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金露を宿す(二)
眼光に鋭い殺気を孕み、きつく首を絞めていた男が無乃 の息遣いにハッと青ざめた。
「すまない、君か。誰か分からなかった」
勢いよく咳き込む無乃 はゆるく頭を振りつつ、どきどきと激しい胸をおさえる。
「いや、私こそ。寝込みを襲ってしまったようだ」
「痣が――」
羅冴流 がためらいがちに触れ、唾を飲み下した無乃 の喉を包み込むように触れた。
まるで柔い花房にでも触れるようなこそばゆさに、無乃 は手を押し戻して微笑む。
「驚かせてしまったのは、私だ。すまない」
軽率だった。
近くに剣がなくて幸いだったのは、こちらの方だ。もしかしたら一太刀で切り捨てられていたかもしれない。ぐっすり眠っていると思っても、これからは気をつけるべきだ。
束の間、恐怖に包まれた無乃 の心臓は未だに早鐘を打っていた。それを知られまいと瞼を伏せる。
その一方で羅冴流 は混乱の最中にあるらしい。熱い吐息を苦しげにこぼしていた。無乃 がちらりと目を上げると、息を荒げた口元を拭い、弾かれたように顔を背けてしまう。
その挙動に無乃 は困惑する。上半身を持ち上げながら、大変そうだねと羅冴流 に柔らかく微笑んだ。
「いつまで、私の上にいるつもりだ?」
ぬたくるなめやかな蛇が目の前にある。鱗の一枚一枚までもが艶を帯び、羅冴流 の呼吸や筋肉のうねりにまるで生きているようにだった。生々しい蛇が首をもたげて今に飛びかかってくるのではないかと、一瞬ドキリと心臓が跳ねる。
そういえば、頭はどこにあるのかな。分厚い胸や太股、くびれた腰にぐるりと巻き付く蛇は下腹へおりていき、その頭は股の茂みに消えていた。気づいて静かに目を見開き、羅冴流 に悟られないうちにそっと視線を逸らす。
「目のやり場に困ってしまうから、服を着てもらってもいいかな。……羅冴流 、それと、早くどいてくれるかい?」
無乃 の指に、肌触りの良い絹の布が触れている。それを無意識にさすっていた無乃 は返事のない羅冴流 に目を上げた。
「君が、下に敷いている」
困ったように眉を下げ、羅冴流 が優しい目をしていうので、無乃 は照れながら腰の下からそれを引っ張り出す。
寸法の大きい、尻の下に敷かれて温もりのあたたかな衣服が指の先に引っかかっていた。
「……そのようだ」
衣服を受け取る羅冴流 が微笑みを浮かべた直後、まるで肌の香りを嗅ぐように顔を近づける。青い紗が風にゆれ、淡い光りが射し込む寝台だった。無乃 の肩を押さえて、「じっとして、」と小さな顎をつかんだ。
「ほくろのある方、やはり、少し目の色が薄いな」
目の下を撫でる親指が、下まぶたを軽く掠めた。
無乃 は瞼を伏せつつ、困ったように笑う。
「ああ、そっちの目だね。視力があまりよくない。ほとんど見えていないよ」
「生まれつきか?」
「十年前に。棍棒があたってしまって、それきり悪くなってしまった」
羅冴流 は目元のほくろに触れて、複雑な顔をした。
「君が、危なっかしくふらふら歩いていたのは、そういうわけか」
「慣れてしまえば、それほど気にならない。狭い通路だと少し距離感が掴めにくいから、舟はどうしても苦手なんだ」
「それなら……」とにっこり、羅冴流 が柔らかな陽ざしの下で微笑んでいう。
「俺を拾ってよ。君への罪悪感があるし、君の目になってあげるから」
無乃 は乾いた笑みを浮かべつつ、どっと汗が噴き出す。
「拾うって、誰を?」
口角をきゅっとあげながら羅冴流 の企み顔を隙なく見おろす。
「雇い主に捨てられてしまった、かわいそうな剣客なんだ」
日に焼けた肌に屈託のない笑顔を浮かべて、どういうつもりだろうか。冗談だろうと無乃 は取り合わなかった。
「みたところ、君は腕の立つ剣客だろう。私は無一文で、君を雇える金がない。護衛を雇うつもりもないよ。それに君は、危ないからね」
「危ない?」
足元に座りこむ羅冴流 が楽しげな笑みを浮かべている。このさい、言ってやろうと無乃 は袖をまくり上げた。
「我氷津 が主なら、どうして主人を呼び捨てにする?」
「なら、俺の主は我氷津 ではないということになるな」
無乃 は頷く。
「そうだろうね。船に荷華幇 の旗があった。護衛船はうちのものだといっていたが、君はその荷華幇の幇主の命令で我氷津 の護衛をしていたんだ。違うかい。君が一緒にいたあの我氷津 も、もしかしたら本物ではないのかも」
もし舟にいた我氷津 が別人なら、青菊 の病に興味がなかったのも納得できる。
それに、あの偽の青菊 ……面倒だから赤桃 と呼ぼう。いくら青菊 と顔が似ているからといって体つきまでは誤魔化せない。病を理由に人を遠ざけていたが、医者まで邪険にするのはやりすぎだ。それを、羅冴流 が気づかないわけがない。
すると羅冴流 が無乃 の手を胸の傍まで引き寄せた。
思いがけず無乃 は怜悧そうな羅冴流 の顔立ちを間近に見つめることになる。その気恥ずかしさを誤魔化すようにゆったりと微笑んだ。
「また、尋問をするつもりかな? この状況じゃ、布一枚身につけていない君の方が不利だと思うけど」
無乃 はそんな風に冗談を言う。すると羅冴流 は自分の指からなにかを抜き取ってほっそりとした無乃 の親指にそれを押し込んだ。
まずいな、それほど近くに迫られたら、ほくろの秘密がばれてしまう。と逃げ腰の無乃 の耳元で、「君も脱いでくれるなら、それもいい」と揶揄うように囁いた。
耳朶に触れるその吐息が熱い。
「縁がなければ、逢っても他人だ。けれど縁の糸は千里を繋ぎ、君と俺は、縁あって結ばれたらしい」
羅冴流 が離れていく。無乃 はその背後で、指にはめられた玉の指輪を眺めていた。
「何かあれば、その指輪が君を守る。当分は無給で勘弁してやってもいい。俺を雇わないと、損するかもね」
無乃 は指輪をなでさすりながら、それならこれを売って羅冴流 の報酬にあてようかとも考えていた。
それを見抜いたように、鋭い羅冴流 の声が飛ぶ。
「売ったら君を永遠に恨む。死んでも魂が尽きるまで君を追いかけ続けるから」
無乃 は「だめかな?」と言いかけた口を閉ざした。衝立障子の後ろへ消えていく羅冴流 の、何か言いたげな顔つきに冷や汗を浮かべ、弱々しい笑みを貼り付けた。
「……しないよ、そんなこと」
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