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8.リスタート

 夏の残り香が秋に絡まる。十月になった。  千歳(ちとせ)がはじめたゲームは終わりを迎え、毎日言葉を交わすようになった。だがそれは、(たける)が想像していたようなものではなかった。  話すとは言っても、せいぜい朝と放課後のあいさつ程度だ。千歳は尊へのそれと一緒に、ケンスケとナベにも声をかける。ケンスケくんおはよう、ナベくんバイバイ。さすがのコミュニケーション能力と言ったところか。ケンスケとナベが他人に壁を作る人間ではないのも相まって、三人がよく話すことだって増えた。それはともすれば自分との会話以上で、尊はちっとも面白くない。  俺、押しまくる、って言われたよな?  確かに聞いたはずの宣言は、空耳だったかと疑いたくなるほど不確かになっている。  とは言え、いきなり切り替えられるものではないのかもしれない。ひと言も交わすことなく、この半年を過ごしてきたのだし。そう呑気に構えていられたのも最初だけだった。一週間が経った頃、ついに尊は痺れを切らした。 「尊ー、屋上行くぞー」 「先行ってて」 「あいよ。ほんじゃあ、後でな」  昼休み。屋上へ向かうケンスケとナベを見送って、尊はその視線を千歳へと向ける。むすっと尖るくちびるを自覚しながら、ひとつため息をついてその背中へと近づいた。「ちー」と呼びながら、千歳が振り向くより先に、首へと腕を巻きつける。 「こいつ借りてく」  目を丸くしているのは、千歳がいつも昼食を共にしているクラスメイトたちだ。もちろん千歳だって、心底驚いていることだろう。だが、そんなことに構ってはいられない。ガタン、と椅子ごと揺れた体の向こうの弁当をひっつかんで、千歳の腕を引く。 「ちょ、花村(はなむら)!?」 「昼飯、一緒に食お」  激しく狼狽える千歳に構うことなく、そのまま教室を出る。何事かと静まり返ったクラス中の視線を集めていることも理解はしているが、尊は意にも介さない。 「花村? なあってば」  無言のまま、二年の廊下を突っ切っていく。階段を上がり、屋上を目の前にした踊り場で尊は振り返った。 「ちー」 「な、なに?」 「こないだそこで言ったのは嘘か? 俺のこと、好きだってやつ」  顎をしゃくって、あの放課後にふたりで話した場所を示す。 「え……嘘じゃない!」 「ふーん……の割にほっとくじゃん。押しまくるんじゃなかったっけ?」  そこまで言ったところで、尊は自分の行動に息を飲んだ。千歳の手を離し、そのまま口を覆う。勢いのまま連れてきて、嘘だったのかと詰め寄って。これではまるで、駄々をこねるちいさな子どもだ。好きだって言ったじゃん、もっとちゃんと構えよ、と言っているようなものだろう。  俺はなぜ、こんなことを。調子が狂っている自覚にたじろぎながらふと千歳を見ると、赤い顔が見えてしまった。それを茶化すこともできない。自分の頬だって火照っているからだ。初めてのことに、どうすればいいのか分からない。  お互いに彷徨わせる視線は交わらない。だがこの場所に居続けると、余計にどつぼに嵌まるだけのような気がしてくる。 「あー……飯食うか」 「……うん、そうだね」  誤魔化すようにそう誘うと、千歳も救われたように息をついて頷いた。  屋上に出ると、ケンスケとナベがこっちこっちと大きな声で手を上げた。尊が他の人間を連れてきたことに驚いたようだが、おう三上(みかみ)、とふたりはすんなり受け入れる。尊と千歳になにがあったかなんて知る由もない、そんなふたりの明るさに救われる思いだ。    四人で輪になるように腰を下ろす。もっと秋が深まって冬になったら、しばらくはここでの昼食もお預けになる。あたたかさが残るうちに、千歳をここに誘えてよかった。自分のテリトリーに千歳を招くことができて、不思議と気分がいい。 「花村、食べるのそんだけ?」 「え? うん、いつもこんなもんだけど」  先ほどの頬の熱も、さすがに収まった頃。