7 / 24
7.答え合わせ
毎日のように行き来している階段を、一段一段噛みしめるように上がっていく。千歳 はもちろん緊張していることだろうが、その感覚は尊 にだってある。いや、高揚していると言ったほうが正しいか。いつもより速い鼓動が、たしかに胸を打っている。
三階へ到着した。踊り場から見上げたそこには、屋上への扉がある。ここから見渡せる限りでは、千歳の姿はない。屋上の前とあったのだから、扉の前にちいさく設けられたスペースにいるのだろう。ここからは死角だが、足音は届いているはずだ。緩む口元に手を添えて、最後の階段をゆっくりと進む。
思った通り、そこに千歳の姿はあった。下階から続く手すりが直角に曲がったその前で、ちいさく縮こまっている。尊は千歳の向かいにしゃがみ、扉横の壁にもたれかかった。
「……いつから分かってた?」
「二週間くらい前だな」
「そんな前から!?」
「うん」
たっぷり間を空けて、やっとのことで千歳は声を発した。早くから気づかれていた事実に、ひどく驚いたようだ。勢いよく顔を上げ、少し潤んだ目を尊に晒す。
「な、んで……なんでオレだって分かった?」
「内緒」
「っ、……言えばよかったのに。そしたらこんなゲーム、止められたじゃん」
「まあな。最初はうぜーって思ってたし、そのつもりだったけど。お前だって分かったら、止めたいと思わなくなった」
素直にそう言うと、千歳は今度はぽかんと口を開けた。それからゆっくりと首を傾げ、視線は彷徨う。
「な、なんで? 花村 はオレのこと嫌いだろ?」
「は? そんなことねぇし、それは俺の台詞だな。お前には嫌われてるってずっと思ってたし。でも……勘違いだったのかもって今は思ってる」
「…………」
尊の返事に、千歳はまた顔を伏せてしまった。沈黙が示すのは、肯定か否か。表情が見えなくなってしまったことが、尊は惜しい。膝の間で頭を抱えた千歳に、疑問を投げかける。
「で? なんであんなメモ置いた?」
「花村には嫌われてると思ってたから……そうでもしないと関われないと思った」
「そんなに俺と話したかったんだ?」
「……………………そう」
たっぷりと間を置いた千歳はおずおずと顔を上げ、尊からは目を逸らしながらこくんと頷いた。
かわいいな、なんて思う。立てた膝に頬杖をつき千歳を見下ろしながら、不思議とそう感じている。
笑顔と冷たい目しか知らなかったのに、この二週間で様々な千歳を見てきた。翳った顔はその中でも色濃く印象に残り、だからこそ、頬を淡く染めている今が際立つ。
新たな感情を静かに確かめていると、ひとつ深呼吸をして千歳が口を開いた。
「オレの負け。花村の言うこと、なんでも聞く」
尊はニヤリと口角を上げる。その言葉を待っていた。
「お前がこの賭けでなにをしたかったか、それを教えろ」
「え……そ、それは絶対無理!」
「はあ? こっちこそ無理。賭けは賭けだろ、俺の勝ちなんだから言え」
わざと負ける方法も頭を過ぎったけれど、勝ちを得ることにしたのはこれを思いついたからだった。拒否は一切受けつけない。勝者の言うことは絶対、それがこのゲームの条件だったはずだ。
「そんなの卑怯じゃん!」
「どこが。勝者の正当な権利だろ。なあ教えろよ、ちー」
「っ、ちー?」
「お前のユーザー名。“ち”って言いづれえから、ちーって読んでた」
「……っ、なんだよそれー……」
「ふは、顔あっか」
「見んなよお……」
驚いたかと思えば不貞腐れたように怒って、次の瞬間には萎れた声で顔を赤くする。たった数十秒たらずで、千歳の表情は鮮やかに移ろってゆく。
「ずっとそうしてればいいのに」
「……え? なにが?」
「んー? なんでも」
口をついて出たそれを、けれどはぐらかすように引っこめる。自分だけが知っているのも、悪くない気がするからだ。
「ほら、早く言え」
「お願いだから、それ以外にしてほしい……」
「やだね」
「……うう」
なにをそんなに渋るのだろうか。わざわざ机にメモを、しかも連日置き、妙なゲームをはじめてまで叶えたかったことがあるのだろうに。
急かしてみても何度も顔を上げては俯き、たっぷり唸ること約五分。千歳はようやく観念したようだ。
「オレの話、を……受け入れられなくてもいいから、ただ聞いてほしかった」
ぼそぼそと空気に溶けてしまいそうなくらい、ちいさな声だ。尊は一歩からだを寄せ、それを拾う。なんだ、そんなことか。拍子抜けで正直つまらないなと思いつつ、先を促す。
「分かった。じゃあそれ聞く」
「え! いやいいから!」
「勝ったほうの言うことなんでも聞くんだろ。それ言え」
「いやいや! なにがしたかったか答えたじゃん! それで終わり!」
「叶えてもらえるの、一個だけとは言ってねえよな」
「――……っ、そんなん屁理屈じゃん~……」
今にも床に伏せってしまうのではと思うほど、千歳はずるずると脱力してしまった。そんな千歳から、尊は一瞬たりとも目を離さない。
「……言わなきゃだめ?」
「うん、だめ」
「どうしても?」
「どうしても」
「……花村、絶対引くよ」
「平気だって」
「…………」
どんなことだろうと、ちゃんと最後まで聞き届ける。その意思を示すために、尊は浮かせていた腰を下ろした。悩ましげにくちびるを噛む千歳と目が合い、促すように眉をそっと上げてみせる。
「……なにも答えないで、ただ聞いてくれる?」
「分かった。約束する」
「…………花村のことが好き、って。言うつもりだった」
「……好き? もしかして、そういう意味で?」
