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第1話 浮気と断捨離
何もなくなった部屋を見回した。ものが無くなると広く感じる。床磨きも終わり、握りこんでいた雑巾をゴミ袋に入れた。
4年住んだ家だった。
2DKの1室。僕の部屋だった場所は今なにも置かれていない。
そして、手元に残したいと思う私物が詰まっている段ボールは2つ。
この4年で僕に残ったものはこの段ボール箱2つに収まるものだけだったみたいだ。
家を出る前に念入りに掃除した場所をチェックしていく。
僕の存在が跡形もなく消えるように。
僕の食器類はすべて処分した。洗面と風呂に置いてあるものも僕のものはすべて処分した。
僕はゆっくり4年間を処分した。
段ボール2つを玄関に置いてあったキャリーカートに括り付けて部屋を出た。
誰もいない部屋に向かってお辞儀をする。これでお別れだ。
あらかじめ登録していた男性オメガ専用のシェルターの場所を確認する。近いところは嫌だったので遠くのシェルターを希望した。
ちょうどいい電車がある、間に合うように駅へ向かった。
家を片付けるのに3日ほどかけたが、彼は帰ってこなかった。
出張だと聞いていたから帰ってこないのは分かっていたけれど。でも、出張なんてないのも分かっていたけど。
在宅で仕事をしていたから電車に乗るのは半年ぶりだった。現金も久しぶりに使った。昼間のオメガ専用車両は人が少なくてすぐに座ることができた。ここから1時間半もすればオメガ専用シェルターのある街につく。
少し不思議な気分だ。
ふだんの1時間半はパソコンに向かって試行錯誤しながらペンを走らせていればあっという間と感じる時間だ。
だけど今は、1時間半で住み慣れた町と彼と住んだ部屋と全く交差しない遠い場所に行くことができる。
トンネルに入ると急に自分の顔が窓に映ってびっくりした。
ずれた眼鏡のブリッジを上げる。僕はいわゆるオメガらしい顔だそうだ。男っぽさはなく。色が白くて印象の薄い。だが、彼と出会った頃はそれをとてもきれいだと褒められていたと思う。特に彼は瞳の色を褒めてくれた。完全な黒ではなく濃褐色の瞳は僕にとても似合っていると。いつからだろう、彼と目を合わせなくなったのは。
結局、はずされることのなかったチョーカーに指を這わす。「社会人になって2年したら子供を作ろう、その時うなじをかませて」ともらったチョーカーだった。学生結婚だった僕たちはとにかくお金が無くて生活の安定を優先させた。
結婚生活がはじまったころ、お金はなかったけど、二人で助け合う生活は楽しい幸せな時期だった。
窓の外は少しずつ、ビルが低くなり民家が増えて行く。ひとつずつトンネルを超え最寄り駅に近づくと目の前に海が広がった。窓の向こうに広がる青い世界。水面は太陽を反射して白くキラキラ光っていた。小さな船が1艘、白い波を立てて進んでいる。
遠くには島が青いシルエットになり見えていた。人生で初めての海だ。
これから向かうシェルターは部屋から海が見えるそうだ。そろそろつくころでキャリーの持ち手を握るとまた窓の外を見る。
内海を沿うようにカーブを走る電車の進む先を見ると岬が見えた。その中腹に白い建物が小さく見える。ホームページでみたあの建物だ。
駅に着くと迎えの車と職員らしき名札を付けた女性が待っていた。大きな車だった。でも、僕が持っているのは段ボール2つ。僕の荷物の少なさに労わるような笑顔を向けて乗車を促された。
着いてすぐカウンセリングがあり。シェルターの設備の説明があるそうだ。
女性は魚料理がおいしい事。夏の花火がシェルターからも見える事などを教えてくれた。申請さえすれば街の散策も可能だそうだ。朝市は新鮮な魚が売られていてお勧めらしい。楽しみができた。