隣から注がれる視線にふと顔を上げると、千歳が驚いた顔でこちらを見ていた。尊の今日の昼食は、菓子パンがふたつ。確かに満腹とまではならないが、これで十分だからだ。食後に炭酸水を飲み、キャンディを舐めればそれで尊は満足で。だが千歳は、少ないと感じたらしい。 「花村、背でかいし足りなくない?」 「身長は関係なくね?」 「オレなら絶対お腹空く」 「尊と三上って同じくらいだよな。身長いくつ?」 「180」 「あ、オレも180」 「一緒じゃん。マジかよ、80あんの羨ま!」  身長と食欲の関係性はよく分からないが、共通点に尊の心は少し高揚する。身長が同じくらいでなにを、と自分に内心苦笑していると、千歳が首を傾げながら顔を覗きこんできた。 「あのさ、よかったら唐揚げ食べる?」 「……食べる」  例えばこれ以上買う金がないとか、そういうわけでは全くない。自分で好んで選んでいる昼食で、かと言って千歳の申し出を断る理由も特段なかった。運動部の者たちのように特別大きいわけでもない弁当から、おかずをひとつ差し出そうとする千歳の心をそのまま欲しいと思った。 「母ちゃんの手作り?」 「うん。はい、一個取っていいよ」 「じゃあ、あー」 「え?」 「食べさせて」  あぐらをかいている膝に頬杖をつき、口を開ける。ああ、またこの顔が見られた。先ほどは眺める余裕はなかったが、千歳の染まった頬に今日も気分がいい。あいさつしか交わさず曖昧に霞んでいた自分への想いが、ちゃんと今も千歳の中にあると実感できる。 「マジで言ってる?」 「うん、マジ。早く」 「う……はい」 「ん……ん、うま」 「それは良かった、です」 「ふは、ごちそうさま」  きちんと持たれた箸で口元に運ばれたそれを、尊はありがたく頂戴した。箸をぼーっと見つめる千歳を咀嚼しながら観察していると、向かいに座るケンスケとナベが芝居がかった会話を始めた。 「ちょっと見ました? ケンスケさん」 「見たわよ、ナベさん。え、今のなに? あれは本当に花村尊くんです?」 「最近ずっと様子がおかしいけど、今日がいちばんですわね」  もっとしっかり、この胸のくすぐったさを感じていたかったのに。尊は茶化してくるふたりを放ってもおけない。うっせーぞ、と文句を言えばケラケラと腹を抱えるふたりに、けれど千歳も楽しそうに笑うから。まあいいか、と矛を収める他なかった。 「俺、トイレ行って教室戻るわ」 「あ、俺も行く」  先に昼食を終えたケンスケとナベは、しばらく四人での会話を楽しんだ後、そう言って立ち上がった。五時間目だりーと嘆くナベに頷きながら、千歳と共に手を振る。尊は食べ終えたばかりのパンの袋をちいさくまとめて、いつもの飴を口に含んだ。 「あー、ねみー」 「お昼食べた後って、眠いよね」 「な。次サボるか」 「それは駄目だよ」  気だるさに負けて、あくびと一緒にサボり癖を現す。すると千歳がちいさく眉を寄せた。静かに叱るような諫めてくる様子に、後ろに両手をつきだらけていた体を持ち上げる。この顔は初めて見た。また新たな千歳を発見できた喜びと、自分だけが知っているのかもしれないという期待。優越感に、安心感。もっと欲しくて、確かめるように追及する。 「駄目? どうしても?」 「どうしてもだよ。最近はちゃんと出てるじゃん。五時間目も出よ?」 「……ちー、こないだのしていい?」 「え? こないだのってな……」  尋ねたくせに了承も得ないまま、千歳の頬に口づける。そっと吹く秋の心地いい風は、浮かれた想いを後押ししているみたいだ。  ほんの一、二秒で離れ、それでも至近距離で瞳を覗くと、頬を押えた千歳が弾かれたように後ずさる。デジャヴ、とちいさく笑えば、千歳は「なんで!?」と叫んだ。 「なんでって、したかったから?」 「したかった、って……オレ、花村のこと好きって言ったよね!?」 「うん、言ったな」 「こ、困るんだけど!」 「好きなのに?」 「好きだから困んの!」  狼狽える千歳の赤い頬が、嬉しい。もっと動揺してほしい。もっともっと、自分に心を動かしてほしい。