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イレギュラー

 エアコンの冷たい風が、教室をぐるぐると巡っている。頬杖をつく花村(はなむら)(たける)の長い前髪が、気だるげに浮き上がった。  こんな空間、ただでさえ息が詰まるのだから、早いところ秋が来て窓を開けられたらいいのに。まだまだ夏の気配が色濃い九月は、一年の中でも特に煩わしい。  高校二年、C組。このクラスの一員になって、半年が経った。だが未だに自分の属する場所だという感覚が、尊にはなかった。  クラスメイトたちとの間に一定の距離があるのは、なにも昨日や今日始まったことではない。頑なに関わりを拒んでいるわけではないが、積極的にそうする必要性も感じないのだ。  遅刻は常習犯、授業はしょっちゅうサボる。いわゆる不良と呼ばれる部類に入るのだろう。そんな尊に、クラスメイトたちだってわざわざ近寄ってはこない。よく話すのは、中学の頃からつるんでいるケンスケとナベだけ。それでなにも問題はなかったのに。  ここ最近は憂鬱な授業に出席してまで、クラスメイトたちの観察を余儀なくされている。イレギュラーの原因は全て、ほぼ強制的に参加させられているゲームのせいだ。  教師の目を盗んでスマートフォンを操作し、すぐさま教室内を見渡す。視線の先は、特定の生徒数名。だが今日も、なんの手がかりも得られそうにない。消えそうなほどちいさくなった飴玉を噛んで、尊は舌を打った。  事の始まりは、一週間ほど前の放課後だった。いつものように午後の授業をサボり、人もまばらな教室に戻ると、机の上に放り出していたペンケースの下にそれはあった。 “ID:×××× このIDに連絡ください           chi.”  薄いピンク、テディベア柄のメモ用紙。丸っこい字で書かれたそれを、尊はくしゃくしゃに丸めて教室のゴミ箱へ捨てて帰った。  そして翌日、またしても放課後。メッセージアプリのものだろうIDの記入されたメモは、再び尊の机に置かれていた。今度はご丁寧に、“花村くんへ”との宛先つきだった。連絡しなかったのはなにも、自分宛てではないかも、と判断に困ったからではない。そこまで思考を巡らせる気すら起きなかった。ただそれだけだったのに。 「うぜえ……」  つい眉間が寄るのを隠そうともせず、犯人が近くにいるのではと辺りを見渡して。けれどそれらしき人物は見当たらぬまま、今度はビリビリに破いてまたゴミ箱へと放った。  まさかとは思ったが、その翌日にもメモはあった。ケンスケとナベに「俺の机に誰か近寄ってなかった?」と尋ねてみたが、思い当たるようなことはなかったそうだ。目立たず動けるということは、クラスの者の仕業だろうか。  その晩、深いため息と共に渋々持ち帰ったそのメモを、寝転がったベッドの上で睨みつけた。三回目のメモには、新たにメッセージが添えられていた。“どうしても連絡が欲しいです。嫌になったらブロックしてもいいので”とのひと言だ。  ひどく面倒くさい。けれど送らなければ、いつまでもこのメモから逃れられない予感があった。  尊は仕方なく、そこに記されたIDをメッセージアプリに入力した。メモにある通りの“chi.”という名のユーザーが、画面に表示される。アイコンは、例のメモ用紙を撮影したと思われるテディベアだ。女子だろうという印象を持つが、これだけで判断するのは早計か。そうは思っても、気安く声をかけてくる者こそいなくたって、黄色い歓声を遠巻きにあげられていることを尊はよく分かっている。  整った顔立ちに、180㎝の高身長。ウェーブがかった黒髪はセンターで分け、無造作にセットされている。それから、さすがに学校では控えめに飾っているが、耳にはピアスの穴がいくつも開いている。いつも気だるげで不良めいた尊の雰囲気は、同年代の男子たちの中でもとびぬけた色気を醸し出している。  なんでもめんどくさがる尊がモテるとか女子って意味分かんね、と言ったのはケンスケだったか。恋愛ごとに興味のない尊にとっては、どうでもいいことだけれど。  もう何度目かもわからないため息をまたひとつ零し、渋々と短いメッセージを送る。 《お前誰》 《連絡ありがとう! 待ってた》 《お前誰》 《内緒》 《ブロックする》  待ち構えてでもいたのか、返信はすぐに返って来た。数秒でのラリー、その割には煮え切らない態度。早々にブロックを宣言した尊だったが、相手はすかさず《待って!》と引き止めてきた。 《ゲームをしませんか》 《は?》 《私が誰だか当ててください。タイムリミットは一ヶ月後です》 《当てられなかったら?》 《私の言うことをなんでもひとつ聞いてもらいます》 《俺にメリットがない》 《花村くんが当てられたら、私がなんでも言うことを聞きます》  そこで一旦手を止めた。  このゲームに乗って、仮に相手の正体を言い当てられたとして。こんなまどろっこしく、ともすれば薄気味悪いやり方で近づこうとする奴に願いたいことなんざ、せいぜいブロックさせろくらいしか思いつかない。それならば、応えてやる必要はない。今実行すればいいだけの話だ。 《無理》 《そこをなんとか。お願いします》  その返信に、尊はふと考えこむ。面倒、だるい――いつも抱えている感情を天秤に乗せてみると、ちょっとした好奇心が反対側で揺れていたからだ。  尊はミステリー映画が好きだ。見えない犯人を捜す王道のストーリーが、頭を過ぎる。退屈な時間をこなすだけの日々に、スパイス程度にはなるかもしれない。 《分かった》  相手の思う壺になるのは癪だが、《やった!》とのひと言がすぐに返ってくる。とは言え、ノーヒントは不公平だろう。参加の条件に求めてみると、いくつかのヒントが提示された。  同じ学校、同じ学年。性別は秘密。  だがそれらは、すでに想定していたものだ。なんなら、クラスだって同じだと踏んでいる。苛立って、舌をひとつ打つ。食い下がってもそれ以上のヒントはもらえず、渋々と了承するしかなかった。  連絡を強いられ、且つ提案を飲んでやったというのに。主導権が相手側にあるのが、尊はどうも気に入らない。先ほど覚えた好奇心は幻と消えそうになる。  不公平感が面倒くささに拍車をかけ、天秤をぐらりと傾ける。――それでも。一度乗っかってしまったゲームから身勝手に下りるのは、負けを認めるようでしたくなかった。    こうしてイレギュラーな毎日が、高校二年生の九月に始まったのだった。

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