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第23話

 オルム様が結婚をするらしい、という噂が城の中に広がったのは夏真っ盛りのことだった。  俺はその話をノワイエ司書から聞いて頓狂な声をあげた。 「え!? 結婚!?」  ノワイエは言い添える。 「まだあくまでそういう話がある、という段階だけどね」  場所はいつもの書庫だった。シャテニエ領の夏は暑い。俺たちは本に汗を落とさないように頻繁に額を拭いながら作業をしていた。  俺は動揺しながらノワイエに尋ねた。 「お、おお相手はどんな人なんですか?」  ノワイエは口をつぐんで首をかしげる。 「……」 「えと?」 「どんな、と言われても」  ノワイエは苦笑した。 「候補はいっぱいいらっしゃるからね」 「なるほどー」  さすがオルム様。よりどりみどり、というわけだ。  むふー、と自慢気に鼻から息を吐きだした俺とは対照的に、エラーブルは顔色を変えて頭を掻きむしった。 「まずい、まずいぞ。手練手管をもった者が来たら。貴様なぞ歯牙にもかけられんぞ。こうなったら短期決戦だ。もう今夜にでも領主の上に乗れ。そして腰を振れ。入れてしまえばこちらのものだ」  俺はエラーブルを睨みつける。  ――オルム様が穢れるだろ!  しかしエラーブルは黙らない。 「さんざん妄想の中で領主とあれやらこれらやしたのだろう? もう訓練は終えたはずだ。いつ実践にうつすのだ。いまだろう。さあ、今夜は気合を入れて……」  俺はエラーブルを無視してノワイエに尋ねる。 「ノワイエ司書~! オルム様の結婚は政略結婚ってことになるんですよね?」 「そうだねえ……。まあ、貴族というのはそういうものだから」 「ですよね」 「今をときめくシャテニエ領の若き領主様だ。縁続きになりたい家はたくさんあると思うよ」 「わかります。でも、ふつう貴族ってもっと若い時に婚約者を決めませんか?」 「そうだけれど、あの方は昔からちょっと変わっていらっしゃったから。それに、次男ということもあって先代は好きに生きていいとおっしゃっていたんだよ」 「なるほどー。いまはそういうわけにはいきませんもんね」 「そうだね。一応いま跡継ぎにはエーテル様をご指名されているけど、何があるかわからない時代だから男児は何人いても困らないよ」 「うんうん」  俺はじろりとエラーブルを見上げた。  ――聞いたか? オルム様にはお立場ってものがあるんだよ。  エラーブルは嘆いた。 「貴様は自分の立場を忘れているではないか……! 森を救うという約束はどうした……!」  俺は肩をすくめた。オルム様が森を破壊するわけがないじゃないか。  ――それにしても、結婚、かあ。  俺は目をつむる。まぶたの裏には麗しいオルム様のご尊顔をありありと思い浮かべることができた。  ――思わないことがないと言えば嘘になるけどさ。  あこがれの人の幸せを願うことも、また幸せなのだ。  俺たちはおしゃべりを終えてまた各自作業に戻った。  俺は本の執筆にかつてないほど集中できた。書けば書くほど、雑念は消え去っていった。俺は一心不乱にペンを動かした。いまオルム様のためにはそれしかできないのだ。  俺が何枚か書き終えたとき、書庫に小さなノックの音が落ちた。  ノワイエと俺が同時に顔をあげる。すると、返事を待たずにドアが開いた。  やって来たのはこの城のもう一人の主だ。 「エートル様」  ノワイエが立ち上がる。それを見て、俺も慌てて立ち上がって彼を出迎える。エートルは後ろに侍女を二人連れていた。  彼は俺を見上げて言った。 「お前がセルジュか?」 「はい」  俺が答えると、彼は眉根を寄せた。 「……ふつうの農民だ」 「はい? え、ええ……俺、ふつうの農民ですから」  なにせ庭師になってからまだ日が浅い。俺はふつうの農民だ。  彼は首をかしげる。 「オルム叔父上の恋人だ、と聞いた」 「はいい!?」  俺は目を見開く。まさか噂がエートルのところまで届いていたとは。  後ろで真実を知っているノワイエは妙な顔で耐えていて、エラーブルは「二人で何度も褥を共にしてまさか添い寝だけとは、幼子でさえ思うまい……」と顔覆ってさめざめと泣いている。  エートルは言う。 「叔父上と愛し合っていると聞いた」 「ええっと、あのですね、俺はですね。それは誤解でしてね」 「恋人ではない?」 「はい! 違います!」  俺が勢いよくうなずくと、エートルは渋い顔になった。 「叔父上をたぶらかしているだけ、ということか」 「たぶっ!? そんな、えっと、ちがくて、その……!」  わたわたと弁明しようとするのだが、俺の言葉を遮ってエートルは言った。 「叔父上が通われていると聞いて、どんな素晴らしい人物かと思えば……」 「素晴らしくなくてすみません!」 「まったくだ」とエラーブルが同意する。  ――お前は黙ってろよ!  俺は森の精を睨みつける。 「叔父上は、私に次代の領主になれとおっしゃられる。しかし、私はそうは思わない。シャテニエ領は叔父上のもとで発展した。この豊かな領地を引き継ぐのは、私よりも叔父上のお子がふさわしいと思っている」 「……へえ」  そういえば、以前ソールもそんな話をしていた気がする。エートルと、まだ見ぬオルム様の子。どちらが後継者にふさわしいか、という話だ。  ――エートル様は、オルム様の子どもに領主を継がせたいのか……。  ソールは後継者争いが起きるのではないかと危惧していたが、その心配はないようだ。  シャテニエ領の未来は明るい。俺はうんうん、とうなずいた。 「お前と叔父上が愛し合っているというなら、認めてやってもいいと思っていたが、そうでないのなら、だめだ」 「へ?」 「いますぐオルム叔父上と別れてくれ」  少年はまっすぐで穢れのない目を俺に向けた。

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