なぜかと問われれば、答えはそれしかない。  離れたがる千歳を追って、にじり寄る。 「なあ、俺のどこが好き?」 「え~……それ聞く?」 「聞きたい」 「……かっこいいとことか。あと、優しいし。他にも色々」 「は? 優しくはなくね?」 「……ううん、花村は優しいよ」 「…………」  “かっこいい”なんて正直、お前もそれか、という印象だ。それに、千歳にどころか誰かに優しくした覚えはない。せっかく気分がよかったのに、穴が空いた風船みたいにみるみると萎んでいく。優しいに関しては、人違いか? なんて疑問すら浮かぶ。  薄らと腹を立てていると、ちいさくくちびるを噛んだ千歳が尊の意識を呼び戻した。 「あのさ」 「……ん?」 「こういうの、誰にでもするの?」  そう問われ、あやふやだった怒りが明確な形を持った。たわむれなキスを仕掛けているのは確かに自分で、勝手だと言われれば返す言葉もない。それでも千歳に、そんな男だと思われているなら不本意だ。 「は? してたらなんだよ? 幻滅すんのか?」 「っ、そんな簡単に幻滅するような気持ちじゃないよ。でも、これからはオレだけにしてほしい」  険のある言い方になってしまった自覚がある。けれど返って来たのは、尖った瞳と強い意志だった。俺様と形容されても仕方ないような千歳の口ぶりに、尊は言葉を失う。  尊が知る限り、千歳は周りの空気を読み、同調することを選ぶ人間だ。その千歳がこんなにはっきりと、自分に向かって「オレだけにして」と言っている。  背筋がゾクゾクと震える。甘く痺れるようなそれに支配される。そして次の瞬間には、脱力したような笑みが溢れてきた。 「……ふ、はは。こんなの、ちーにしかしたことねえから安心しろ。むしろ、拒んでフラれたことだってあるしな」 「え……マジ?」 「マジ。中学ん時に先輩から告られて、付き合ったことあるけど。キスされそうになって、思わず避けたらフラれた。付き合ったのもそんだけ」 「……え。じゃあ、もしかしてオレがファーストキス!?」 「まあ、ほっぺだけどな」  しゃがみ直し、膝に頬杖をつく。それからニヤリと口角を上げてみせると、ポンと音でも出そうな勢いで千歳の顔が一段と赤くなった。その顔を両手で覆い、さらに俯いて何度も千歳は問うてくる。 「マジで?」 「マジ」 「絶対に?」 「絶対」 「な、んで……」 「んー?」 「なんでそんな大事なもんオレに……あー、いや、なんでもない」 「そこ聞かないんだ」 「……告白の答えになるからやめとく。気まぐれとか言われたら凹むし」 「頑固なのな」  五時間目の予鈴がなり、尊はおもむろに立ち上がる。授業が億劫なのは今も変わらないが、サボるのは駄目だと叱った千歳に報いるためだ。だが、肝心の千歳は未だ腰を下ろしたままで、不思議に思い顔を覗きこんだ時。千歳のまっすぐに光る瞳が、尊を捉えた。 「頑固っていうか、慎重なのはさ。花村のこと、諦めるつもりはないからだよ。確実にいきたい」 「っ……」 「じゃあ、オレ先行くね。サボっちゃ駄目だからな!」  屋上に揺蕩う秋の空気と、それから尊の心を大いにかき混ぜて千歳は走り去る。ついさっきまで、千歳と共に教室に戻るつもりだったのに。へなへなとその場にうずくまってしまい、あいにく叶いそうにない。  あまりに強い想いを改めて差し出されて、面喰らってしまった。速まる鼓動は尊の心を置いてけぼりに、どこかへと走って行く。 「あー、マジかあ」  少しでも気を抜いたら、まだ自分も知らない自分に辿り着いてしまいそうで。空を仰いで、ちいさくなったキャンディでカラコロと深呼吸を奏でる。もっとたくさん千歳と時間を共有して、もっとこの高鳴りを感じてみたい。  本鈴の音をBGMに、尊はようやく立ち上がる。サボる気はないけれど、遅刻はもう免れない。後ろの入り口から教室に入って目が合ったら、千歳はあの叱るような瞳をまた自分だけに見せてくれるだろうか。

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