子だから、大丈夫」
自分に言い聞かせる。「いい子」であることを父も認めてくれている。その事実は寄る辺のないルーカスの心をつなぎとめた。
「子どものときに我慢できない者は大人になって恩恵を得るに値しない」
ルーカスはつぶやいた。学校で言い聞かせられた言葉である。教室の中で聞いたときはいまいちよくわからなかったこの言葉が、実感を伴ってルーカスの心の中にすとんと落ちた。
――僕はいい子だから。
ルーカスは思った。父はきっとそのうち全部説明してくれる。いまは「そのとき」ではないから、父は説明しないのだ。なら、いま飛び出していって父を困らせてはいけない。
「そのとき」は結局こなかった。軍関係者以外の鉄道の利用が制限され、カルヴァまで行けなくなってしまったのだ。そしてそのまま、父は出征のときを迎えた。
父は別れのときルーカスに手帳を渡した。その手帳には「困った先の連絡先」が書いてあった。父は「なにかあったら、この人たちに連絡しなさい」と言った。
手帳には「恩師」「友人」「教え子」という項目の次に「親族」と書いてあった。
それを見てルーカスは尋ねた。
「これ、誰?」
父には親族がおらず、祖父母も叔父伯母もいとこもルーカスは会ったことがなかった。父は真面目な顔で答えた。
「ルーカスの……もうひとりの親だよ」
ルーカスは努めて冷静に尋ねた。
「母さん?」
父は首をふる。
「……母親じゃない。でも、きっと助けてくれる」
「……わかった」
ルーカスは「いい子」として頷いた。なにも心配いらない、と安心させるために笑ってみせる。いまから戦地へ赴く父に自分のことを心配してほしくなかった。父は安堵の表情を浮かべて、それから一度ルーカスをしっかりと抱きしめた。
「愛しているよ。かわいい子」
「うん。僕も」
これがルーカスと父の永久の別れとなった。
父が死んだという連絡を受けても、ルーカスは「もうひとりの親」に電話をかけることはなかった。
彼は朝早く起きると畑仕事を済ませて、昼頃に渡し船に乗って、それから山をひとつ越え、キルスの街の驛前で靴を磨いた。
夜には露店のスープを飲んで、家に帰る。
ルーカスは父の帰りを待って、ひとりで暮らした。見ず知らずの子どもを助けてくれるような余裕のある大人がいまこの国にいないことを、ルーカスはよく理解していた。
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