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第5話

 ルーカスは無意識に左手の甲に爪を立てていたらしい。左隣に座るトニーがルーカスの左手に手を添えて言った。 「それは癖ですか?」  窓の外を見ていたルーカスは、ゆっくりと視線を手元に落とす。縛られた左手に爪が食い込み赤黒くなっていた。喉がからからだった。唾を飲み込む音が車内に響いた。 「すみません」  謝罪の言葉が出た。何に対してなのかはルーカスにもわからない。ルーカスはまた窓の外に顔を向けた。 「外が、気になりますか」  男たちは気の毒なものを見るような目でルーカスを見る。車は夜通し走り続けて、キルスから街道に出た。そして空が明るくなるころにはイレの街にやって来ていた。軍港や工厰のあるイレは戦争中に帝国から集中的な空襲を受けた。それはルーカスの住んでいる村から燃え上がる火柱が見えたほどであった。  いま、窓の外を流れていく景色の中に形を留めている建物は少ない。戦争が終わって1年経つが、まだ焼け焦げたまま放置されているものもある。その景色は空襲の凄まじさを物語っていた。ここはかつてルーカスが工廠労働に動員された街でもある。夜通し起きていたというのに、眠気はこなかった。ルーカスはいつまでも窓の外の景色を見ていた。  しばし沈黙したあと、ルーカスは口を開いた。 「おじさんたちはカントット人なのに、どうしてダン帝国軍に?」  左手側の男は「はは」と笑い、それから言った。 「私たちもダン人とカントット人の間の子なのです」 「え?」  ルーカスは改めて左手側の男を見た。黒い目に黒い髪。太い首と凛々しい眉。どこにでもいる、ふつうの、いや、立派な体躯のカントット人に見えた。ルーカスの言いたいことを汲んで、男が言い添える。 「ダン帝国人とカントット人の間の子の多くは、カントット人の外見をしているそうですよ」 「そう……なんだ」 「はい」  彼らはルーカスから見て左手側がトニー、右手側がグレンヴィルである。グレンヴィルも髪の毛がくるくると渦巻いていること以外は普通のカントット人の外見をしている。  ルーカスのおしゃべりに付き合ってくれるのはトニーで、グレンヴィルはずっと沈黙していた。  カントット人の外見でダン帝国人の名前を名乗る2人。ルーカスは恐ろしくなって、また手の甲を右手でぎゅっとつまんだ。  ふと、車の速度がゆるんだ。両側の男たちは窓の外に目をやる。つられてルーカスも視線を送ると、みすぼらしい襤褸――ルーカスがいま着ているものと大差ない――を着た子どもたちが集まり、車の行く手を遮っていた。  彼らは両手を伸ばし、口々に言う。 「ちょうだい!」 「お菓子ちょうだい」 「ダン帝国人様」  彼らに向かってクラクションを鳴らしながら、運転手が問う。 「いかがなさいます?」  答えたのは右手側、グレンヴィルだ。 「ガキどもに餌やりの時間だ」  そう言って、彼は車から降りると、トランクを開けて中から袋を取り出した。その袋の中にはダン帝国の菓子が詰められている。グレンヴィルは袋に片手を入れ、無造作にいくつかの菓子を掴むと車の後方に向かって投げた。 「ほら、餌だぞ。拾え拾え」  わ、と歓声とともに子どもたちが菓子に群がる。  グレンヴィルが車に戻ると同時に車は走り出す。  後方に子どもたちの姿が見えなくなったとき、グレンヴィルは口を開いた。 「よかったな」 「……?」  ルーカスは右隣を仰ぎ見る。グレンヴィルはルーカスに笑いかけた。満足そうな、優越感を含んだ笑顔だ。 「ダン帝国人の血が入っていて、よかったな。餌は貰うより、やる方がいいだろ?」  彼はそう言った。ルーカスは返事ができなかった。  窓の外には依然として瓦礫の街が広がっている。枝と布で作った急ごしらえの屋根の下には何人もの人が横になっている。ルーカスはその光景に目を細めた。  ――この2人の言う通りなのだろうか。  ルーカスは自分のほんとうの父を名乗るダン帝国人αが裕福で、それなりの地位にいるであろうことを薄々感じ取っている。立派な車に、運転手、護衛の2人、子どもたちにばら撒けるだけの菓子。ルーカスはまた手の甲に爪を立てた。  祈りに似た気持ちで尋ねる。 「どんな……人……。僕の……α親」  トニーは間髪入れずに答える。 「素晴らしい方です。カントット国保護政府の総司令官を務められていらっしゃいます」  グレンヴィルも言う。 「お前みたいなガキが総司令官の子どもだなんて、何かの間違いだろう」  ルーカスは「そうしれいかん」というものがどんなものかわからなかった。しかし、立派な人であることを確信した。そして言う。 「カントット人の……子どもなんていらないと思うけど……」 「心配いりません。あの方はあなた様をこの過酷な環境から救ってくださります」

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