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第10話
その後、さすがに移動の疲れが出た俺はテントで仮眠をとり、目を覚ましたら太陽は空高く南中していた。この島は俺の住んでいる谷やヴァンパイアの里よりずっと暖かい気候で、ちょっとうたた寝するはずが、深く眠ってしまったようだった。
「寝すぎた……」
目をこすりながら俺がテントから這い出ると、人型のダーダリオンが洞の外の岩に腰かけていた。
「あ、ダーダリ……」
「静かに」
声をかけようとすると、彼に制された。彼の目線は彼の足元に向けられている。そこには小鳥が数羽いた。彼らはぴいぴいと鳴きながら地面をついばんでいる。
そして、ダーダリオンの手元を見ると麻袋の巾着が握られていた。
――なるほど。
俺は静かにその場にしゃがみこんだ。
今日は快晴で、まぶしいくらいに太陽が輝いている。
木々は目に痛いほどの緑を太陽に伸ばす。
小鳥たちは平和な島の真ん中で心行くまで食事を楽しんでいる。
小鳥たちが満腹になって飛び去るのを見送ったあと、ようやくダーダリオンは俺の方に向き直った。
「待たせた」
俺は手を振る。
「全然。勝手に寝たのは俺だし。……餌付けしているの?」
「……ああ」
ダーダリオンは巾着の中を見せてくれた。穀物らしいものが中には入っていた。
「その餌も買ってきたの?」
「ああ」
その瞳からは感情が読み取れない。しかし、この場合、推測することはできるだろう。俺は思いきって聞いてみた。
「小鳥、好き?」
「――かわいい……と、思う」
まじか。予想以上の返答に俺は次の言葉が出なかった。
俺の中のワイバーンのイメージといえば、ワイバーンの父そのものである。
精霊の父以外には心を許さず、18年育てた俺にも情が湧かない生き物。そして何より、絶対的な力をもった空の覇者だ。
そんな覇者が、背中を丸めて小鳥に餌やりをして、あまつさえ小鳥に対して「かわいい」という気持ちをもっているということは、俺にとって衝撃的であった。
「……えっと、もしかしてさ、ダーダリオンって、ワイバーンの中では、変わっている方、なのかな?」
俺が問うと、彼は首を振った。
「わからない。ワイバーンの同種と暮らしたことがない」
「そ、そっかぁ……」
俺も言われてみれば、ワイバーンを彼と父の2体しか知らない。
ワイバーンという種族のスタンダートを語るにはあまりにサンプル数が少ない。
俺は改めて彼の姿を見る。赤褐色の長髪、健康的な肌、ガラスのような爬虫類の瞳、そして布を適当に巻いたような服装。
「その姿って、どうやってなるの? 俺、父さんがそんな姿になるところ、見たことないけど」
「……人間に……」
そう言って、彼は手の甲を見せた。そこには紋が彫られていた。
「獅子の紋……?」
「……知らない。……これを人間に彫ってもらってから、人に化けられるようになった……」
「へえ……」
知らなかった。こちらの世界の人間にはそんなことができるのか。それとも、選ばれたごく少数の人間にだけそういうことができるのだろうか。
――お見合いのたびに、己の無知を思い知らされるな。
俺の苦笑をどうとらえたのか、ダーダリオンは話題を変えた。
「腹は減っていないか」
「あ、うん、そろそろ減ってきたかも」
「そうか」
ダーダリオンは立ち上がった。そこでようやく、彼の隣に釣り竿がたてかけてあることに気が付いた。
彼はその釣り竿をひょいと持ちあげてこう言った。
「つりざおの使い方を教えてくれ」
「え、あ、ああ……いいよ。……ダーダリオンも釣るの?」
「興味がある」
「あれ? ……ワイバーンって、魚食べないよね?」
「食べない。ワイバーンは食事を必要としない」
「……じゃあ」
「それでも、教えてくれ」
ダーダリオンの声は少し弾んでいる。まるで、いまからはじまる冒険を楽しみにしている子どもみたいだ。
「……たぶんさ、ダーダリオンって……変わってると思う」
ワイバーンの父を思い出す。彼は精霊の父に乞われれば、鹿や牛を狩ることもあった気がするが、わざわざこんな非効率な方法はとらなかったはずだ。
俺のこの言葉に、ダーダリオンは首をかしげる。
「ワイバーンの寿命は長い。爪と牙以外を使ってみる時期があってもいいだろう」
「そっか……そうだな」
俺としても、見合い相手としてしばらく一緒に過ごす相手が温厚であるなら、それに越したことはないだろう。