二人で暮らし始めたころ僕は料理は苦手だった。
僕はあまり食べることに興味のない人間だった、一人暮らしをしている時も10秒で食べられるゼリーだったり。パンだったりで1食を済ませることも多かった。
なので、結婚当初は料理は二人で作っていた。四苦八苦して大変だったが焦げてもしょっぱくてもおいしかった。僕が初めて料理らしい料理をしたのはレトルトの麻婆豆腐だった。混ぜすぎて豆腐は崩れているし。何かを足すという発想もなかったので、ネギを刻んで乗せただけのレトルトまんま麻婆豆腐だったけど、彼はおいしいと言って食べてくれた。
今なら、素を使わなくてもおいしい麻婆豆腐が作れる。だけど、最後にそれを食べさせたのはいつだったか思い出せない。僕の作った料理はラップを被って、朝机の上にそのまま置かれていることが増えたから。
到着したシェルターは7階建てでマンションのようだった。ただ、建物に至るまでの道に門があったり。入り口には警備の人がいたりで物々しさがある。このシェルターは国が運営しており、行き場をなくした数少ないオメガ性の男性を保護するのが目的だ。このシェルターの職員は番持ちのアルファか番持ちのオメガのみだそうだ。
建物の中に入ると運転をしてくれた女性が受付を済ませてくれた。そのまま奥にある茶色いドアの部屋に通された。
中はリビングのようになっていて僕は中央のソファに座らされた。
記入するように手渡された問診票に目を通す。
また新しい女性が部屋にやってきた。先ほどの女性よりずいぶん年上だった。彼女は僕の担当になるそうだ。
問診票には既往歴や最後のヒートの時期。使っている抑制剤の種類などを書く欄があり。一つ一つ埋めていく。そして、最後に性交したのはいつかと言う欄まであった。
最後はいつだったか、僕のヒートは軽い方だ。3日あればだいたい収まる。彼にも欲が薄いと言われたことがある。最後のヒートが2か月前だったからそれが彼との最後のふれあいだった、あの時はもうすでに彼の心変わりを知っていた。心が触れ合わない悲しいヒートだった。
本当に僕は性欲が薄いのだろうか。
彼がそばにいればドキドキしたし。同じソファに座れば擦り寄りたい願望が湧いた。それにキスもハグも大好きだった。でも彼が好きな僕はそう言う欲を表立って見せない僕だっだ。
昔。お酒を飲んで彼のことを考えていたら会いたくなって、その勢いで彼の部屋に押し掛けたことがある。あの時、こんな風に誘ってくるのは僕らしくないと彼に諭された。そんな風に僕を大事に思ってくれる彼に感動した。そして、自分から誘うのは止めようと思った。
問診票を書き込んで顔を上げると担当の女性の隣に白衣を着た女性がいた。このシェルターの担当医師だそうだ。僕が書いた問診票をざっと見て。口頭でもいろいろと聞かれた。
「あなたのアルファは追いかけて来そうですか?」
僕は首を振る。
彼は大柄だけど、威圧感が無くて。笑うと目が線みたいになる。かくばった顎のラインと太い首が男らしく。厚めの唇が素敵で。気性は人懐っこい犬みたいな人だ、怒ったところを見たことが無い。彼は優しい人。
そして、番の約束も忘れて、あっけなく浮気する人。
今一番遠い他人だ。
視界がぼやける。涙が止まらなくなった。
ある程度の事情は入居前のアンケートでも答えている。みんな知っているのだろう。一人になって落ち着いた方が良いと、これから僕が住む部屋に案内された。
その部屋はベッドと机、二人掛けのソファ。半畳ほどのクローゼット、簡易キッチンにお風呂とトイレ。一人で住むには十分な設備用意がされていた。
アンケートの時に好きな色を聞かれたがそれが、カーテンとベッドカバーに反映されていたのに気づいたのは涙が止まってからだ。
好きな色。僕は淡い黄色が好きだった。
