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第38話
その夜、ティユルが俺にオルム様からの伝言をもってきた。伝言は短く「私の寝室に来るように」とのことだった。
最初は、インクのことでなにか火急の用事ができたのかと思い、ジャケットを羽織って行こうとしたのだが、ティユルに「この馬鹿!」ととめられた。
後ろにいたエラーブルも「ちっとも貴様は成長しないのだな……」とあきれ顔だ。
それで、俺はようやくオルム様の誘いの意味を理解した。
俺は真っ赤になりながら、薄い夜着のうえに一枚羽織っただけの恰好で廊下に出た。
最近ものすごく忙しくて、ゆっくりオルム様と会える時間がまったくなかった。久しぶりに会える。それだけでも緊張するのだが、今日に関してはもう少しだけ緊張する要素が多い。
――オルム様の寝室に入れるんだあああ……!
俺はものすごく、とんでもなく緊張していた。気を付けていないと、口から心臓が飛び出てくるかもしれない。
思い返してみれば、オルム様の部屋に入るのははじめてである。
――どんな部屋かな。思いのほか散らかっていたり、あやしい蒐集物があったりするのかな。
俺はわくわくしながら寝室のドアをノックした。
「セルジュです」
「入れ」
返事があって、胸の鼓動がはやくなる。
「は、入りますよ!」
「ああ」
「ほんとうに入りますよ!」
「はやく入ってきなさい」
俺はドアを開ける。途端に鼻腔に慣れた匂いが広がって、俺は胸を押さえた。
「ぐはっ……」
――部屋中がオルム様の匂いでいっぱいだああ……。
「生きててよかった……」
俺は片膝をついて祈りを捧げ始めたが、もう俺の奇行を見慣れているオルム様は淡々としている。
「わかったから早く座れ」
「あ、はい」
オルム様の寝室は白と紺色を基調とした部屋だった。大きな窓にはたっぷりのドレープのカーテンがかけられている。その濃紺の布は見たこともないくらい光沢を持っている。並んだ家具はどれも磨き上げられ、足はどれも猫の足のような形に削り出されている。壁にはシャテニエ領の地図と、ディヌプの森を描いたらしい絵が飾られていた。
俺は部屋中を舐めまわすように見た。
――きれいな部屋だなあ……。
間違いなく、俺が見てきた中で一番きれいで、豪華な部屋だ。
しかし、本に書いてあるような、いかにも貴族様の部屋という印象ではなかった。
――こういうのを、「清貧」っていうんだよな。
ちょっと違うのかもしれないが。それでも、この部屋はオルム様という人物の印象そのままの部屋だ。きれいで、質素で、清潔。
俺はますますオルム様のことが好きになった。
俺はゆっくりと棚に飾られている物品を見る。船の模型に、異国の地図に、おそらく異国から持ち帰ったのであろう見慣れない道具……。
「オルム様、これなんですか」
「方位磁石だ。船の上で方角を示してくれる。エンの国の発明品だ」
「へえ。じゃあ、これは……」
俺がその隣を指さすが、オルム様は首を振った。
「セルジュ。その話は後日にしないか」
「あ……」
振り返ると、真面目な顔をしたオルム様がこちらをじっと見つめていた。彼はベッドのふちに腰かけている。
「すみません」
「ここに座ってくれ」
俺も彼の隣に座る。オルム様のベッドはふかふかで、座ると尻がぐっと沈み込んだ。
――オルム様のベッドだあああ!
このまま倒れ込んで顔をうずめて吸いたい気持ちをぐっと我慢する。
平常心。平常心。なんといっても初めてのお部屋訪問なんだからな。
オルム様は俺の肩を抱く。
「ひょえ……」
「こうして話すのは久しぶりだな」
「そそそ、そうですね」
久しぶりに触れるオルム様の体温。触れられたところがじんじんする。
「仕事を頑張ってくれているらしいな」
「はい! ばりばり!」
「ちゃんと食事は摂っているか」
「はい! もりもり!」
「しっかり寝ているか」
「はい! ぐっすり!」
「今日はメープルの杖は持っていないか」
「はい! ……へ?」
俺は弾かれたようにオルム様を見る。彼はいたずらに成功した子どもの顔をしている。
「ああっ! あれはほんとうにすみませんでした!」
俺は勢いよく頭を下げる。
「たんこぶ、治りましたか?」
そういえば、あれから彼のその後を聞いていない。聞く余裕がなかった。
俺がおずおずと尋ねると、彼は噴き出した。
「治った。それで? 今日は持っているのか? 私は今日二発目を食らったりしないか?」
「持っていませんよ! もうとっくにエラーブルの祠に返しました!」
「そうか。それは安心だ」
彼はくつくつと笑う。俺はなんだか恥ずかしくてうつむいた。
そんな俺の頭をぽん、と撫でて、彼は言う。
「ではもうひとつ」
「?」
「いま何かシャテニエ領のために妙案は思い付きそうか?」
少しだけ首をかしげる。たっぷり、二拍。
俺は彼の言いたいことを理解した。
「……もう! オルム様!」
恥ずかしくて俺が怒ると、オルム様は声をあげて笑った。
「回りくどかったな。はっきり訊こう。今宵は最後までさせてくれるか?」
俺は赤面しながら、はっきりと答えた。
「――もちろん」
間髪を入れず、オルム様の唇が俺のそれにかさなった。
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