「よっし、釣るぞ!」
俺が言うと、ダーダリオンはほんの少し、笑った気がした。
*
釣りというのは針と糸から始まったそうだ。それが、もっと遠く、また深くに針を投げるために釣り竿が現れた。つまり最初の釣り竿は棒に針と糸をつけただけの簡素なものだった。
竿には西洋では慣らした木を使い、日本をはじめとする東洋では竹を使った。この最初の釣り竿は狩猟の道具として十分な効果を発揮し、20世紀にカーボンが手軽に入手できるようになるまで大幅な改良は行われなかった。
何が言いたいかというと、俺たちが手にしている木と針と糸、それから最低限の浮袋的な目印がついた釣り竿でも「魚を釣る」には十分である、ということだ。
――つまり、釣れないのは俺たちの腕が悪いのだ。
「くぅ~……」
俺たちは島の西側にあった岩場の端にある大きな岩によじ登って、そこから海に釣り糸を垂らしていた。
張り切っていたた俺たちであったが、釣果はゼロだった。
一本の釣り竿を交互に持ち、洞にいたミミズっぽい虫を餌にその時を待ったが、惜しい当たりさえなかったのだ。
天の高いところに上っていた太陽はいまはもう傾き、茜色の輝きを放ちつつある。
俺の腹はぐううと鳴る。釣果ゼロは食事抜きを意味する。
俺はがっくりと肩をおとした。
何度目かの根がかりした針を回収したあと、俺はついに釣りをあきらめた。
「釣りは難しいのだな」
そう言ってはいるが、ダーダリオンはそれほどショックを受けた様子ではない。彼は釣り竿を使うだけで十分に楽しめたようだった。
俺は言う。
「いや、せめてもう少し早い時間に釣っていれば……」
「時間……?」
「魚は夜明けごろに餌を食べて、日中は岩の陰に隠れてるんだよ」
「そうか……なら、次の夜明けを待とう……」
「うう……」
長寿の生き物は気が長いらしい。
俺はもう腹が減ってたまらない。
俺が腹を抱えて唸っていると、ダーダリオンがこちらを覗き込んで来た。
「どうした」
「腹が、減った……」
彼は目を見開く。
「そうなのか? お前はいま食べたいのか」
「うん。よく考えたらヴァンパイアの里では夜に食事を食べて昼間は食べないから……もう24時間以上なにも食べてない……」
腹は切なくきゅるきゅると鳴いた。
「一日に何度も食べるのか?」
「一日三回は食べたい」
こちらは育ち盛りの18歳の肉体だ。座っているだけ、寝ているだけでも腹が減る。
空腹というものを知らないワイバーンはこちらをじっと見つめている。
そして彼は「わかった」と言うと、岩から飛び降りて、海に入った。
「あ」と思ったときには水中にワイバーンの巨大な影が現れ、あっという間に天へ飛翔した。
「待っていろ」という声が天から降った。
俺はこのとき、彼が何をしようとしているのかわかっていなかった。しかし、それはほんの数秒後にわかる。
彼は天から海中に落ちると、そこからこちらへ向かった。――鼓膜が破れるのではないかと思うほどの咆哮と共に。
「うえええええ!?」
俺は悲鳴を上げる。座っていた岩場がびりびりと振動する。磯の岩はいくつか割れた。島から鳥が一斉に飛び立つ。生存本能で、俺は耳をふさいで岩場に伏せた。
それから、跳ね上げられた海水が降り、また大きな波が押し寄せてきた。俺は「ひいいい」と情けない声をあげながら岩場を這い、陸地を目指す。しかし間に合わず、海水にのまれる。
「わ、わ、わ!」
もがく俺は、巨大な生き物によって海水から救いあげられた。見ると、赤褐色のワイバーンが俺を咥えていた。
彼は波が引いた岩場に俺を下すと、「足りるか?」と尋ねた。
「え? え?」
言われた意味が分からず、困惑する。
俺は全身びしょ濡れで、慌てて逃げ出したせいで釣り竿もどこかに置いてきてしまっていた。
ワイバーンは俺を見下ろして、それからまわりを見回した。
つられて俺もそちらへ目をやると、岩場には無数の魚がぴちぴちと跳ねていた。
「お、追い込み漁……」
追い込み過ぎだ。
遠くには大きな、鮫のような姿まで見える。
愕然として言葉がでない俺を見て、ワイバーンはまた羽を広げた。
「足りないか……」
「……足りる!」
ここ半日に渡る釣りが馬鹿らしくなるほどの爆釣だ。
俺はへたりとその場に倒れ込み、そのまま仰向けになった。
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