10 / 11

第9話

 地面が迫って来るなか、自然の力ではない風によって体が浮き「助かったぁ」と思った瞬間にまた落ちた。  しかし予想したような衝撃はない。  目をあけると、俺はワイバーンの背中に乗っていた。ただし、見知った父の背中ではない。  ――俺の見合い相手……。  父の鱗が鈍色だとすると、このワイバーンは赤褐色の鱗をもっていた。  必死でその胴体にしがみつき、落ちないようにする。  ワイバーンはゆっくりと旋回して島の砂浜に降り立った。  恐る恐る降りる。  砂浜の砂はやわらかくて細かい粒であった。  降り立った瞬間に足を取られ、俺は砂浜に仰向けになって倒れこんだ。  朝の砂浜だ。夜型生活を送っていた俺にはまぶしすぎる。  俺は「うぐぅ」と唸って目をつむった。 「だいじょうぶか?」  そんな俺を覗き込む一体のワイバーン。  父よりも一回り小柄なそれは、感情の見えない爬虫類の瞳で俺を見下ろしている。 「死ぬ……かと……思った……。あ、ありがとうございます」 「まさか、落ちてくるとは……」  慣れてきた目をこすって空を見ると、遠くに小さく飛び去って行くワイバーンの父の姿が見えた。  俺はその後ろ姿を怨めしく睨みつけたあと、諦めて立ち上がった。  細かな砂がぱらぱらと落ちる。 「あの、俺、ええーっと、ハルです」  俺が幼子のような挨拶をすると、彼は頷いた。 「ああ、よく来た」 「はい……」  沈黙が落ちる。 「えーっと」「あのー」といくつかの意味のない音を発声したあと、俺は意を決し、尋ねた。 「名前、訊いても……?」 「名前……」 「あ! もし名前を聞くのが失礼だったとしたらごめんなさい!」 「いや……名乗るのは100年ぶりだ」 「え、あ、そ、そうなんですね」  ワイバーンはたっぷり5秒ほど沈黙したあとで名乗った。 「ダーダリオンだ」 「ダーダリオン」 「そう……ああ、久しぶりに自分の名前を聞いた」  俺はずっとワイバーンの目には感情が映らないものと思っていたが、ダーダリオンは目を細めて――その瞳に感傷を映しているように見えた。 「誰も、いないんですよね、この島」  俺が言うと、ダーダリオンは静かに答えた。彼の言葉はどこかぎこちない。まるで久しぶりに話すロボットのようだった。 「ワイバーンは、すべての生物に畏怖される。静寂の中を生きる生き物だ」  ダーダリオンがゆっくりと体を動かす。父よりひとまわり小さいとはいえ、立派なワイバーンである。動くと迫力がある。  彼の巨大な影が太陽をさえぎる。その大きさに、俺は息を呑んだ。  彼は目だけをこちらに向けて尋ねた。 「お前も、怖いか」  俺は首を振る。これは半分嘘だ。いまも怖くて足が竦んでいる。 「すみません」  俺が言うと、ダーダリオンは俺から目を離した。 「慣れている。お前|た《・》|ち《・》を歓迎しよう」 「ん?」  ――お前、たち?  まさかファがどさくさに紛れて一緒に落ちてしまったのだろうか。まわりを見回すがしかし、あのぷるぷるとした生物は見つけられなかった。  困惑する俺をよそに、ダーダリオンは森の中へ進む。 「こっちだ……人間の生活……よくわからないが……用意をしてある」  そう言って案内されたのは、海からそう遠くないところであった。  そこには天然の洞があり、洞の中にはテントが用意されていた。 「テントだ」俺はそれに駆け寄り、中を覗き込む。  日本で使っていたような防寒性のあるものではないが、壁と天井があり、敷物もある。数泊の宿泊には十分耐えられそうな作りである。 「すまないな。そんなものしか用意できなくて」  ダーダリオンは申し訳なさそうに言う。ワイバーンがこれほど言葉に感情を乗せられることを俺ははじめて知った。  俺は努めて笑って答えた。 「十分ですよ」  洞の中は涼しく、奥には湧き水もあるようだった。ここは無人の島なのだ。雨露をしのげるだけでも感謝だろう。  俺はテントの中に寝転び、顔だけテントから出して尋ねた。 