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13.千歳と尊とコッペ

「ただいま」 「お邪魔しまーす。ちーの部屋どこ?」 「二階だよ」  学校から千歳(ちとせ)の家までは、通常であれば歩いて十分ほどの距離だった。だが今日は、千歳のペースに合わせて二十分弱かけて帰宅した。こんなに歩いては更に熱が上がってしまいそうで、途中で何度か額に触れ、確かめながら帰ってきた。 「ここだよ。あ、コッペ」  二階に上がって、突き当たりの部屋へと招かれる。千歳が自室の扉を開くと、ふたりの間をすり抜けて茅色の猫が先に室内へと入った。三上(みかみ)家の飼い猫であるコッペだ。どうやらいつの間にか、背後からついてきていたらしい。ただいま、と千歳がコッペの頭を撫で、(たける)もその場にしゃがみこむ。 「おー。生コッペだ」 「はは、生コッペ」 「触っても大丈夫?」 「うん、懐っこいよ」 「俺、みたらしの匂いするかも。コッペ~、初めましてだな。まあ俺は、お前の写真いっぱい持ってっけど」  コッペの頭を撫で、顎の下をくすぐる。ゴロゴロと喉を鳴らして、嬉しいと訴えてくる。たくさん遊びたいところだが、今日はお前の主のことが気がかりなのだと、尊はすぐに腰を上げる。ベッドに座る千歳が、重たいまばたきでこちらを見た。辛いのだろう。ゆっくりと傾いていくからだを、けれど尊は腕を伸ばして抱き止める。 「……ん?」 「早く寝かしてやりてえとこだけどさ、着替えたほうがいいんじゃね?」 「あー……ん、だね」 「部屋着どこ? 俺出そうか?」 「大丈夫、できる」  立ち上がろうとする千歳に手を貸す。コッペはもう満足したのか、扉の隙間をすり抜けて出ていってしまった。扉を閉め、すぐ横のクローゼットからルームウェアを取り出した千歳は、尊と目が合うとどこか気まずそうに肩を竦める。 「花村(はなむら)、あっち向いてて」 「なんで?」 「なんでって……恥ずかしいじゃん」 「教室じゃ一緒に着替えてんのに?」 「それは……だってふたりだし、教室より狭いし」 「ふは、そっか」  少し茶化してしまったが、尊もこの状況に少し心拍を上げている。それをどうにか抑えこみながら背中を向けると、ふとデスクの上に目が留まった。 「終わったよ。……花村? どうし……あ」 「ちー……これって」  そこにあったのはアクセサリートレイだ。シルバーのシンプルなデザインのそれに乗せられているのは、交換して千歳の手元にある尊の指輪。それから、二枚の飴の包み紙だった。 「それは……全部オレの宝もの」 「全部? このゴミも?」 「ゴミじゃないよ。花村にもらったものだから」 「……俺があげたのは一個だよな? ゲームの答え合わせの、ちょっと前の」 「ううん、どっちもそうだよ」  千歳に飴をあげたことはよく覚えている。だがそれはひとつだけのはずだ。猫と犬、どっちが好きかとの他愛もない会話にすら、素直になれずにいた千歳が歯がゆくて。衝動的に引き止めてしまい、それを誤魔化すように胸ポケットにあったそれを渡した。  どういうことだ、と首を傾げていると、千歳は尊の腕に掴まりながら、二枚の包み紙を手に取った。 「入学式の日、めっちゃ緊張しててさ。気分悪くなっちゃって、廊下の端っこで座りこんでたんだよね。そしたらさ、花村がくれた」 「マジ?」 「うん。しゅわしゅわするからすっきりするかも、って」  千歳が言うには、入学式終わりの教室へと戻る途中のことだったらしい。言われてみれば、随分前に誰かにそうしたような気がしないでもない。頑張って思い出そうにも、それが入学式だったのかすら記憶はぼんやりとしているが。 「うわー、全然覚えてねー……」 「オレがそうしたんだよ。あんなみっともないとこ覚えててほしくなかったから、ずっと俯いてたし」 「そうは言ってもなあ……」  千歳がきっかけをくれた秋よりも、同じクラスになった春よりも。もっともっと前から、千歳は自分との思い出を大切にしていたのか。一緒に覚えていたかった、一緒に大事にしていたかった。悔やんでもどうにもならないけれど。そんなことを考えていると、包み紙をトレイに戻した千歳が尊の肩にぽすんともたれかかった。 「だから、今話せるようになってるの、夢みたいなんだ」 「ちー……」  千歳の体温が、制服越しにも伝ってくる。熱がうつってしまったかのように、尊のからだも急速に熱くなる。無性に抱きしめたくなった。千歳のほうを振り返り、けれど浮きかけた手をぎゅっと握りこむ。 「花村?」 「あー、なんでもない。ほらちー、寝たほうがいいんじゃね」  ベッドの布団を捲って、そこに千歳を寝かせる。トントンと布団越しにたたくと、千歳は不満そうにくちびるを尖らせる。そんな顔をしないでほしい、押しこめたばかりの恋情がまた溢れてしまいそうだ。 「オレ、子どもじゃないのに」 「そうだな」 「……うう、ねむい、寝たくない」 「ふ、なんでだよ」 「だって、せっかくオレんちに花村がいるのに。もったいないじゃん」 「また来るって」 「んー……あ、指輪」 「指輪?」  うとうととしたまばたきが、今にも眠りそうだと知らせていたのに。千歳はそう言って、起き上がろうとする。慌てて支えると、千歳は続けて指輪、と言った。 「指輪って、俺のやつ?」 「うん。つける」 「今?」 「今。家にいる時、いつもしてるから」 「っ、分かった。取るから待ってろ」  どうやら、いつもしているものが手にないのが落ち着かないらしい。そうか、いつも指輪を身につけてくれているのか。その事実に顔が赤くなってしまっただろうことが、鏡を見なくたって分かる。千歳に気づかれたらと思うと恥ずかしくて、すぐに背を向けて指輪を手に取った。ベッドの端に腰かけ、顔を上げられないままに「ん」と手を差し出す。 「手、貸して」 「つけてくれんの?」 「うん」 「オレ、交換できるもんない」 「ふは、なんでだよ。んなの要らねぇよ。ほら」 「……へへ」 「満足いただけましたか?」 「うん。これがあるとほっとする。ドキドキもするけど」 「……そっか」  熱と眠気のせいで、さっきから千歳はどこかたどたどしい口調になっている。それすらもかわいくて、尊は逐一頭を抱えたくなった。どうしようもなく好きになっている、一秒ごとに気持ちは大きくなっている。恋なんて、とバカにすらしていた尊を、千歳が変えたのだ。  千歳のさらさらの髪に指を通し地肌まで撫でると、千歳は猫のようにすり寄って目をつむった。くすぐったそうに一度笑って、それからすぐに寝息を立てはじめる。  千歳のからだの向こうに手をつき、顔を近づける。今なら頬だけじゃなく、くちびるにだってキスできてしまう。あと一ミリで触れられる、というところまで近づいて、けれど懸命に欲を押しとどめてゆっくりと離れる。  キスしたい、だけど両想いがいい――その時は、千歳からしてほしい。一緒に出かけた日以来、そう考えるようになっていた。 「早くお前のもんにしろよ、ちー。……俺も好きだっつーの」  千歳は本音が言えない、分かっている。千歳の「花村が好き」というその本音こそが、それだけが千歳に恋をした尊を幸せにできるのに。深く眠る千歳には、どれだけ好きだと言ったって届くことはない。

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