「……うん」
「…………」
そもそもが、自分のことを嫌っていると感じていた相手だ。この二週間でそれを疑わしく思いはしても、まさか好意を持たれているとは考えもしなかった。尊はぱちぱちと瞬きをくり返す。
本当だろうか。そうだったんだ、と簡単に受け取るのも難しく、千歳を見つめる。
あんなメモを連日置いたのも、あの階段下でスマートフォンを嬉しそうに眺めていたのも。何度も目が合っていたのも。千歳にそうさせていたのは恋心だった――と本気で言っているのか。
その事実に、尊は呆然とする。ぽかんと開いた口を閉じることすら忘れてしまう。誰にも好かれる三上千歳が、話したこともなかった自分を好きだ、なんて。
いつも横顔に本心を見つけてきたように、その片鱗をこの瞬間にも見たくなった。じいっと見つめていると、けれどそれは千歳にとって酷なようだった。ぐすん、と鼻を啜った音は、涙が浮かんだ印か。尊がハッとした次の瞬間には、千歳は床を這うようにして立ち上がりかけていた。
「引いたよな、ごめん。オレもう行……」
「ちー」
だが、尊のほうが早かった。行かせるものかと千歳の手を掴む。
引かれた、と危惧するのはおそらく、男同士だからだろう。だが尊は、不快になど感じていなかった。交際経験は中学の頃に一度だけあるが、男女関係なく誰も好きになったことはない。恋愛ごとには、生まれてこの方無関心だ。
けれど、三上千歳という人間には興味がある。
千歳とのこの二週間は悪くなかった。いや、いつの間にか楽しくなっていた。千歳の行動が尊にもたらしたものは、味気ない日々への彩りだった。
このまま終わってしまっては、話もしなかった頃に元通りだろう。いや、悪化する可能性のほうが高い。もう目も合わず、だから冷たく逸らされることすらない。
そんなの、ちっとも面白くない。
「俺のこと、好きだったんだ?」
「……そうだよ」
「ふうん」
掴んだままの手を引けば、不安定な姿勢だった千歳の体がぐらりと揺れる。その肩をもう片手で受け止め、至近距離で視線が交わる。逃げるようにそっぽを向こうとする顔を追いかけ、尊はくちびるを押し当てた。自分の頬でちゅ、と鳴った音を、千歳はすぐには理解できないようだ。弾かれたように距離を取り、まんまるに見開かれた瞳がただまっすぐ、尊を見つめている。
「……え? 今の……え、なん……」
なんでキスをしたんだ、と言いたいのだろう。だが明確な理由は、あいにく尊自身にもよく分からない。染まる頬を可愛いと思っている、それは確かだが。逃げ出しそうな千歳を、どうにか引き止めたい。今分かっているのは、ただそれだけ。実際に千歳は逃亡を忘れているのだから、この衝動は正解だったと言える。
自分で自分を納得させながら、今まででいちばん顔を赤くして狼狽えている千歳に、尊は声をかける。
「ちー。落ち着け」
「っ、だって……なんで」
「さあ」
「さあって、そんな……」
「……なにも答えんなって言われたしな」
「っ、それは違うくない!?」
「嫌だった?」
「嫌、なわけ、ない……けど」
「じゃあいいじゃん。これで俺は引いてないって分かったろ」
「そう、かもしんない、けどお……」
赤い頬をひと撫でし、千歳を観察する。へなへなと座りこんで、ちらりと尊を窺ってはまたすぐに顔を伏せ唸っている。
本当に、この男は自分のことが好きなのだ。千歳の一挙手一投足が、まっすぐにそう伝えてくる。
「てかさ」
「……なに?」
「なんでも言うこと聞くってさ、もっとすげーのだってできたわけじゃん。俺が好きってわりには、それこそキスさせろとかじゃなかったのな?」
「それは……考えなかったわけじゃないけど……」
「はは、考えたんだ」
「うん……でも、そんなんでキスしたって意味ないし」
「へえ」
真面目な性分なのだろう。賭けでキスなんてしても意味がない――それはつまり、心ごと欲しがられているということではないか。またひとつ、千歳の真剣な想いを思い知る。
尊自身、話せば話すほど千歳には好感が湧いてくる。それこそ、衝動的にキスをしてしまうくらいには。
だからなのだろうか、と尊は自分に問うてみたくなる。もっと色んな顔が見たいから、からかいたい。こんな感情、初めてだ。
「じゃあ、俺からもキスしないほうがよかった?」
「それは……花村からしてくれるなら、嬉しいに決まってんじゃん」
「はは、決まってんだ」
もう逃げ出すことはしないだろうと判断し、尊は千歳の腕を解放する。その手でミルクティー色の髪に触れてみれば、そんな一瞬の戯れにも千歳は従順に頬を染めた。
「で? 告白にイエスもノーも言えなくして、その後はどうするつもりだったんだ?」
「え……?」
「言って終わり? また喋りもしない関係に元通りか?」
「っ、それは無理」
「うん、俺も」
「……っ! オレ、押しまくるから!」
必死な宣言に、尊はいよいよ天を仰ぐようにして笑う。
千歳に嫌われているとの印象が生まれたのは、春に同じクラスになってすぐだった。それ以上でも以下でもなかったからこそ、こんな会話をできている今が面白い。千歳があのメモを残してくれなかったら、きっと今も嫌われていると思いこみ続けていただろう。千歳の一歩が、たしかに大きな変化をもたらしている。
千歳がいれば、明日からもきっと楽しい。そんな予感が尊の胸で弾けている。水色のキャンディから、しゅわしゅわと泡が弾ける瞬間のように。
「俺、押しまくられんだ? ふ、楽しみにしてる」
ともだちにシェアしよう!