「あの、ここって何か食べ物が採れたりします?」 「食べ物……?」 「魚、とか」 「ああ、魚。採れる」  ダーダリオンは目をちらりと脇に向ける。そこにはいろいろな道具がまとめて乱雑に置かれていた。  俺はよっこらせ、と立ち上がると、その中から使えそうなものを見つけ出した。 「釣り竿じゃん!」  喜ぶ俺とは対照的に、ダーダリオンは首をかしげる。 「つりざお。なるほど、そう呼ぶのか……まえ、人間が使っているのを見たことがある」  ここまで話して、なんだか不思議な気持ちになった。 「俺って、お見合いに来たんですよね」 「……不満か」 「いえ、なんか、俺、ふつうのお見合いより、こういう方がずっとずっと好きです。サバイバルな感じで」  俺は道具の中から短い剣を見つけ出すとそれを鞘から抜いて眺めた。  ――異世界プチサバイバル。いいじゃん。楽しそうだ。  ダーダリオンが尋ねた。 「お前は……ワイバーンを父にしているのだろう。その間、どう生活していたんだ」 「どうって……スライムがいて、そのスライムがほとんどやってくれていましたよ。あと精霊の父も料理はできます」  その父に教えられて、俺も多少なら料理ができる。もちろん、ここでいうところの料理とは野生生物を捕まえて捌くところからはじまる。  とはいえ、俺たちが住んでいる谷には海はないので、海魚を捌くのははじめてだ。  ダーダリオンは言った。 「そうか……。スライムも用意しておけばよかったな……確か、|売《・》|っ《・》|て《・》|い《・》|た《・》」 「いやいや、大丈夫ですよ。……売っていた?」  聞き捨てならない言葉だ。 「どこで?」  俺が問うと、ダーダリオンはこともなげに答える。 「海を東に行けば、人間の街がある」 「……行くの? ダーダリオンが?」  俺は巨大な生き物を見上げる。  洞に入りきらないほどの巨体が、こちらを見下ろしている。  二つの目からは感情が読めない。 「――ああ」 「ど、どうやって? え、なんで? もしかして、俺のために? え、大丈夫だった?」  俺は矢継ぎ早に質問を重ねる。この場合の「大丈夫」とは人間の方に対してである。人間たちはこんな巨大な生き物の襲来をどう切り抜けたのだろうか。  ダーダリオンはひとつずつ答える。じれったくて、俺はさらに質問をしてしまう。 「飛べば、すぐだ」 「よく行くの?」 「そうだな」 「人間はびっくりしない?」 「人間の考えはわからない」 「えっと、買い物に行くの?」 「……お前が来ることが決まってからは、買い物もした」 「その前は何をしに行っていたの?」 「人間を見に行っていた」 「なんで?」  最後の質問に、ダーダリオンは答えなかった。彼の目は静かにこちらを見下ろしている。  俺は「もしかして」と前置きしたあと、彼が人間を見に行く理由を当てた。 「寂しい?」  ダーダリオンの目の奥が揺れた。彼は息を吐く。その吐息は俺の髪を揺らした。 「――ああ。寂しい」 「でも、どうやって」 「……いつもは、こうしている」  そういってダーダリオンは天を見上げる。そして一拍。  次の瞬間、俺の目の前には赤褐色の長髪をたなびかせた美丈夫が立っていた。  彼は一歩こちらに歩み寄る。  その体格はふつうの、長身の人間と同じくらいである。 「え……」 「この姿なら、ある程度人間に溶け込める」 「すごい……」 「本当なら、最初からこの姿でお前と会いたかったのだが……まさか落ちてくるとは……」  ダーダリオンはこちらにまっすぐな目を向けた。  彼の顔の造形は人間そのものだが、目だけは、あの爬虫類を彷彿とさせるガラス玉のままだ。  俺はその違和感に背筋がぞわりとした。  ダーダリオンは続けた。 「お前に見合いを頼んだ理由はふたつだ。ひとつは、もっと人間らしくふる舞えるように、練習に付き合ってくれる人間が必要だった。そしてもうひとつは、そうだな……家族というのを知りたい」

ともだちにシェアしよう!