付き合い始めて二人で過ごす初めてのクリスマス。僕が淡い黄色が好きだと言うと、彼はいろんな店を回って淡い黄色のマフラーを見つけてプレゼントしてくれた。僕にマフラーを巻きながら彼は似合うと褒めてくれた。クリスマスソングを聞くたびに思い出す幸せな記憶。うれしくてその後何年も大事に使い続けた。
使わなくなっても大事にしていたが、それは今朝捨てたゴミ袋の中にある。
浮気に気づいたのは簡単だ。僕らはまだうなじを噛んで番になってないから匂いに敏感だ。ある時彼からオメガの発情の匂いがしたのだ。
その後、家に帰ってくる時間が遅くなった。転がされていた給与明細には僕の知らない有給取得日があった。あまり、家にいても話をしなくなった。
彼の友達に相談するとすぐに調べてくれた。
相手は彼の営業先の事務所で働いているオメガのシングルマザーだった。
彼の友達は欲する以上の調査能力を見せてくれた。彼が彼女にプレゼントした品物や送ったメール。出張と言った日に彼女の部屋にいたことの証拠。
彼女とクリスマスを過ごしていた。そのクリスマスに僕にプレゼントだとくれた手袋は、彼女が選んだものだと教えてくれた。
元旦、彼の実家にいた時いなくなった彼は彼女と初詣に行っていた。その時引いたおみくじは財布に入れているそうだ。
バレンタインに会社でもらったと義理チョコを机の上に並べたけど。カバンの中にもう一つあったこと。
彼が彼女に会って帰ってくる日はいつも背中に彼女の匂いがした。
そして、彼女と彼女の子供と彼が公園で遊ぶ写真。親子みたいだった。彼は笑顔だった。その時僕はヒートだったのに。
浮気の証拠が増えるにつれ僕は仕事に没頭し、暇ができれば片付けに没頭した。それでもどこからか彼女の匂いがしてきそうであらゆるものを捨てていく。
どんどん部屋から生活感が無くなっていく。
共通で使っているパソコンでわざと男性オメガ専用シェルターを検索した履歴を残してみた。浮気に気づいて8か月。彼は僕の様子にも部屋の様子にも全く気付いていなかった。
もうすぐ彼が社会人になって2年がたつ。彼女に夢中なくせに僕と番になれるのか。
婚姻届は薄茶色のラインの入った地味な紙だったのを覚えている。それに二人で名前を書いて。役場で写真も撮った。
離婚届は緑の紙で、なんとなく婚姻届けより派手だなという印象だ。僕はオメガだから妻の欄に名前を書く。提出は彼にしてもらおう。
はずした結婚指輪も添えてダイニングテーブルに置いてきた。薬指に指輪のあとはなかった。4年程度だとつかないんだなってちょっと笑った。本当に何も残らない。
それは彼もだろうか。
僕は持ってきた段ボールを片付けた後、スマフォを取り出して彼の会社に電話をした。ほんとうなら、彼は出張中だ。出ないで欲しいという願いもむなしく取り次いでもらえた。そして、電話口に彼は出た。
ほんとうに、この人はダメな人だ。
「今日家を出ました。離婚届を書いたら役所に出して下さい」
そう一気に言うと電話を切った。ついでに電源も落とす。
もしも番っていたらもっと手続きが複雑だったんだろうな。番の解消は難しいと聞いた。
今頃彼は少しくらい慌てているかな。
邪魔な僕が自分から消えてくれてラッキーくらいに思ってるのだろうか。それとも、4年の結婚を惜しんでくれていたりするんだろうか。
一番は誰に相談するんだろうか。今だけは僕のことを考えてくれているだろうか。話がしたいと思ってくれているだろうか。
でも、いまさらだ。話ならこの何か月でだってできた。僕はいつだって彼だけだったのに。
今日は泣いていい日だ。
それから、夜、担当の女性が様子を見に来るまで泣いて過ごした。
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